18.説得と本音
カノアのところに着くと、体に傷を負っていて、気を失っていた。
一瞬、死んでしまったかと思ったが、よく見ると、呼吸をしており、何とか生きていた。
生々しく、服を貫き、皮膚に届いていて、そこから血を滲ませている裂傷を見た瞬間、刀気は吐き気を催す。しかし、それを必死に抑えて、少女の方を見た。
ここで吐いてしまっては、せっかくの決意が揺らいでしまい、自信をなくしそうになる。
こうも、おぞましい程に開いている傷と、出血を生で見るのは、これまでなかったが、それでも抑え続けていく。
喉に込みあがってくる、熱く少しの痛みがあるものを、無理矢理戻していった。
抑え終えてから、漆黒と化している想像の具現化剣を見ると、彼女の手から離れていて、横たわっている。
刀気は、近づいて、しゃがみ込んでから、声を掛ける。
「おい! カノア! 目を覚ましてくれ」
これで目覚めなければ、説得どころではなくなる。場合によっては、病院に連れて行かなければならない。といっても、案内のときに、病院はなかったので、どこにあるのか、分からなかった。そうなると、ランを呼んで、この場を撤退し、場所を案内させることになる。まあ……、風景的に病院があるかは、分からないが、診療所的な所はあると思いたい。
だがそれだと、避難している住民達に、危険がおよぶ。カノアか住民か、どちらかを選ばなければならない。確かに、誰一人として、死なせはしないというわけではないが、カノア達のことを考えると、国民を見捨てるのは後味が悪い。
なので、何としても、カノアには気がついてくれるように、しなければならないのである。
すると、カノアの瞼が開き、ガバッと起き上がると、口を開く。
「はっ! 妾はいったい……、そうだあやつを……、あやつを、妾の手で屠らなければ」
どうやら、幸いなことに、狂ったような声ではなく、聞き慣れた声だった。
そうして剣を持ってから駆けて行くカノアを、刀気はすかさず腕を握って、止める。
ここで止めなくては、刀気が来た意味がなくなる。なので、少々荒っぽいが、握った手に力を入れる。
カノアは、それに抗うように、掴まれた手に力を入れながら、顔を振り向かせ言う。
「放すがよい。妾が……、妾が倒さなくてはならない、如何に貴様とて、邪魔をするのなら……うぐっ!」
腹部から、裂傷による出血で、負傷したカノアは、体を前に曲げて、苦しい顔をする。
そんな彼女を見て、刀気は、カノアの目を真っ直ぐに見て、口を開く。
「その傷では、無理だ! 止血して、俺の話を聞いてくれ」
止血といっても、ガーゼなどなく、応急処置になるが、カノアが落ち着けるのならそれでいい。
すると、傷が無くなり、元の状態に戻っていた。
正確には、それを含め、服の裂けている部分がなくなり、血が肌に付いたものさせ消えていく。それはあたかも、傷がなかったかのように、なっていた。
「この程度の傷、妾の剣の能力で十分だ。まあ、表面上こうしているだけであるから、傷自体が消えたわけではないがな」
そう言って、体を曲げ戻し、顔も元に戻す。
どうやら、カノアの想像は、傷をなかったかのようにするほどであった。まあ……、カノアの性格を見た時から、ある程度予想はついていたが。
それでも刀気は、首を強く横に振った後、言葉を発する。
「それでもダメだ。今行ったって、さっきの二の舞になるだけだ」
そこで、少し間を開けてから、本来の目的を伝える。
「だから俺は、お前を説得しに来た!」
カノアは片腕を振りながら、刀気の手を離し、剣を納めてから彼の方を向いて言う。
「貴様に何がわかる! 説得などと、そんな悠長な時間などない。それに、妾を説得して何になる」
確かに、時間はそう長くはない。ランが、いつまで持ち堪えるか、分からない以上、時間を掛けるのは難しい。
だが、刀気は説得することを、諦めてなかった。
刀気は、カノアの両肩に手を置いて、力強く言う。前例があるため、成功率は低いが、確認のために、一応してみることにした。
「それでも、俺はそんなお前を見たくないからする。いいか、信じてもらえないかもしれないけど、お前の仇は、もうレイさんが倒したんだ」
カノアは眉をひそめ、反論する。
「貴様までそれを言うか、あやつは生きておる。そんな戯言聞きたくはない! 今トーキの後にいるのが、我が仇敵だ!」
その激しい語気に、怯みそうになるが、寸前で止め、少女を凝視していく。
説得していくのに、相手に怯んでしまっては、示しがつかないので、気づかれないように、平然な態度をとる。
刀気は、カノアの思い込みが強いことを感じ、別のことを言う。
「だったら、そんなことして、亡くなったお母さんは、喜ぶのか? 死ぬかもしれないんだそ。そしたら、悲しむんじゃねぇのか? お前はそれでいいのか!」
ここで、マイのことを出すのはどうかと思ったが、説得が優先であるため、そうは言い切れなかった。
実際、方法はあまりなかったので、言ってしまえば、使えるものは使うことにしたのである。
するとカノアは顔を伏せ、思いもよらないことを言った。
「死かぁ……、それでもよい。死んだとしても、あやつを殺せたならば、本望だ。妾も母上の下に、至れるのだからな。デュルフングは、貴様らに任せる。妾は、救世より、復讐を遂げれば、それでよい」
その言葉に刀気は、人はこんなにも諦め切れるものなのか、と思った。
デュルフングを任せる、と言っていたが、カノアがいなくなったら、国を救ったとしも、心から、喜ぶことは出来ない。それは、ラン達もだろう。
刀気は手を離して、言う。
「ダメだ! 母親だけじゃない、ラン達、そして……なにより俺が、一番悲しむ。だから死ぬな!」
一番というのは、言い過ぎな気がしたが、それだけ、刀気はカノアの死に、悲しむということである。
刀気は、出陣前のことを思い出しつつ、生きることを諦めてしまった少女に、強く言う。
「俺に言っていたよな、お前達が俺を死なせないと、それと同じくらい、俺もお前達を死なせたくないんだ!」
人の死は悲しいことだが、相手に死なせたくないと言ったのは、これが最初だった。
カノアは、頬を赤めて、顔を上げて言った。その目に涙をにじませながら。
「そんなの……、そんなの分かっているわよ! でもダメなんだ……、あいつを倒さないと、あたしの気が済まないのよ!」
それを聞いた刀気は、胸が痛み、必死に抑えて、顔を伏せる。
そして、口中で、今のカノアについて、言葉にした。
――こいつもこいつで、罪を償おうとしているのか。何もできずに、母親の死を見ていた罪を、死も厭わない覚悟で……、でも、これは間違っている。こんなことしたって、誰一人喜ぶ人はいない。それよりも、みんなと一緒に幸せに生きた方が、天国のマイさんだって喜ぶはずだ。だから俺は……。
咄嗟に刀気は、カノアを抱いて、言った。
「俺がカノアを、悲しませない!」
「強い自分? 弱い自分? どっちもお前だろうが!」
「こんな償い、俺は認めない。復讐よりも、幸せに生きて、ここを救った方がいい。それならば、俺は全力で協力する!」
「なんなら、さっき俺が、言っておいてなんだけど、命を懸けてでも誓う。だって、俺は……」
抱いたのは、咄嗟であったが、言葉は偽らざる本音である。
伝えたいことをぶちまけたが、一番大きいものは、敢えて、言わなかった。
何故なら、それは、今ではない気がしたからだ。
最大の本音――想いも言いたいという衝動があるが、いずれその時は来ると信じて、心の奥底にしまい込む。
刀気にとって、こんなに言いたいことを言ったのは、初めてだと感じた。
以前までの刀気では、進んでしないことだが、カノアを助けたいという一心が突き動かしたかのように、途切れなく言い切った。
元の世界の友人達とは、主な繋がりがゲームであった為、そこまで強くはなく、本音をぶつけ合うことなどなかったのである。
しかし、異世界でカノア達と出会ったことにより、彼らとは違う繋がりを得て、言いたい放題で争うカノアとランから、本音で言うことは別に悪いというわけではないと思った。
だからこそ、刀気は、彼女に伝えたいことが言えたのだろうか。
これで、説得が成功したかなど、気にも留めていなかった。ただ単に、思いをぶち込んだだけである。
刀気は、抱いていたのを解いて、真っ直ぐにカノアを見る。
カノアは、驚いた顔をしていたが、顔を真っ赤にして言った。
「い……いきなりなにすんのよ。……でもありがと。さっきの言葉で思ったけど、あたし……死にたくない。だから、生きてデュルフングを、あたし……ううん、あたし達で救ってみせる」
「だからトーキも、全力で協力してよね。命、懸けているんでしょ」
刀気は、そのときカノアが心から笑顔になったのを、初めて見た気がした。同時に、心臓が一回、大きく鼓動し、鼻と口の間に熱さを感じた。つまり刀気は、照れていたのである。
そのことを、不意に口にしていく。
「お前が、そんな顔するのは、初めて見たかも」
そこにいるのは、復讐鬼の狂少女ではなく、笑顔の似合う女の子である。
もし、マイが死なず、国が救われていたら、今のような顔をして、母娘水入らずで暮らしているのだろうか。
そう思い、刀気は、年相応の可愛い笑顔をする少女を、微笑みつつ、見詰める。
カノアは一瞬、驚いてから、言う。
「ふえ……? なに変なこと言うのよ。……でもあたし、こんなに笑ったの久しぶりかも」
意外な返しに刀気は、内心、驚く。実際に、そんな可愛らしい二文字を言うことに、さらに顔を赤くする。
可愛らしい、そう感じたとき、刀気の胸の奥深くにある想いは、錯覚ではないということを、確認した。
結果はどうなってもいいので、いずれこの想いを伝えることを、決心する。
照れたカノアだが、すぐに頭を振って、刀気に言った。
「さて、じゃあランが心配だし、戻ってきて――」
するとそこで、カノアは、はっとして深呼吸したのち、言葉を発する。
「では、ランの奴が心配しているだろうし、トーキよ、戦場に戻り、決着を付けようぞ」
刀気は首をかしげかけたが、カノアに突っ込む。
「言い換える必要あったか? まあでも、それでこそカノアだな」
二つの顔があるのが、カノアという少女であることを、確信した。片方が悲惨」な過去から生まれたものだとしても、それも彼女である。
少々分かりにくい言い回しをするが、その顔に、刀気は、二度ほど助けられている事実が存在する。
カノアは、何度か見たポーズをして、口角を少し上げてから返す。
「フッ、そんな戯言が言えるのなら、問題ないな。では行くぞ!」
そう言って、歩き出すカノア。しかし、刀気はその顔が、少し赤くなっているのを、見逃さなかった。
その姿に、刀気は、カノアの『何か』が変わった、と感じる。
説得で元に戻せばいいと思っていたが、まさか、このようになるとは、想定していなかった。
「ああ! こっからが本番だ! 三人で戦えば、絶対倒せる」
刀気はそう答えて、後に続く。なにも、後半は、根拠もなしに言ったわけではなく、ランの力強い一撃とカノアの判断力、そして刀気の敵にとって未知数の力があれば、勝てると信じているからである。