あなたがそうしたから、私もそうしてみることにした。
切った唇の血を拭って何食わぬ顔で立ち上がる。
平気に見えるけど、だったら唇を切ってあんな風に倒れているのはおかしい。
私が鉄球の中で眠っている間に何かあったんだ。
「ねえ……」
私が何があったかを訊くことを察して、先手を打ってきた。
「手伝いが必要だ。そこに三人分の着替えを用意してある。
3人の治療が終わったらメディスフィアから出る時の手伝いと、着替えの手伝い、それにこの場所の説明と注意を。
それと、その傷跡は3人が出てくる前に直しておくように。」
「…………解りまーしたー…………。」
ご主人様の命令は理に適っていて、私の力は必要だ。
そして、彼の唇の血は私には止められない。瀕死で眠っている彼女を助ける事は出来ない。
そして、彼が彼女を助ける直接的な手伝いも出来ない。
幾ら教えて貰っても、私は力にはなれない。
「お願いするよ。」
最近、私のご主人様は私に指示をする時、最後にそう言葉を加えるようになった。
『おー願いしまーす。』
私が彼にそう言っていた。
何かを教わる時に、何かを貰う時に、お願いする時にそれを言っていた。
私のそれを聞いて、私に言うようになった。
ズルいな……。
鉄球の中で大きくむせる声と小さくむせる声が聞こえる。
不思議なことにあの水の中では呼吸が出来る。
けど、慣れていないと先ず呼吸が出来ない。今回は眠れるようにしていたみたいだけど、水位が下がって起きた時に、溺れている様な気分になる。
肺と口の中に残っている水は最後の仕上げで吸い上げるような仕組みになっている。けど、全部じゃない。
慣れていないとその匂いとパニックで吐いたり、藻掻いて暴れようとしたりする。
そうやって暴れるとケガをしかねない。
私が最初に入った時にそうだった。
肺までしみ込んだ気持ち悪い臭いと、鼻の中に詰まった水の感覚。耳も水が詰まってよく聞こえなくて、目も涙でよく見えない。
そんな時はどうするか?
「大丈夫大丈夫、もう怖い事はないでーすよ。
怖がらなーいでー。」
鉄球の中に入って、抱きしめて、ゆっくりと背中をさする。
暴れようとする。胸、腹、足、腕に鈍い痛みが走る。
入る前よりずっと体が元気になった。涙を流して、震えて、顔を真っ赤にして、静かな唸り声をあげている。何より、力強い。
「あの人、悪い人じゃないから。痛い事、しないから。
痛い注射を怖がっていたら薬を飲ませてくれるから。
怖い昔の夢を見て泣いていたら、甘いココアを淹れて、黙って飲んで見せて、同じものを置いてくれるから。
自分は優しくないと言ってるけど、物凄く優しいから。
助かったんだよ。もう今日を怖がらなくてもいいし、明日が来ることを怖がらなくていい。
楽しみにしていいんだよ。今日も明日も明後日も。」
自分がそうしてもらった様に、私もそうすることにした。
また評価を頂きました。ブックマークして下さった方も増えて、アニメを見て下さる方もいるようです。
本当にありがとうございます。嬉しい限りです。そして助かります。お陰様でもっと書きたいという熱意が湧いてきます。
無関係ですがホームズ映画を見ながらモリアーティーを書くという中々背徳的なことをやっています。
これの2弾の教授のとある演出が良くて、いつか本作に取り入れたいと思っています。




