夜は不審者が多いので気を付けましょう
夕食後、月が天高く昇った頃。
H.T.を懐に忍ばせ、扉を開ける。装いは眠る時の装いではなく、これから軽く運動をするときのそれ。
足音なんて立てない。衣擦れの音もない。自分の呼吸音さえ意識して抑える。
建物の廊下を照らすのは月明りだけ。向かった先は裏手、厩へ繋がる入口。
「流石に、もう遅かったですね。」
牧場に続く分厚い扉の前に立つ。そこには閂がかかっていた。
『閂がかかっているのはおかしくない。』
こんな深夜に牧場を出歩く方が不自然だ。
だが、その閂が慌ててかけられた様な不自然なかかり方をしていたら?
しかも、地面に日中は無かった強く踏みしめた足跡が牧場に向かって続いていたら?
こう考える方が自然だ。
『閂がかかっているのはおかしい。』
「遅参はヒーローの特権だ。威風堂々と我々は参ろうではないか。」
「人を待たせるのは私の主義に反しますので、時間厳守を心掛ける所存です。」
重い扉を開ける。牧草の合間を抜けて夜風が吹き込んでくる。
扉に体を密着させる形で閂を閉め、辺りを見回す。
ぐるりと見回すが、異常は無い。
「気のせい、でしたか……あぁ良かった……」
胸を撫で下ろして大きく息を吸う。
「けれど……直ぐには寝付けそうにありませんし、折角なので少しだけ、散歩しましょうかね?」
ゆっくりと壁から離れて牧場へと歩を進めた。
無防備。無警戒。だから、後ろから現れた男の短剣の輝きを見ることはなかった。
「これが、貴族というものですか……」
月明かりに照らされて男が地に伏していた。
「後ろから女性に抱き着こうとするなんて、紳士のすることではありませんよ。」
手に持っていた短剣は地面に突き刺さり、男の体は僅かに痙攣していた。
「動けないのは10分だけです。起き上がれるようになったら、家の方々を起こさないように気を付けてお帰り下さい。
私は一介の家庭教師なのであなたのことを処分する権限はありませんし、報告する義務もありません。
けれど、あなたが捕まった時に庇う義理もありません。よろしいですね?」
冷静に、脅す様な口調でもない。だが、痙攣した男が7分後に文字通り這う這うの体で逃げ出す程度には魔法の呪文として効果を発揮していた。
「では、次へ参りましょう。」
両の手を胸の前に突き出す。
右手を前に、左手を後ろに、手は握らず開かず自然な状態のまま。
右足を半歩と少しだけ前に、背中は自然と真っ直ぐ。
全身に力は入れずリラックス。たとえ目の前の相手が直刀で突きを放っていたとしても、力は入れない。




