決断
今日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
放課後を迎えた教室には俺のように帰宅する準備を進めている生徒や、友達と語らい、この後の予定を立てている生徒達の姿がある。
「未来、帰ろうぜ」
「あぁ、了解。岡野さんも一緒に帰ろう」
「うん、一緒に帰ろう!」
3人で教室を出て、廊下を歩く。
そこに、会話はなかったが嫌な沈黙というわけではなく、むしろ心地よい沈黙だった。
「あのさ…」
沈黙を破ったのは俺のそんな言葉。
覚悟を決めるために、どうしてもこの言葉を俺は言わなければならない。
「俺、今日、決めるよ…」
「今日?いや、そんな焦んなくても良くね?」
「霧野君の言うとおりだよ…そんな無理して早く決めなくても…」
「まぁ、その通りかもしれないけど、それじゃあ永遠に先延ばしにしちゃいそうだから」
2人の言うとおり、焦る必要はないと思わないこともないんだ。
だけど、ここで決断しなかったら延々と決断を先送りして、そのまま今回の事を忘れてしまいそうで怖い。
だから、こうして言葉にして、ちゃんと実行したいんだ。
そんな風に2人に伝えると、2人は呆れたような、けれど嬉しそうな顔をして、言葉を紡いだ。
「覚悟は決まってるってわけか……了解、そこまで言うなら止めねぇよ」
「絆野君がそう言うなら、私も止めないよ…頑張ってね!」
「ありがとう、頑張るよ」
2人にそうお礼を口にしながら、俺は再び歩を進めるのだった。
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「ふぅ、さて、決めるとしよう…」
2人と別れて家に帰ってきた俺は、手洗いうがいをしたあと、すぐに自分の部屋へと向かった。
そして、荷物を下ろしリアルクロスのアプリを開こうとする。
「いざ、開くってなると緊張するな……ふぅ…よし!」
意を決して、リアルクロスのアプリを開く。
そして、しばらくして、画面に2人の少女の姿が映る。
『ミライさん、お帰りなさい…大丈夫でしたか?』
『ミライ殿、その…気分は如何ですか?』
「2人共、ただいま。気分はまぁ悪くないよ…心配してくれてありがとう。2人共」
『そうですか…元気になってくださったのなら嬉しい限りです』
俺の様子を見たアスカが、安堵した表情でそう口にする。レイアもまた俺の様子を見てホッと胸を撫で下ろしていた。
どうやら、2人にかなり心配を掛けてしまったみたいだ…本当に申し訳ない。
まぁ、その優しさが嬉しくもあったんだけど。
「実は、2人に聞きたいことがあるんだ」
その言葉に2人は最初首を傾げていたが、すぐに俺の目を真っ直ぐ見て、続きを言うように促してくる。
俺はそれに応えるように、言葉を紡いだ。
「2人は何の為に戦ってるんだ?戦うのって怖くないのか?」
それは、俺が前に進む為に2人から聞きたかったこと。
何故、俺はあっちの世界で戦うかどうかをここまで悩んでいるのか?さっさと忘れて、普通の生活に戻れば良いだけの話なのに、俺は何故その選択を取れずにいるのか。
色々と考えてみたけど、結局自分の中では答えは出ず、かといって岡野さん達に相談できるようなことでもなくて、2人に頼ることにした。
2人から戦う理由について聞けば俺の道も開けるかもしれない、そんな期待を持ったからだ。
『…私はアストリウスの姫です。私にはアストリウスの民を守る責務があります…ですが、例え姫でなくても私はきっと民のために戦ったでしょう』
最初に口を開いたのはレイアだった。
俺は彼女にどうしてと聞き返す。
『私は、ただ後悔したくないだけなんです。助けられる人を助けないで、見捨てたら後悔する…もし、その人々を救う為に戦わなければならないなら、私はこの命を掛けて戦います』
「後悔したくないか……怖くないのか?だって、死ぬかもしれないし、もしかしたら死ぬより酷い目に遭うかもしれないのに…」
『そうですね…怖くないと言えば嘘になります…ですが、何もしないで助けを求めている人が死んでしまうことの方がもっと怖いんです』
「そっか……それはなんというか、すごいね」
すごいんだけど、それを手放しで称賛することはできないな…だって、その理由ではレイアを助ける人が誰も居ないことになる。
って、今は理由を聞いているだけだし、これ以上は一旦踏み込まないようにしよう。
「ありがとう、レイア。アスカはどうして戦うんだ?」
『…私はアストリウスを守る剣士として、その責務を果たす為に戦っています』
「責務を果たす?」
『はい。私の責務はアストリウスの民を守る剣となることです…私が、いえ私達が倒れれば私達の後ろに居るアストリウスの民が、敵によって蹂躪されてしまいます。だから、私達は負けるわけにはいかないのです』
「だから、戦うのか?」
『はい。例えこの身が果てようとも、民を守る為に全力を尽くします』
「そっか…アスカも似たような理由なんだな…」
2人共、誰かを守る為に戦っている。
すごく立派な理由だと思う…だけど2人共、自分を救う対象にはしていないのが引っかかるな。
まぁ、俺はそんな2人に説教できるほど偉い人間じゃないけど。
『ミライさん……ミライさんは、どうしてアストリウスの民を守ろうとしてくれたんですか?』
「えっ…?」
突然の質問にそんな声を洩らしてしまう。
『言ってしまえば、ミライさんにとってアストリウスの民はほとんど関わりのない、赤の他人です。それなのに何故、助けようとしてくれたんですか?』
質問していたのは俺のはずなのに、レイアに逆に質問されてしまう。
いきなりの言葉に、上手く頭が働かない。
何故、か…あの時は特に深く考えてなんかいなくて…ただ、助けなくっちゃって、そう思って。
でも、何でそう思ったんだろうか。
確か、あの時は岡野さんにこれから起きることを聞いていて、賑わっている街を見ながら、ここに居る人達をどうにか助けられないかって思って……あぁ、そうか。
「…俺はただ、目の前で元気に生きている人達が理不尽にその命を奪われるのが嫌だったんだ」
そう口にして、ストンと腑に落ちた。
俺が悩んでいたのも、きっとこれがその理由だ。
俺は、自分がダイブすることを投げ出して、その結果、その世界に生きる人々の命が理不尽に奪われるのではないか?俺がダイブすればそんな被害を抑えられるんじゃないか?
そんな独善的なことを心のどこかで思っていたのかもしれない。
まったく、思い上がりも甚だしい。俺1人の影響力なんてたかが知れている。
神の使徒になって、随分天狗になっていたようだ。
だけど、被害を抑えようという考え自体は悪くない。
「ありがとう、2人共。おかげで覚悟が決まったよ」
『覚悟…?』
「…俺は2人と一緒に戦うよ。正直、戦うのはまだ怖いし、出来れば戦うなんてごめんだけど、それでも出来る限り多くの人達を助けたいんだ」
『ミライさん…!えぇ!一緒に頑張りましょう!』
『ミライ殿、これからもよろしくお願い致します。このアスカ、貴方の剣となりましょう!』
「うん、よろしくな!ただ、1つ頼みがあるんだけど」
『はい、何ですか?』
『何なりとお申し付けください』
「…2人共、自分の命も他の人と同じくらいに大切にしてくれ。それが俺の頼み」
俺の言葉を聞いて、2人は微笑みながら力強く頷いてくれた。
『安心してください。ミライさんを置いて、いなくなったりしませんから』
『私もミライ殿を置いて、命を粗末にしたりはしません、約束します』
「ありがとう。それじゃあ、俺はそろそろ戻るよ」
『わかりました。では、またお会いしましょう!ミライさん!』
「あぁ、また…」
俺は2人にそう言って、アプリを閉じる。
「さて、とりあえず岡野さんに連絡してみるか…ちゃんと俺の決断を伝えないと」
そうして、俺は昨日教えてもらった岡野さんの電話番号に電話を掛ける。
コール音がしばらく鳴り響き、程なくして岡野さんが電話に出た。
「あー、もしもし?岡野美里さんのお電話でしょうか?」
『そうだよ!絆野君、私の電話番号忘れちゃったの?』
「いや、そういうわけじゃないよ…ただ、一応念には念をって思ってさ」
『まぁ、確かに間違って別の電話番号に掛けちゃうこともあるもんね。それで、電話を掛けてくれたってことは決まったの?』
「うん。俺、あっちの世界でまだ戦うよ」
俺の決断に、岡野さんは一瞬口を閉ざす。
もしかしたら、岡野さんとしては戦ってほしくなかったのかもしれない。
『…わかった、絆野君がそう決めたなら止めない。本音を言えば戦ってほしくないけど』
「ごめん」
『良いよ。なんとなくそんな気はしてたし』
「そっか、えーと、ありがとう…後、これからも協力してくれると嬉しい」
『もちろん!指示は任せて!絆野君のことは私が必ず守るから』
「ありがとう。そういや、決断した後に岡野さんがレイアルートに詳しい理由を教えてくれるって話だったよな、教えてくれないのか?」
『それについては、明日私の家で話すよ。ちょうど明日から土日休みでしょ?』
「あぁ、そういえばそうだっけ…色々とありすぎて感覚がおかしくなってた」
『それはしょうがないね。ちなみに何か予定あったりする?』
「特にないよ。何時に行けば良い?」
『じゃあ、朝の10時に家に来て。待ってるね!』
「了解。それじゃあまた明日!」
『うん、また明日!』
岡野さんのそんな声を聞きながら、俺は電話を切った。
「ちょっと未来!今の話ホント!?」
「おわっ!母さん!?急に入ってくるなよ!びっくりした…」
「未来、明日デートに行くの?」
「デート?というか、どこから聞いてたんだ?」
「何時に行けば良い?って聞いた所からよ」
「あー、そうなんだ」
とりあえずリアルクロスについての話は聞かれてないみたいだけど…デート?あれ?確かにこれってデートに入るのか?
「未来、頑張って!お母さん、応援してるから!」
「えっ、いや…え?」
俺の肩をポンと叩き、母さんは上機嫌で部屋を出ていく。
俺はそれを見送りながら、明日の事に思考を働かせるのだった。