仕上げはまたあとで
凄まじい速度で崖へ突っ込んでいった、飛べる程馬車は速い、だが羽も無い文字通りの一馬力の馬車が空を飛べる訳がない。
落ちて行った。しかしそれでも転落はしていなかった。
その馬車は今、転落以上の速度で駆け落ちていた。崖を降りていた。
直角に近い崖を道として走っている。
当然重力に引かれていつも以上の速度で走っている。だが、それが出来るのは地面までの短い間。それが終わればそれまで働いた重力は働かせたお礼とばかりに強烈な衝撃を真正面から喰らわせ、血肉を散らせる。死ぬ。
本来は眼下にあるはずの枯れ木の森が眼前へと迫ってくる。
「なんのこれしきぃ!」
赤毛が逆立っているのは正面からの風のせいかそれともこの生命が散る寸前の状況に総毛立っているのか。
だがそんなことはどうでもいい。震える手は言うことをなかなか聞かないが、それでも手綱は手放していない。
重力に吸い寄せられて制御を殆ど失っている中で馬車をやっとの思いで狙いの方向へと動かす。
地面が徐々に徐々に近付いてくる。
「歯ぁ食い縛りな!」
今更止まれない。というより崖を走る事が確定した段階でもうそれは無理な話だ。
だから、崖を走りながら大きく曲がった。
急に曲がれば車輪は車輪の役割を果たさなくなり、代わりに馬車の全てが車輪のごとく回りだす。
だから大きく、ゆっくりは不可能だったが、徐々に徐々に重力の描く道を歪めていって、最後には……
「ふん!」
「ぐぇ……」
「うごっ!」
馬車が横倒しになる寸前、枯れ木とは思えない程頑丈な枯れ木に馬車の側面が激突して、止まった。
「生きてるかーい?」
「生きてるよぉ……」
「元気一杯でさぁ……」
目を回しながら馬車から這い出す。
足は生まれたての小鹿のよう、全身震えて顔面蒼白にもかかわらず滝の様に汗を流している。
つまりは少なくとも生きている。
「何か来ている様子は?」
「今のところ、無さそうだよぉ。けど、急いだほうが良さそうだよぉ。」
「もし来たら、もう諦めてここで一戦交えやしょう。」
「それはダメだよ。もう村の近く。ここで騒ぎを起こしたらあの子に迷惑がかかるんだ。
急ぐよ。ラストスパートさね。」
「「おうさー」」
幸い、出し惜しみを一切しなかった結果モラン商会で最も高性能な馬車となっている馬車は激突しても傷という傷一つ付いていなかった。
気を取り直して馬車はまた走り出していった。
崖の上からそれは見ていた。
追跡が出来なかった訳ではない。
追跡する必要がもうなくなったからだ。
だからここで終える。仕上げはまた、あとで。
馬車もそうですが、しれっと名馬ですよね。そして3人の無茶に応じ続けている苦労馬。




