13.くしゃみと噂(うわさ)
「っくしゅん……」
宿舎の管理人室で、くしゃみをする女性――レイは、風邪かと思い額に手を当てるが、熱っぽさはなかったため、そのままにした。
もし風邪だとしたら、大事を取って休むべきだが、今日に限っては、休めない理由があるので、風邪ではないことに安堵の息を吐く。
それを確認した後、手を離し、言う。
「風邪ではないということは、誰かが私の噂でもしているのか。……まさかな」
昔の自分であれば、噂の一つや二つはあると思うが、今はとっくに、戦いから身を引いているので、ほぼないだろうと思っている。
たとえあったとしても、するのは、十中八九カノア達だろう。まあ……、新加入の刀気は、初日からレイの噂をするとは、思ってないが。
今いる、管理人室は、レイの自室を兼ねている。内装は、現在、鎮座している椅子とその前に机があり、その上にランプや書類、ペンなどがある。そして、縦長の扉とベッド、奥に窓、という配置だ。
机にある書類は、管理人の仕事の一つで、ブレイドガールズ――今は、オーナーズ・オブ・ブレイドだが――の活動報告を書く。その後、ガードル中心部にある城に行き、デュルフング国主に提出するという、仕事である。
これについては、本来は退役したブレイドガールズや、ブレイドガールズのリーダーの仕事であるが、カノアはレイに任せることにしたので、彼女が担当することになった。
国主は、このデュルフングを治める者で、今代の国主は、当然ながら女性である。
ちなみに、デュルフングは大昔、まだ無人島だった時に、一人の女性が降り立った。のちの初代国主であり、今では国祖と呼ばれ、彼女を崇める宗教がある。その女性が、一振りの剣を、見つける。国名にもなっている、デュルフングであった。そして、それが、デュルフングという島国誕生の、きっかけとなった。
最初は、同じく降り立った船員達と開拓していたが、徐々にその大半を彼女がしていた。国祖と呼ばれるようになった要因は、ここにある。
ちなみに、剣のデュルフングは、城の宝物庫へ厳重に保管されている。
宝物庫を開ける鍵は、歴代の国主が受け継ぎながら持っている、鍵一つだけだ。
それと、宝物庫の前は警備が敷かれ、、そこにいるのは、退役したブレイドガールズである。剣の能力を使うことは出来ないが、腕はそのままであるので、並の者では、太刀打ちすら敵わない。
国主は、国祖の子孫が継承する慣わしであり、大半が女性である。確か、現在の国主は第十五代目である。内訳としては、女性が十人で、男性が五人というものだ。
昔、ある代の男性国主が、国主に女性が多いことに疑念を持ち、子孫が産む子が女性であるのなら処刑し、産みなおすという法案を出した。彼は、国主の中でも気性が荒い方で、それ故、このような法案を出したのである。
後に、反対派の者達や国祖の信者達による反乱で、多大な犠牲を払いつつも国主を失脚させ、新たな国主を即位させたことにより、法案は破棄されることになった。
これにより、その後の男性国主は、積極的な姿勢を取ることは、なかった。
なので、男性は女性より、即位期間が短かったという。何故なら、下手に姿勢を取って、あのような結果に至りたくはないからだ。
国主は、この宿舎に訪れたことがあり、現国主は、カノア達が、ブレイドガールズを継承するときに訪れた。レイがブレイドガールズだった頃は、その時の国主は少々物好きであり、城を抜け出しては、レイ達に会いに行ってきたことがあった。
……その時、国主はマイのことを気に入っているご様子だが、レイにとっては、それに胸中で不快感を覚えていた。しかし、相手は国主である、そう思うのは不敬になるので、それ以外は踏み込まなかった。
そう思いつつ、記入途中の書類に目を向け、報告書作成を再開する。
今回のは、色々なことがあったので、いつもより、時間がかかると思っている。
何故なら、刀気のことや、謎刀――言技化丸のこといったのがあるからだ。
刀気には申し訳ないが、仕事であるため、知り得たことは、全て書かせてもらうとする。といっても、不明なところが多いので、そう長くは書けないが。
だが、書いたこと全てを信じさせるのは、難しい。理由としては、情報が少ないこと、刀気の存在がレイ達――デュルフング全国民の概念を根底から覆すことになること、それに何より、それらを証明する証拠が圧倒的に少ないからだ。
なので、この部分が一番、どう書くべきか迷っている。
現国主とは付き合いが長いので、レイが根も葉もないことを報告するとは思っていないが、今回は流石に、書き方を考えなければならない。
このようなことは、デュルフングの歴史、史上初のことであるので、そのまま書いても信じられないのは、明白である。
かと言って、適当に今までの報告書のように書くことは出来ない。何とかして、刀気のことを少しでも信じてもらえるようなものにしなくてはならない。
しかし、その方法が思いつかない。
数秒後、レイはあることを思い浮かべた。
それは、カノアとランの言い分を加えるというものだ。しかしこれは、報告者として恥ずべき行為である。他の者の意見を入れるなど、報告者としての不十分さを、露見しているようなものである。
けどこれが、レイにとって精一杯の方法であるので、そう書かざる負えない。
ひと呼吸した後、レイは書類にそのように書く。
数分後、いつもより少しオーバーしつつも、報告書を書き終える。
これにより、国主や城の重役達を、納得させることができるかは、分からない。それでも、この報告書を、提出することを決める。
これが、どのような結果を起こすかは、知る由もないが、レイは、このことを後悔していない。
何故なら、長い付き合いだからこそ、国主達を信じているからだ。あちらも信じているならば、レイも信じなくてはならない。
レイは、書き終えた書類を見つつ、胸中で言う。
――今日来た少年、鶴元だったか。デュルフングにはいない男性であり、ここのことを知らないという。何故、彼はいた? 確かに病により、男性は一人残らず滅んだはずだ。ならば、もしや――いや、それは不可能だ。ここにいるのは、デュルフング国民だけである。では一体、何者なんだ? それに、ここについて知らないというのが、気になる。国民ではなくとも、少なからず知っているはずだ。しかし、彼を見た以上、そのようなことはなかった。そして、一番の疑問は、鶴元が持っている刀――言技化丸だったな。あいつらが言うには、能力を発動したらしい。だが発動できるのは、女性だけ。なのに、男の鶴元は使って見せた。まあ、あれは、謎刀と呼ばれていた刀だ。なにが起きてもおかしくない。……ますます何者か、分からなくなったな。しかも、今日来たというのに、引っかかる。今日は、あの日というのに……。
刀気のことを考えていると、ふと何か、声が聞こえ、思考が途切れる。
『レイ』
その声に気づき、レイは、ハッとし、あたりを見まわしてから、口を開く。
「!……、マイ?」
そう、この声は、まごうことなきマイの声である。たった二文字であるが、それでも、間違えるはずがない。
次に聞こえた声は、レイにとって、最大の絶望に陥らせた言葉であった。
『レイ……、私の――を……貴女に――。よろ……しく……ね……』
レイは、肘を机に当て、右手で頭を抱え、苦悶の表情をし、言葉を発する。
「くっ、これは、あの時の。もしかして、鶴元に話したからか?――駄目だ。涙は、あいつらの為に、取っておくと決めたはずだ。しかし、ここを、思い出すとは」
マイの遺言を機に、レイは次々と、彼女の言葉を、思い出す。
『私はレイのこと、全然怖くないよ』
――マイ
『今のレイ、可愛い』
――マイ……。
『レイのことを知りたい、レイに私のことを知って欲しいって思った』
――マイ……っ。
『レイ! 危ない!――あ……』
――マイ……っ、私は……。
手を頭から離してから、顔を上げ、表情を戻してから、レイは、口を小さく開いて呟く。
「もう、あれから、十年経つんだな……」
そのままの姿勢で、レイは、心の中で言う。
――マイ、見ているか。お前の娘は、大きく成長している。お前とは違って、面倒な性格をしているが、デュルフングを救いたいっていう気持ちは、人一倍持っている。そこは、母親譲りだな。だけど、マイにはすまないが、あいつはある勘違いを、している。そのせいで、あいつ――カノアは、心から笑わなくなった。まあ、嘲笑などはするが、それでも同じだ。もう私では、どうにもできない。けどそれが、もしかしたら……もしかしたら、解決するかもしれない。今日、あいつらに、新たな仲間がふえた。訳あって、集団名を変えたり、その者を新しいリーダーにしたりしたが。何故私がこう思ったかは、その者があまりにも特殊だからだ。笑わないでほしいが、その人物は、男性だ。ただの男ではなく、剣の能力を使ったという。それもあの、謎刀を、だ。これらの理由は、不明だが、彼――鶴元刀気は、私たちに会うまでは、ここのことを知らなかったそうだ。だから、私は鶴元を普通の少年ではないと思い、そう思った訳である。なのでマイ、私たちを見守ってくれ。そして、鶴元に力を貸して、カノアを救ってほしい。
上げていた顔を下げ、レイは、言葉を発する。
「もしかして、この日に鶴元が来たのは、偶然ではないのかもな。お前のしわざか? それとも……。ま、ともかく、私たちが果たせなかったことを、あいつらが果たすのを、願ってくれ。私も、願っているからさ」
そこでレイは、マイとの思い出を、甦らせる。
マイ達と共に戦った日々、マイと他愛ない話をした日々、そして、マイがカノアの父と結婚した日。
今だからこそ思えることだが、表面では二人を祝福していたが、本心では、新郎に何故か嫉妬していた。
今思えばあれは、マイのことが好きだったから故のものだったと、断定できる。しかし、何もしなかったのは、自分の一方的なエゴで、二人の幸せを壊すのは、マイを悲しませることになる。それに、そのようなことをしてマイと愛し合っても、嬉しくはないからだ。
なのに突然、永遠の別れになるとは、思っていなかった。
まだ伝えたいことや、知りたいことがあったのに、現実は非情であり、その願いを叶えさせはしない。
もしかしたら、その悲しみを振り払うために、ひたすら敵を倒していたのだろうか。それに、自分のせいで死んでいくのを、増やさないために、一人で戦っていたと思える。
そこで思考を止め、レイは、何かを思い出したように、椅子から立ち上がる。
「っと……、そろそろ、時間だな」
「行かなくてはならないな。今日は――」
そう言いながら、管理人室を出た。その手に、事前に買っておいた花束を持ちながら。
そして、宿舎の扉を開け、そこから出たその時――耳に声が届いた。
『レイ、行ってらっしゃい。それと、ちょっと年取ったね。あ、十年経っているから、当たり前かぁ』
その声に、口角を少し上げて、返す。
「余計なお世話だ。けど、久しぶりにマイの声が聞けて良かった。今から、お前のところに行く。……行ってきます、マイ」