出会って歓迎 第二話
「…………」
「? なにか?」
「!! な、なんでもないです」
無意識のうちに、彼女のことを見つめていたようだ。事実私は今、彼女に見惚れてしまっていた。その理由は舟を出すまでの流れるような作業風景もだが、何より、彼女のその整った顔立ちにあった。
薄茶色のロングヘアーに、キリッとした鋭い目元。前髪で片目を隠しているが、それがまた彼女のミステリアスな雰囲気を強調している。同性の私から見ても、彼女はかなり整った容姿をしていた。金で縁取られた黒茶色の服も、とても似合っている。
見惚れてしまっていたことが本人にバレてしまい、赤くなった頬を隠すように私は手元の地図に視線を落とした。
「『いらっしゃいいらっしゃい!! 新鮮な魚介はうちが一番だよ!! 今日は大量だぁ!!』」
「『お腹空いていないかい? ならうちの饅頭を買っていきな!! 今ならおまけしとくよ!』」
「ん? おぉぉ!!」
ふと上から聞こえる活力に満ちた声に顔を上げれば、たくさんの品物が並んだ店先で、我先にと通行人に向けて商品をアピールする商人の姿が見えた。
「『さぁさぁ皆さんご覧あれ!! 瞬き厳禁、我がサーカス団が誇る天才道化師の大道芸を!』」
「『ご静聴ありがとうございました!! お次はどなたか、リクエストがあればお聞きしたいと思いますがいかがでしょう!!』」
反対岸では、おそらく歓楽区の人と思われる派手な格好をした人達がお客を集めては競うように派手な出し物を出し合っている。
港に限らず、この街の熱気は想像以上だ。先程まで船頭の彼女に向けられていた私の視線は、今やあっちへこっちへと動き続けている。
「凄いなぁ。あとであの店行ってみよう」
「―― もし、そこのお客人」
「ひゃいっ!?」
突然背後から声をかけられ、咄嗟に声の聞こえた方へと振り向く。
「舟旅の友に焼き菓子はいかがかな? 五十リルでどうだい?」
「や、焼き菓子?」
片手に菓子の包を持ったおばあさんが、こちらに優しく微笑みかける。いつの間にやら隣を並走していた商用船から、おばあさんは身を乗り出して話しかけていたのだ。
「さっき出来た焼きたてじゃよ。温かいと甘味も強うなってより美味しいんじゃぞ?」
「えっと、じゃあひとつ」
「なんじゃ遠慮しとるのか? 若いもんが遠慮なぞするでない! ほれ、もう一つおまけじゃ。いっぱい食べてこの街を楽しんどくれよ、お嬢ちゃん」
「えっ!? あ、あの! 本当に一つでいいんです! それと私、子供じゃな」
「今後ともご贔屓にの〜」
「あっ。……行っちゃった」
ほかほかとした手の中の菓子を見つめつつ、離れていく焼き菓子のおばあさんのことを思う。おまけまで貰ってしまって、もしや子供と間違えられたのではなどと考えてしまう。
ちゃんと訂正できただろうか。いくら身長が低くて胸がないとはいっても、一端の女性として子供に間違われたくない。
「ふふっ、あの人らしいわ」
「え?」
「あぁ、ごめんなさい。貴女のことを笑ったわけじゃないのよ」
そう言う彼女の顔には、悪意のカケラほども感じられない柔らかな微笑みが浮かんでいた。
「あの人はお客のことを、坊ちゃん嬢ちゃんと呼ぶのよ。あの人に悪気はないから、許してあげて?」
「有名な方なんですか? あの人」
「えぇ、皆知っているわ。この辺の名物だもの」
舟を漕ぐ手を止めず、それでも笑顔で会話を続ける彼女。私自身経験はないが、それでもこんなに余裕そうな表情を見せられるものだろうか?
「船頭さん、おひとつどうですか?」
「あら? いいの?」
「はい! おばあさんは出来立てが美味しいって言ってましたし、それに、一人で食べるのも寂しいじゃないですか」
「優しいのね。なら、お言葉に甘えさせてもらうわ。実は少しお腹が空いていたの」
オマケで貰った方の焼き菓子をプレゼントして、私も包を開け一口。しっとり柔らかく程よい温かさの奥から、とても清々しい林檎の香りと優しい甘さ、そして微かな酸味を感じる。確かにこれは、温かいうちに食べた方がいい。まさしく絶品。
「変わらないわね、この味は……美味しい」
彼女もとても満足したようだ。彼女は渡した焼き菓子を、オールを漕ぐ手を止めず器用に齧っていた。甘いものが好きなのだろうか?
しかし、おばあさんの焼き菓子のおかげでだいぶ彼女とも打ち解けられたような気がする。少なくとも、もう最初の変な空気はなくなった。
「あの、船頭さんはこの街に詳しかったりしますか?」
「仕事上、大体のことは把握しているわ。何か困りごと?」
「私、今日初めてこの街に来てまだなにもわからなくて。なので今晩泊まる宿と、オススメの観光スポットをいくつか教えて欲しいです」
「そうねぇ」
少し視線を下に向けて、彼女は考え込む様子を見せる。その後ほんの少しだけ静かな時間が流れたものの、すぐに彼女は口を開く。
「まず、宿の値段は区画ごとに傾向があるわ。安い方から順に、交易区、工業区、農業区、歓楽区の順番ね。工業区と農業区の値段にはそこまで差はないけれど、私のオススメは農業区の宿かしら」
「農業区、ですか?」
「農業区はその名の通り、穀物や野菜の栽培、牛や豚などの飼育で成り立っている区画でね? 宿の食事所には、採れたて新鮮な食材がいつも並べられるわ。とても美味しいのよ?」
「おぉ!」
食事! 確かにそれは私にとってなによりも魅力的だ。私は人と比べても、結構食事は多く食べる方だと思っている。どうせたくさん食べるなら、ご飯は美味しい方がいい。
「逆に交易区は、やめておいた方がいいと思うわ。あそこは男性の方が割合は多くて、女性には色々と向かないと思う」
「なるほど」
彼女の言葉から察すると、工業区は安さの代わりにご飯が農業区よりも悪くなって、歓楽区は値段の代わりにサービスが良いようだ。
あくまでも傾向であって全部の店がその通りじゃないとは思うけど、確かにその中なら私も農業区に行きたいと思う。
「わかりました。とりあえず農業区で探してみることにします」
「後は、観光だったかしら? この街が初めてなら、それこそ歓楽街をオススメしたいのだけ……ど? あら?」
「これは、音楽?」
水路を進んでいると、何処からか弦を弾く音が風に乗ってやってきた。まるで、この街に来てからずっと聞いていたような。人が無意識に息を吸うように、そのメロディは自然と体の奥に溶け込んでいく。
「珍しい。詩人が弦を弾いてるわ」
「詩人?」
「全身白服が特徴の不思議な人よ。たまに人前に現れてはこうして曲を弾いて忽然と姿を消すの。よっぽど運が良くなくちゃ、まず演奏を聞くことはできないはずなのに……あ、ほら。あそこ」
オールから手を離し彼女が指差す先に目線をやれば、確かに白服に木製の楽器を携えた人物が立っていた。全身でリズムをとりながら、目を閉じて音色に聞き入っているように見える。
「~♪♪ フー♪ フーフー♪」
思わずリズムに合わせて鼻歌を歌う。
船頭が気を利かせてくれたのだろう。舟の進みが弱くなり、速度はとてもゆっくりとしたものになっている。
演奏はそのまま佳境へと入っていく。少しずつ音色は早さを持つようになり、合わせてそれも奏でる白服の動きもとても早いものとなる。
やがて、曲の終わりが間近に迫った次の瞬間……――
「っ!!」
楽器の弦が一際強く弾かれ、勢いを全身で表現した白服の身につけた羽織が風に靡く。
そして、演奏を終えた白服は曲に聞き入る私の目をしっかりと捉え、
「ようこそ、水の街クエリアへ! 私は君を歓迎しよう!!」
と、言った。