正直者は騙さない。嘘吐き達が自分に騙されただけである。
ゲッチボーンが契約にやって来たのは商談の翌朝のことだった。
昨日怒鳴り、書類を投げつけた人物とは思えない程呆気なく、素直に、滞りなくトラブル無く値切り無く契約書に名前を書いてくれた。
ゲッチボーンが町を去った後。昨日商談に使った部屋に一人、イタバッサは座っていた。
今、彼の前には書類の束が3つあった。
2つは分厚く、1つは薄い。
一夜にして手に入れたそれらは文字通り二束三文の紙の束ではあったものの、その実、今では下手な商会の年商分ほどの価値に跳ね上がって膨れ上がって弾けかかっている。
満面の笑みを浮かべている。
これより稼いだ日は人生で何日もある。
これよりも大規模な商談だってそれなりにあった。
しかし、それはそれ。
これはこれ、なのだ。
どこでだって、どんな時だって、どんな仕事だって上手く行った時は心躍る。
これから先の事を考えて、皆が得する事を考えて胸が弾む。
これから忙しくなる事が、これからもっと沢山の物が、お金が、わんさか動くことを想像してワクワクする。
特に今回は友人も協力してくれている。
会長から直々に仕事を任されている。
絶体絶命の状況にあった、今も未だそこから脱却出来ていない。
そんな状況で商売をするのだ。しかも、夢物語の様な無茶苦茶な成功が目標だ。
商人の魂が燃えない訳がない。商人の血が滾らない訳がない。商人が動かない訳がない。
嗚呼、愉しい。商売が愉しい。今私は商人を愉しんでいる。
笑みが零れる。喉の奥に飲み込んでいた歓喜の感情が喉奥から沸き上がりそうになっていた。
そんなあと一歩の状況下で扉がノックされた。
「こんにちは、イタバッサさん。」
声の主は自分をこんな面白い事に導いてくれた最高の人。そして同時に若き商会の長にして自分の上司だ。
「あぁ、シェリーさんこそお疲れ様です。」
会長命令とはいえ、こんな素敵な上司をさん付けのまま、会長扱いしないのは中々慣れない……。
「そしてお疲れ様です。見事な商談でした。」
お辞儀をされる。しかし、今回に関して自分は頭を下げられるようなことは何もしていない。
あの二人の商談に関しては個人的な伝手を使ってついでに一枚噛ませたが、本命の一人に関してはただ普通に契約書を提示して、拒否されて、素直に引いて、顔色が悪そうだったので商談を仕切り直す提案をしただけだ。そして翌日、つまり今日は契約書の説明をしてサインをしてもらっただけ。
本当にそれ以上の事はしていない。
「いいえ、イタバッサさんが連れて来て下さったお二人はとても大きな後押しになりました。
私のようなただの村娘には到底出来ない、正に離れ業です。」
そこにおべっかも嘘もお世辞も無い。
ただ、一つ思う。
本来、ただの村娘は大商会の長になって来てもいない貴族を来たように見せて貴族を騙すことは出来ないのではないか?




