耳鳴りと痛みと 第三十七話
この日から私は、毎日その音を聞き続けた。決まって夜を跨ぐ時間になると、その音ともに胸を締め付ける感覚が私を襲う。
「ゴホッ! ゴホッ! オェッ……はぁ、はぁ」
日を追うごとに徐々に痛む感覚は長くなっていき、締め付けも酷いものになっていく。最初は血の後をつける程度だった吐血も、今では手のひらから溢れるほどに増えてしまった。
入院していた例の病院に症状の確認をしてみるが、そんな病はないとの一点張り。検査によって臓器の損傷は分かったが、原因はわからずじまいに終わる。
「……ぁぁ……ふらふらする……」
病院と宿を行き来すること数日、シルクさんには感謝しなければならない。あの時無理矢理にでもお金を渡してくれたおかげで、こうして療養だけを考えて宿で安静にすることができるのだから。
「……ついた…………ふぅ、よしっ! 行くぞっ!」
とはいえ、今日は前から決まっていたキリエの店に行く日。血が足りずふらふらとした足取りで店の前まで行き、心配をかけないようにと頬を叩いて扉を開ける。
「こんにちはー」
「いらっしゃい、ココ。……どうしたの、顔色悪いわよ?」
「そ、そんなことないよォ! 私は平気だょお!」
「無理に声をあげないで。きついならそう言いなさい」
「……はい」
頑張って気合い入れたのに、一発でバレた。小さな椅子を用意してもらって、キリエの仕事場の机に突っ伏す。
「はい、これ温かいミルク。それでどうしたの、風邪でも引いた?」
「うーん……多分貧血ぅ」
「貧血? あぁ、もしかしてこの前の怪我まだ治ってないの。でも、もう一ヶ月も前のことよね?」
「いや……それが……ね」
私は、キリエに悩みを打ち明けることにした。数日前から妙な耳鳴りと吐血に悩まされていることと、病院に行っても異常はなかったこと。話の流れでこよみと話したことも伝えたが、キリエはそっちはどうでも良さそうだった。
「耳鳴り? 吐血? 異常はない? ……妙な症状ね」
「最初はちょっとだけだったんだけど、日が経つにつれて血の量も増えていってて……。うぅ……喉が痛い」
「そんな状態なら無理して来なくてもよかったのに。貴女の体が第一なんだから」
「とりあえず、何か伝えなくちゃって思ったんだもん。来なかったらキリエ、心配しそうだし」
「当たり前よ」
作業の邪魔してることを理解しつつも、今は人肌の温もりがありがたい。一人ぼっちで部屋にいるより、誰かの声が聴ける方が気持ち的に楽にもなる。
「でもどのみち、このまま長引かせるのは良くなさそうね。日に日に症状が重くなっているのなら、早急に何とかしないと不味いわよ」
「だよねぇ……はぁ。万病を治す治癒能力とか持ってる人しらない? キリエー」
「そんな医者泣かせの能力なんて聞いたこともないわ。
……ちょっと待って、能力?」
突っ伏す私の頭上で、キリエは何か思い当たることがあったらしい。
「どうしたの、キリエ?」
「……もしかしたらその吐血、病気じゃないかもしれない」
「どういうこと?」
「口から血を吐くってことは、少なからず肉体的ダメージを負ってるはずなの。なのに体に異常がない? おかしいわ」
「そう……?」
「そう。つまり吐血はココの体の問題じゃなくて、何か別に問題があるということ。特に外傷もなく、毒物以外でそんなことができるのは、能力の他にないはず」
なるほど。と、正常とは言えない私の頭は納得する。第三者の能力による障害と考えれば、検査で異常がでなかったとしても不思議ではないと。
「でも、そんな的確に私だけを狙うことなんてできるの?」
「条件を満たして個人を狙う能力なら、本に分類として書いてあるわ。近いもので言うと、呪いみたいにその人の一部を使うとかね」
「体の一部?」
「髪の毛、爪、垢なんかもそうね。あとは…… "血液" とか」
「血……血?」
ふと、何かが違和感として頭に残る。
体の一部、ここ最近で私が出血したのは、ひと月前の一件と吐血を除けばたった一回のみ。
「心当たりはない? 誰かに髪を切られたとか、血を抜かれたとか」
「血……でも、あれは」
「心当たりがあるのね? 話してみて」
「いや、多分……違うと思う。ほんの少しだったし」
「個人の特定に量は関係ないわ、とにかく話してみなさい」
私は、キリエに思い当たることを話す。
その一回の出血とは、花屋での薔薇による怪我だけなのだ
「花屋……多分その回収された薔薇から取ったのね」
「でも、店員さんはいい人だったよ? もしかしたら図書館に来たあの女の人かもしれないし」
「ひと月以上間をあけて、どうして今になって攻撃してくるのよ?」
「それはぁ」
「それにその人、戦うのを楽しんでるのよね。シルクの家を簡単に叩き壊すような豪快な人間が、こんな遠回りなやり方普通しないわ」
「うぅ、たしかに」
あの目では追えないスピード一つとっても、桜花の能力が肉体を強化するものであることは想像できる。
状況だけ見ればあの店員さんが怪しいのはわかるけど、それでも私には店員が犯人だとは思えなかった。
「あの人からは嫌な感じはしなかったよ?」
「取り繕うのが上手い人なんてザラにいるわ。それにこの街は、貴女が思ってる何倍も治安が悪いのよ」
「でも……」
こよみに渡したスズランの花は、彼女が気にいるくらい素晴らしい香りをしてた。人を簡単に襲えるような人が、あんな花を育てられるだろうか。
「……ココの優しさは美点だけど、今回は貴女の命がかかってるの。怪我が完治したばかりに吐血までして……私も本気になるわ。明日は休みにするから、一緒にその花屋へ行きましょう」
「……うん、わかった」
いつも以上にキリエからの圧が強い。けれど今はその優しさが、とても頼りになる。
もしも私の勘違いだったら、その時は店員さんに謝ろう。心から。
「さてと。この話は明日に持ち越しにして、今は良い話をしましょう? 元々そのために来てもらったんだから」
「あ、そうだった」
なんだか私の相談事ばかりキリエに聞いてもらって、肝心の今日来た目的をすっかり忘れていた。
「一緒に決めたデザインの服、仕立て上がったわよ」
私が今日キリエの店に寄った理由は、前にキリエと一晩で考えたデザインの服が仕上がったらしいのだ。
「本当に!? どこどこ!?」
「裏に置いてあるからついてきて。立てる?」
「うん! 行こう!」
興奮が貧血を上回り、私はウキウキでキリエの後をついていく。さっきまでのぐったり具合なんてどこ吹く風、ふらつきもなく意識は正確だ。
仕事場の裏、色んな糸や服作りに必要な道具の山を崩さないように歩く。
「ほら、あれよ」
その一番奥、一箇所だけ広いスペースが確保されたその中心を指差してキリエは言う。
「おぉ……!」
木製のフレームに着付けられたその服。私が最初着ていた服に形は似ているが、そのデザインはまさしく私たちが紙に描いたまんまだ。
「カッコいい! 綺麗! わぁ!!」
「基本的な形は、ココが最初に着ていた丈の長い服を参考にしたの。基本デザインはココのものをそのまま使って、試作中に一部私が手直ししたわ。色は白をメインに、水色と、黒の線を入れてる」
「センスいいね……私この配色好き!」
「襟や袖の部分はテトラのデザインも入ってるの。全部で六着ほど作ったけれど、中でも一番の力作よ」
キリエに許可を取り触らせて貰えば、しっかりとした作りにさらに驚く。表だけでなく裏面にも収納が沢山あり、短剣をさせるような部分も見られる。
「一度着てみて、サイズを調節すれば完成。早速やりましょう?」
「うん!」
袖を通し、胸部と腰回りを調節する。
実際に着てみてわかったが、この服は見た目よりも表面が分厚いようだ。
理由を聞けば、
「内側に私の影糸を編み込んでるの。重量は据え置きでも強度は二倍近くある。ちょっとやそっとじゃ破けないから、安心しなさい」
とのことらしい。こんな凄い服を仕立ててくれたキリエに感謝しつつ、私は服の完成をただじっと立って待つ。
「はい、終わり。もう脱いで大丈夫よ」
「お疲れ〜。じゃあ私、今日はもう帰るね? 少しでも血になるものを食べないと」
「ココ、今日うちに泊まらない? 一人じゃ心配だわ」
「ううん、遠慮しとく。問題が解決したらそのうちお願いするよ」
「……そう。明日は近くの広場でお昼に待ち合わせでいいわね? 何かあったら、遠慮せずに言うのよ?」
「宿屋の人もいるから平気だよ。……バイバイ」
服の最終調整が済めば、ここにはもう用事は残っていない。予想通りのキリエの心配は遠慮しつつ、足早に店を後にした。




