手紙と決意と side:キリエ 第百九話
扉の奥から、朝の清らかな日差しが入り込む。遠慮など一切なくずかずかと孤児院の中に侵入する光は、健やかに眠る彼女の瞳を照らす。
「ん……んぁぁ……」
もう、朝……?
バタンッ!
「起きろーーーーーー!!」
「お姉ちゃん起きてーー!」
「グッ!?」
子供たちの熱烈なモーニングコールによって、私はなんとも言えない目覚めを味わうことになった。朝からお腹に助走をつけて飛び込まれれば誰だって起きるでしょう。いてて……
「それはやめなさいって何度も言っているでしょう? もう」
「姉ちゃんが起きないのが悪いんだぜ? ご飯もうできてるからはやく準備しろってさー」
「今日はね~、ニワトリさんの卵を焼いた目玉焼きと、温かいお味噌汁! みんなもう準備できてるから、お姉ちゃんもはやく来てねー」
「わかったわ、ありがとう。……そんなに寝ちゃったのね」
私の部屋から子供たちが出て行ったのを確認してから、私は服を着替え髪を整える。今日もお店の方はお休みにしているので比較的簡単に済ませられる。
ココと半ば喧嘩別れのような状況に陥ったあの日から、私はお店を休みおじいちゃんの孤児院を手伝っている。つい最近始まった書類関連の仕事は手伝えないけれど、子供たちの面倒や家畜たちの世話をするのは何年も続けているので慣れている。それでも最初は日々の裁縫作業のせいで体力が落ちて、子供たちに笑われながらの作業になってしまったが。
「よし」
身だしなみ終了。薄着の涼しい服装に着替え、皆のまつ食堂に急ぐ。
――ココと別れた夜に、おじいちゃんが言った言葉。
『おぬしは今、自分を見失っておるんじゃよ』
その意味が、私にはいまだ分からずにいる。
「おっ! 来たなぁキリエッ!!」
「遅いよ姉ちゃん! 待ちくたびれちゃったよ!」
「お腹空いた~、早く食べよ~よ~」
「待ちなさい、ご飯はみんな揃ってからっていつも言っているでしょう?」
孤児院の子供たち、住み込みで働くおじさんおばさんが一堂に会する食卓。ずらりと並べた今日の朝食を眺めていると、長机の上座に座るおじいちゃんが子供たちとの会話を切り上げて私に声をかける。
おじいちゃん、最近は夜遅くまで仕事しているのに毎朝必ず顔を出すのは凄いと思う。私だってきちんとしなきゃとは思っても、つい誘惑に負けて朝食を抜くことがあるのに。
「おおキリエ、おはよう。よく眠れたかな? 久しぶりの肉体労働は疲れるじゃろう?」
「おはようおじいちゃん。えぇ、昨日は布団に入ったらすぐに眠ってしまったわ。遅くなってごめんなさい」
「構わんよ。わしらだって寝坊するときくらいあるわい。のぅ?」
「……なんで俺のこと見るんすか」
「そうね~。朝寝坊した挙句、昼を飛び越えて夜ご飯にすら顔を出さなかった人に比べれば、ねぇ?」
「バッ!? な、なんでそれをキリエの前で言うんだよっ!? 秘密にするって約束したろ! 第一、お前だって朝あいつに起こしてもらわなきゃ寝坊するくせに!!」
「そうね~。そろそろ一人で起きられるようになってほしいわねぇ?」
「なっちょ!?」
「朝から元気じゃの~二人とも。ほっほっほ」
「ふふっ」
変わらない、昔と何も。おじさんもおばさんもみんな、本当の家族のように接してくれている。
毎朝みんなでご飯を食べて、みんなでお仕事をして、昼食を食べて、仕事して、お風呂に入って、ご飯を食べて寝る。変わることのない平和な毎日なんだ。
それはココと出会う前も後も、何も変わらない。
″ ココ ″
「ねぇおじいちゃん、俺お腹空いたよ~」
「おお、すまんすまん。さぁ、キリエも座りなさい。みんなで朝ご飯を食べよう」
「お姉ちゃん! こっちこっち」
これ以上子供たちを待たせるのはかわいそうだと思い、並びの一角から私を呼ぶ声に従い席に着いた。
私を呼び、私の隣に座るのは個人の中でも年長組に入るミオ。ココが工業区から孤児院まで届けてくれた、あの子だ。
「おはよう、ミオ」
「おはようお姉ちゃん! えへへ、お姉ちゃんとお話ししたくて席頑張って取っておいたんだよ?」
「わざわざありがとう。助かるわ」
「――では皆。今日も一日力を合わせて、沢山がんばろうのぅ。いただきます」
「「「いただきます!!」」」
手を合わせ、食材たちに感謝の言葉を告げてから思い思いに箸を動かす。私はいつも、潤いのために汁物からいただいている。今日のお味噌汁はねぎと豆腐のシンプルなもの。でも、いつもより少し味が薄いような気がする。もしかしてこれは……
「んふふ~、美味しい?」
「やっぱり、今日のお味噌汁はミオが作ったのね?」
「正解! よくわかったね~」
「味がいつもより薄めだもの。優しい味わいで朝食にはもってこいね、美味しいわ」
「やった!」
私が無意識にこぼした一言に、ミオは全身で喜びを表現する。はしたないと思う反面、その姿がとても可愛らしい。ミオは最近、朝昼夜の料理をよく手伝うようになった。理由を聞けば秘密だと彼女は言うけれど、私はその理由をなんとなく察していた。
あれは半月ほど前、ココがまだ図書館で仕事をしていた時期のこと。
『? こんな時間に光? まだ誰か起きてるの?』
深夜、調理場でなにやら料理をしているミオを見つけ、声をかけた瞬間慌てて部屋に戻った時があった。
どうしてそんな時間に私が起きていたのかって? ……乙女の秘密よ
『お、お姉ちゃん!?』
『ミオ、ちゃんと寝ないとダメでしょう? ……? その本は?』
『へっ!? み、見ちゃダメ!! すぐに寝るからあっちいって! お休み!!』
『ちょ、ちょっと』
彼女の持っていた本はいわゆるレシピ本というもので、部屋の棚に置かれていた本だ。中には時間ごとに喜ばれる味の付け方や、食べ合わせに関する知識などとてもためになる内容ばかり。私も小さい頃はお世話になったものだが、その時はまさかミオが料理に興味を示すとは思いもしなかった。
でも、その日からミオは定期的に私に話しかけるようになった。
『ねぇねぇ、ココお姉ちゃんいつ来てくれるかな?』
『ココ? そうね……まだ先かしら』
『そっかー……』
いつ来るのか、早く来ないかとココの話題ばかりを出すものだから、私はミオがココに料理を食べさせたがっていることにすぐに気が付いた。それから桜花との戦いの後、病院を退院したココを孤児院に連れて来た日に、ようやくミオはお手製の料理を振る舞うことができた。
あの日から今日にいたるまで、彼女の料理への熱は一向に覚める気配を見せない。
″ ココ ″
「ッ」
何も変わらない。彼女と出会う前の日々と何も変わらない。なのに、どうして私の頭にはココのことばかり浮かんでくるのか。私は自分で、彼女よりも孤児院を取ったじゃないか。今更、どの面下げてココに会いに行けばいいのよ。
温かいみそ汁を流し込んでも、ほかほかの米を頬張っても、とろとろ半熟の卵を食べても、ずっと頭には彼女のことばかりが浮かんでいた。それは朝食後、後かたずけのために食器を片付けている間も、ずっと
「……はぁ」
朝から深いため息が出てしまう。他のみんなはそれぞれ仕事に付いたり作業のための準備に取り掛かったりしている。私だって、この後は作業着に着替えて仕事に入る。
はやく食器を片付けなくては。頭ではわかっているのに、体が思うように動いてくれない。
「……はぁ」
「キリエ」
「っ!? お、おじいちゃん。びっくりさせないで」
「考えはまとまったかの。今日の寝坊は、遅くまでそれを考えておったからじゃろ?」
「ッ!!」
食堂に残っていたおじいちゃんに背後からそう問われ、ふいの一言に鼓動が早まる。
今日寝坊をしてしまった理由を、正確に言い当てられてしまった。
「……まだ、決まってない」
「そうか……あまりこれを言うべきではないかもしれんが、決断は早い方がよいぞ。なぜなら――」
おじいちゃんは、いつになく真面目に私の顔を見る。今のおじいちゃんの顔は、今まで見てきたどんな男性よりも威厳を感じさせる顔つきだ。
「後悔は、いつも後になって襲ってくるものじゃからな」
「 キリエ!! 」
おじいちゃんの真剣な言葉の背後で、食堂の扉がいつにない勢いで開かれる。スライドする扉が、端に当たって強い音を響き渡らせる。
「お、おばさん? どうしました?」
「玄関にあなた宛てに手紙よ! 差出人は書かれていないけど、あなた宛ての手紙なのよ!」
「私、に?」
そういって強引に私に手紙を押し付けるおばさん。私宛の手紙ならもしかしたら仕事の依頼かもしれない。お店が閉まっているのでわざわざこちらに手紙を送ったのかも。
手紙の内容は把握したが、そこまでおばさんが慌てる理由はわからない。受け取った手紙をゆっくりと開き、私は一文字ずつ丁寧に読み上げていく。
――その後、手紙を読み終えた彼女の表情は、決して明るいものではなかった。決断すべき瞬間が、もう目の前に迫っていた。