蠢く悪魔
「これって……本物なの?」
美優は目の前のものを凝視したまま絶句する。
二抱えはありそうな巨大な円筒が二人の目の前に並んでいた。
同じ筒が二列で等間隔で部屋の奥へと延々と続いている。部屋の奥は暗く筒がどこまで続いているかを見通すことはできなかった。 どの円筒も液体で満たされ、白く大きなブヨブヨした気持ちの悪いものが浮かんでいた。
「本物って、委員長はこの気持ちの悪いものがなんなのか分かるのか?」
「これはカブトムシの幼虫よ」
「カブト、ムシの……幼虫?」
流留はまじまじと円筒を見て、大分してから、ああ、と頷いた。あまりに常識外れの大きさに目の前の光景と知識が結びつかなかったが、委員長に言われてようやく目の前のものがなんなのか理解できた。
「ずげーでかいな。ヘラクレスオオカブトムシかなにかの幼虫かな?」
「ヘラクレスオオカブトムシだって14、5センチよ。
こんなのが成虫になったら3メートルを越えるわ!」
「へえー、ヘラクレスオオカブトムシよりでかいんだ。俺、ヘラクレスオオカブトムシが世界で一番でかいと思ってたけど、違うんだな。
んで、なんで名前?」
「いや、違うから!
ヘラクレスオオカブトムシが世界で一番大きいカブトムシなの。それが正解」
「えっ?
でも、ヘラクレスオオカブトムシが一番大きいって変じゃん。こっちのヤツのが断然デカイのにさ。
ヘラクレスオオカブトムシが世界で一番でかいのが正解なのにヘラクレスオオカブトムシより大きいのが居るなんて……」
「あ――!
ヘラクレス、ヘラクレス、うるさい!
どこの世界に3メートル越えるカブトムシがいるって言うのよ」
「いや、だって、目の前にいるじゃん」
「だーかーら!
これがおかしいってなるでしょ、ふつうは!」
美優は、怒って円筒をバンバンと叩いた。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」
突如として不気味な笑い声が地下室に木霊した。流留と美優はあたふたと周囲に目を向ける。
「上じゃよ、上」
声に導かれ上を見ると地下室の天井の一部が下に降りて、その降りた部分に怪しい老人が立っていた。
「それは儂の大切な研究サンプルなのだ。大切に扱ってもらわねば困るよ」
「「だれ?」」
流留と美優は天井を見上げて、同時に叫んだ。
「ふぉ ふぉ ふぉ ふぉ
儂の名は山吹喜三郎。
世界一の昆虫学者じゃ」
「……委員長。知ってる?」
「いえ。私も昆虫学者さんとか詳しく知らないですね」
「そっかぁ、俺もさ。シートンぐらいしか思いつかない」
「シートンは動物学者。それをいうならファーブルよ」
「そそ、そのファーブル、ファーブル!
ちょっといい間違えた」
「ほんとかしら?」
美優は、流留をジト目で見る。
「あ――、仲が良いところ申し訳ないが……」
「仲は良くないですから!」
「仲、良くねーよ」
「うっ……
ま、まぁ、それは置くとして。そろそろ、円筒の中身について説明してもいいかな?」
「えっ?あ、そうですね。お願いします」
「うむ。
まず、円筒の中身だがそれは、お嬢さんの指摘通り、カブトムシの幼虫じゃ」
「おー、すげーぜ!
じゃあやっぱヘラクレスオオカブトムシよりでかいんだな。名前はなんってんだ?
やっぱヘラクレスチョーデカイカブトムシとかか?!」
「火川くん、うるさい!
あなたはいい加減ヘラクレスから離れなさい!!」
叱責されて、口を尖らせて拗ねる流留を無視して美優は山吹に向かい言った。
「信じられない。こんなの大きなカブトムシの幼虫なんてあり得ないわ」
「勿論だ。私が遺伝子を組み換えて作ったのだ」
「一体なんの目的で?!」
「昆虫の世界を作るためだ」
「昆虫の、世界?」
「お嬢さんは、昆虫と人のどちらが生命として優れていると思うかね?」
「生命の本質は自己の保存だ。
そのために生命は物を食べ、自己の複製である子を産むのだ。そう考えた時、人は何と無駄の多い生命と思えないか?
生きるのに全く必要でないのに極楽や豊かな暮らしと称して資源を食い潰している。なんとも効率の悪い生き物だと思わないかね?」
「人に蟻や蜂のように個性を捨てて生きろというの?」
「馬鹿者!人が蟻や蜂のように生きれるはずがないだろう。
儂が言うのは生命の本質から考えれば昆虫の方が人より格段に優れているとと言っているのだ」
「しかし、人は美しい言葉を紡いだり、自然の謎を解き明かす知恵を持っているわ」
「だから、なんだというのだ。生命の本質は自己の保全だ。その知恵とやらが自己の保全にどれ程役に立っている?
むしろ、資源の浪費を助長しているのではないのか?
その知恵とやらのお陰で、昆虫よりも自分たちの方が優れていると勘違いしてしまうのだ。
なにゆえ人は、自分より格段に優れた存在を『虫けら』などと蔑むことができるのだ?
なぜだと思う?」
「そ、それは……」
突然の質問に美優は言葉に窮した。
「それは、小さいからだ!
虫などいつでも足で踏み潰せるなどと思っているからだ。
ならば、簡単には踏み潰せないようにしてやれば良い。
そう考えた私は、長い年月をかけ、昆虫たちを巨大化させる研究をしてきた。
そして、ついに完成した。これで人が昆虫を踏みつける時代は終わり、これからは昆虫が人を踏みつける時代が来るのだ」
「狂ってるわ!
昆虫を大きくしたって、昆虫の時代がなんて来ないわ」
「ふぁはぁはははぁ
これを見てもそう言えるかな」
山吹は手に持っていたリモコンのスイッチを押した。すると、並んでいた円筒の列が音もなく左右に別れていく。そして、部屋の奥から何か巨大なものが競り出してきた。
「「こ、これは!?」」
それは巨大な檻だった。そして、その檻の中で蠢くものを目の当たりにして美優と流留は同時に驚きの声を上げた。
キキキキキキキ
檻の中の『それ』は、血が凝固したような赤黒い頭部についた禍々しい顎を開き、二人に威嚇音を発した。背中には不気味な瘤が二つ飛び出ていた。
「ヒ、ヒアリ……」
美優の顔が恐怖でひきつった。目の前にいるヒアリは頭部は軽く1.5メートルあるから、全長は5メートルを越えるかも知れない。もはや、昆虫ではなく怪獣だ。
「おお、すげー。ヘラクレスヒアリ……
いや、ヒアリは日本語だから、うーんと、そうだ。ダイオウヒアリでどうだ」
「のんびり名前を考えている場合かっー!」
美優は流留に向かって金切り声をあげる。
「どうだね。私の最高傑作だ。
じっくり味わってくれたまえ」
山吹が再びリモコンを操作すると檻の鉄格子が床に消える。美優たちとヒアリの間にはもうなんの障壁もなくなった。
「さあ、アンディよ。
神に逆らいし小賢しい人間どもを食い殺してしまえ!」
「えっ?おっさん。アリに名前つけてんのか。おっかしいなぁ。
あっはははは」
「呑気に笑ってる場合ですかっ!」
ヒアリが棍棒のような触角を神経質に動かし檻をまさぐり、鉄格子が無くなっているのを知覚する。
ギギギギギ
耳を塞ぎたくなるような甲高き音を発し、ヒアリが六本の脚を踏ん張り、その巨体を持ち上げようとしている。
「逃げるわよ」
「無駄だ」
逃げようとする美優たちを山吹は嘲笑う。
「蟻の歩行速度は毎秒1センチ。そのヒアリは通常の蟻のおよそ1000倍。単純計算、アンディの速度は毎秒10メートル、オリンピックの決勝進出者クラスだ!逃げ切れると思ったら大間違いだ。
うわはっはっはっ」
「それは、どうかしら!」
山吹の高笑いを美優の声が遮った。
「良くあなたの自慢のアンディちゃんを見てごらんなさい」
「な、なんだと」
山吹がアンディを見る。アンディは六本の脚を懸命に踏ん張り立ち上がろうとしていたが、胴体は床に張りついたまま、ピクリとも動かない。
「どうした、アンディ? 頑張れ!!」
ピギィ
アンディは、山吹の声援に後押しされ、脚に渾身の力を込め。ブルブルと震えながら巨体をゆっくりと持ち上がる。
「そうだ。頑張れ!根性見せてやれ!!」
ブルブルと震えながら、アンディの体が持ち上がる。
ビシッ バキバキ
嫌な音を立てて、アンディの脚が二本ほどへし折れた。
ピキィ――
悲鳴を上げ、横転するアンディ。
「わ――?! アンディー!
なんてことだ。儂の、儂のアンディぐぁ!」
「だから言ったでしょ。昆虫を単純に大きくても駄目だって」
「何故だあー!?」
「物の重さは、大体長さの三乗に比例して重くなるの。
それに対して筋力は断面積に比例する、つまり、長さの次乗に比例する。
だから、そのままの形状で大きくするとどんどん自分の重さを支えられなくなるのよ。
脚だってそんな細かったら強度不足で折れて当然よ。
昆虫はね、あの大きさだから成り立つ形態なのよ。昆虫学者なのにそんなことも分からなかったの?」
「うおー、アンディーがぁ!
儂の長年の計画ぐぁー!!!
そんな、そんな、そんな、そんな、そんな
そんなそんなそんなそんなそんなそんなそんな」
山吹は頭を抱えて身悶えをする。もはや、美優の声を耳に入っているとは思えなかった。
「さあ、今のうちに行きましょう」
転がり回るアンディとぶつぶつ呟き始めた山吹を後に残し、美優と流留は逃げ出した。
2019/09/30 初稿