足の鈍いウサギ、爪と牙のないオオカミ
屋敷に戻る……と見せかけてとある場所へとこっそり向かうシェリー君。
「あの方は、一体どなたなのでしょうか?」
「少なくとも家の人間に化けて手伝いをする愉快な妖精……ではないな。あれが『化ける』というのならお粗末すぎる。」
耳の形が違っていた。
歩き方が違っていた。
利き手が違っていた。
手を掴んだ時、揺さぶりをかけたときの脈拍と眼球は動揺を示していた。
これで同じ存在だと誤魔化すのは無理がある。
「悪意は、ありませんでした。」
「騙せなかったとはいえ騙す気満々の輩を『悪意がない』と評するのはいささか無理があるだろう。」
「けれど、少なくとも害意はありませんでした。どころか……その、私は、あの振る舞い方を知っています。」
躊躇いながら、消え入りそうな声で呟く。
「ふむ、聞くだけ聞こう。ちなみに私はあの振る舞いの演技くらいならできる。」
「演技、そうでしょう。教授にあの振る舞い方は不要ですからね。
なにせ……」
躊躇いながら、重い口を開く。
「あれは、追われる弱者の振る舞いです。
力に追われ、力に怯えるようになり、
言葉に追われ、言葉に怯えるようになり、
視線に追われ、視線に怯えるようになり、
悪意に追われ、悪意に怯えるようになった結果、
自分の振る舞い全てにさえ怯えてしまうようになった人の目です。」
自分の行いを後悔するように、申し訳なさそうに呟いた。
「あの方は、教授がいなかった頃の私です。」
『絶対にバレてる!』
『だろうな、なんだあの女狐?
死臭や血の匂いがしないのに、死臭や血の匂い以上にヤバい匂いがプンプンしやがってた。あれは殺し屋か殺人鬼か?』
『そ、そんなんじゃない。あの人は学校の生徒さん。今は家庭教師をやってるんだよ。』
『そりゃなんの冗談だ?次期当主に殺しの芸でも仕込むのか?次代は殺し屋でもやるのか?』
『そんなわけないだろう!普通に勉強だよ。それにしても、どうしよう……』
『どうするもくそもねえ。やるか、やられるかだ。
殺したくないなら黙って殺されろ。殺されたくないなら黙って殺せ。それが、俺が生まれた時からの、絶対不変のルールだ。
わかってるだろう。
足の鈍いウサギはこの世にいない。そういうやつらは皆食われて死んだ。
爪も牙もないオオカミはこの世にいない。そういうやつらは皆食えずに死んだ。
選べるのは足の速いウサギになるか、爪と牙を持ったオオカミになるか、それだけだ。
次は俺が爪と牙を使う。いいな?』
『……わかった。』
『安心しろ。どうせアレとやりあうなら正面からはやれない。
苦しむ間もなくやれなきゃ、こっちがやられる。』
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