愛は に勝てるのか?
「ご主人様、起きていますか?」
それは夜、子ども達が寝静まった後の事だった。
仕切った部屋の扉が開いて彼女が顔を覗かせた。その言葉遣いはいつものふざけたものではなかった。
「起きている。眠れないのか?」
作業を中断してそちらに向くと、伏し目がちに、少し怯えたようにも、しおらしくも見える様子でこちらを見ていた。
「………………」
無言で上下に頭を振る。
「なら、甘いココアを淹れよう。丁度飲みたいと思っていたところだ。」
「あ、それなら私が……」
慌てて立ち上がろうとするのを制止する。
「たまには君を労わせてくれ。
ここ最近、子ども達の面倒を見てくれていたのは君だ。ほんの僅かだが、そのお礼だと思ってほしい。」
立ち上がり、ココアの準備を始める。
と言っても、カップを用意して装置にセットするだけ。大した手間ではない。
「あとは、残っていたクッキーも食べてしまおう。皆には内緒だ。」
湯気が立ち、甘くて苦い香りが狭い部屋の中に漂う。
「いただきます。」
ゆっくりと飲み始める。けれどその表情はやはり硬い。
「……………………」
「……………………」
座って、クッキーを広げてカップの中身を傾ける。
舌の内側が爆ぜる様な甘さと鼻腔まで満たす香りが多幸感をもたらす。
「……………………」
「……………………」
喉を通り過ぎ、胃までその熱が届き、全身に回るような気がした。
「……………………」
「……………………」
クッキーに手を伸ばした。
こんな深夜に甘いものを飲みながら甘いものを食べるというのは不健康で、冒涜的で、背徳的で、だから美味しい。
「……………………」
「……………………」
薄く焼き上げられたそれを齧ると、バターの香りが口の中に広がる。咀嚼するほどにその味と香りが広がる。
「……………………」
「……………………」
別に、かける言葉が見つからない訳ではない。
ここ数日、あの警告音が鳴ってから、彼女は変わっていない様に見せていた。
変わらない様に見えていた訳ではない。
いつも通りに振舞おうとしている様に、不自然に見える。
あの日、何かがあったことは確かだ。
『何かあったのか?』
『いつもと違う様に見える。』
『俺に力になれることはあるか?』
『悩みがあるなら力になろう。』
『話してほしい。』
それでは駄目だと考えた……思った。
自分は主人で、彼女は自分の所有するものという形になっている。
一度、子ども達が『お兄さん』と呼んでいるのを聞き、改めて『ご主人様』と呼ぶのは奇妙ではないかと別の呼び方を提案したが断られていた。
あくまで自分達は主従なのだと。そう言って断られた。
一線を引いた彼女は、ご主人様が命令したら、もしかしたら命令されて話してくれるかもしれない。
けれど、それはダメだ。
やってはいけないと考えた。
そしてそれ以上にやりたくないと思った。
「私は、きれいに見えますか?」
沈黙を破ったのは彼女の言葉だった。




