奇手ドッシーン!
馬車は相変わらずトップスピードで走り続けている。当てもなく根拠もなく自信もなくただ走り、なにかから逃げ続けていた。
それは一定距離を保ってそれを静かに誰にも見られることなく潜み追い駆けていた。
千日手になれば向こうだけが一方的に消耗して、最後にはこちらが無抵抗の相手を喰うことが出来るようになる。
待てばよい。近付き過ぎず、離れ過ぎず、ゆっくりゆっくり、抵抗する力が削れて、無くなるのを待っていればよい。
だから、少し馬車が速度を緩めた時には慌てずこちらも緩めた。
少しばかり速くなったところでどうということはない。見晴らしは良く、追いつける。
もう少しだ。
「もう少し、もう少しだよぉ。」
地図の端が濡れて触り心地と色が変わる。
手に汗握る、とは正にこの事だと思った。
考えたことは文字通りあまりに突飛でバカバカしいと思った。目に見えない何かのためにそれをやるのはあまりにどうしようもなくおかしい。
けれど、やるべきだと思った。このどうしようもない胸騒ぎが杞憂だったらそれまででかまわない。
けれど、もしこの胸騒ぎが杞憂でもなんでもない、話に聞いた怪物だったら、もしあの娘にその怪物が襲い掛かったらと考えると、指先が凍り付く。
けれど、今自分がやらせようとしていることは、二人を危険に叩き落すことだった。
「心は、同じでさぁ。同じことを考え付いていたら俺達も同じことをしてまさぁ。」
「アンタのその考えに、アタシらは乗ったんだよ。分の良い賭けだって、やるべきだって、そう考えたからこうして走ってんのさ。
さぁ、飛ばすよ。命綱はアタシの分含めてしっかり縛ったね!舌を噛まないように注意したね!
そして最後に、尻はしこたま打つ事になるけどそれは諦めな!」
2人は無言で応じる。
3人の心は同じ。馬車は迷い無く加速を始めている。
それを見ている者がいたとしたら、行く先に何も無いのに加速している様を見て、疑問を抱いただろう。しかしこの場にいる者は3人だけ。
それがもし、本能のままに襲い掛かる怪物であったなら、その時が来ることはなかった。
それがもし、3人の『悪い手』に気が付いて止めていたら、その手は実行されなかった。
良くも悪くもそれは理性的だった。
無茶苦茶な事はしないというそれの特性……先入観があった。
だから逃した。
落ちる訳がないと思っていた。ギリギリで方向転換するとタカをくくっていた。
馬車が崖に向かって真っ直ぐ進んで、落ちて行った。
スバテラ村は街道より低い位置に在る。当然、スバテラ町やそれを囲う森もそうだ。
だから、村や町の近くの街道は道から外れるとその先にあるのは崖。進めば落ちる。
シェリー=モリアーティーは森に阻まれた道を通らず、森の上を滑空して村へと入った。
彼らは翼も魔法の道具も無しに似たようなことをしようとした。ただそれだけだ。
「「「飛べぇ!!!」」」
それは見えない不確かな追手に対する挑発。追って来れるものなら追って来てみろと、いう宣戦布告。
これに乗ればそれまで。3人は追跡者の顔を拝める……拝む顔があるかは甚だ疑問だが。
これに乗らず足踏みをすればそれまで。逃げ切れる。
どちらに転んでも3人の目的は果たせる。
だが当然、崖から転げ落ちて死ぬ危険性も十分にある。
「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」」」
体が身の危険を感じるほどの浮遊感に包まれた。




