愚者か道化か狂人か
拘束された血塗れの巨大馬に殺意を漲らせた目で睨み付けられる機会は人生でどれほどあるだろうか?
少なくとも今日、シェリー君は1回経験した。
「空元気一杯だな。」
「奇妙な造語を作らないでください。
これは、流石に……………」
悲痛な面持ちでこの状況を見ている。が、
「妥当だな。この巨体で十全に暴れられては一人二人の怪我では済まない。
薬物で錯乱している可能性を考えるならこれが一番安全だ。
『かわいそう』と言って解き放って、人を殺しても構わないというなら、その結果ここを追い出されて良いというのなら、強く止めはしないがね。」
この個体は特に大きい。小市民が必死で建てたボロ家くらいなら文字通りの意味で踏み潰せてしまえる。
野に放てばどうなるか?
考えるだけでワクワクするな。
「解放はしません。
ただ、私は尽くすべき礼を尽くそうと思います。」
「端から見れば君かやろうとしてる行動は愚者か道化か、あるいは狂人のそれだ。それでも、やるのかね?」
「ここで背を向けてベッドに潜り込む様な、許しがたい行為を許容するくらいなら、こちらの方が私は自分を許せます。
それに、私が愚者か道化か狂人だと言われるのなら、私はそうではないことを全力で証明いたしましょう。」
雁字搦めの大馬の問題児、文字通りのじゃじゃ馬に近寄る。
「ク゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛!」
満身創痍、だが吼える。
流れた血と汗が地面を濡らす。
人より大きな体を持つとはいえ、この量は重症と評して差し支えない。
しかし戦意は潰えていない、こちらを真っ直ぐ睨み付け、鎖をガチャガチャと鳴らしながらこちらを踏み潰して殺してやろうと暴れている。
「貴方に害は加えません。だから、暴れないで、安心してください。」
魔法の一切を使っていない。ここに今立っているのは純度100%、紛れもないただの華奢な少女だ。
今襲われたら抵抗する間も無く潰れて死ぬ。それは、シェリー君も解っている。
全て承知の上で無防備に手を伸ばしている。
それは、『相手が自分を傷付けられない』という確証や『危機的過ぎる状況になれば教授が介入してくれるから大丈夫』という油断でもないのだ、これが。
腕を差し出して、結果あの巨大で鈍重な歯で摺り潰されてもそれが自分の腕なら、『腕くらいなら構わない』と考えている。
そのくせ、他の人間がこれをやろうとすると異常に怒る。
馬相手に誠意を示すためだけにそれをやるのだ。人間相手でもどうかしているというのに、相手は馬ときた。
馬は契約書にサインすることなんてない。流言飛語だって馬語。裁判で原告になることもない。
それでもやるのだ。それがシェリー君なのだ。
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