邪悪なる演説は鹿撃帽の狩人無き世界で行われる
少し長めです。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼」
我慢が限界を超えた。
笑いの発作が止まらない。
呆気にとられるモリアーティー嬢。
「…………何が可笑しいの!?」
モリアーティー嬢が真っ赤な顔を更に赤くして激昂する。
全く……笑えてくる。
「 全く………首吊りのなんたるかも知らない小娘が……………ククククク。
身分程度の矮小さも知らない青二才が…………ハハハハ。
人殺しを知らない若輩者が。………………………………」
『これしかない』とは、笑わせてくれる。」
ザワリ
先程迄真っ赤に染まっていた令嬢が真っ青になって凍りついたようになった。
震えていた手足が硬直し、顔が死体のように血色を喪った。
少し、脅かし過ぎたかね?
「たかが、その程度か………。
シェリー=モリアーティー?君は………死にたくて死ぬのか?」
「……そうょ。私は死にたいの!!苦しくて!!辛くて!!逃げたくて!!でも逃げられなくて!!もう死ぬしかない…「質問に答えろ小娘」
潰れかけの叫び声が冷ややかな一言で遮られ、凍りつく。
その目には、実体無きその目には、恐怖をもたらす何かがあった。
「『死ぬしかない』は違う。
他に手段が無くて選べない時にそう言うのだ。
私が言いたいのは選択肢ではなく、君がどうしたいか訊きたいだけだ。
選択肢の存在、非存在は忘れて考えろ。君は…死にたいのか?君が自分に死んで欲しいのか?
YESかNOで、答えろ。」
周囲まで凍結が拡がる。
窓から来ていた陽光は翳り、部屋には重く、冷たい空気だけが有るのみ。
ここでもし、嘘を吐けば…………………………
「NO………私だって死にたくない………でも、あいつらが望むの。だから…私は生きたくても死ぬしかないの………」
か細い声で、絞り出すように心の内を曝す。
誰も彼も、死にたくて死ぬ。のではなく、死しか安寧がないから、死しか選べないから死ぬのだ。
私はそれを知っている。
そう、誰よりも知っている。
彼女は答えた。
ならば私は答えねばならない。
「その仮説は棄却だ。モリアーティー嬢。
何故なら解は他に存在するからだ。」
「何言って…」
「少なくとも自殺するのにあの縄の縛り方は無い。
あれでは私がせずとも直ぐに自重で縄はほどけていただろう。まぁ、後遺症が残ったかもしれないが。」
いくら私がアクロバティックに首吊りを回避したとはいえ、あんな直ぐに結び目がほどけるのは不自然だ。
もし、本気で縛れば切断以外に方法は無かった。
「二回目。さっき縄を手にしたときも震えていた。
君にとって、自殺は解法ではない。
それは君が一番よく知っている。故に君は死ななかった。死ねなかったのだよ。
何より、良いのかね?
君が死んで喜ぶのはあの下品なお嬢さん。
君が死んで喜ぶのは君を虐めていた連中だけ。
あぁ、罪悪感等は無論持たんよ。あの手の連中は。
でなければ人をあぁやって扱うなど出来るものか。
死んで遺書に名前を書くなんてやり方。遺書を燃やされて終わる。『子どもたちの将来の為』とか言ってな。」
死して自分は全てを永遠に失い、自分が憎む連中は笑い、喜び、直ぐに忘れる。
そうして、彼、彼女らは自分の苦しみや憎しみなどどこ吹く風で未来を幸せに生きていく。
自殺で最も得をするのは加害者。殺した奴だけだ。
プライバシーの名の下に名前を伏せられ、遺書の非公開をされ、守られる。
逆に、自殺で最も損をするのは被害者。殺された奴だけだ。
コイツが自殺したと実名を晒され、死人に口の無い事を良いことにある事無い事噂し、『死んだアイツも悪い』と加害者が行動を正当化して保身をする中、否定も出来ない。
何より、これから起こり得たかもしれない幸運や幸福を死によって全てふいにするのだ。
有り得た出会い、有り得た作品、有り得た経験……………………………すべて喪う。
非合理的の極みだ。
不条理の極みだ。
最悪の完全犯罪と言っても過言では無い。
「じゃぁ………………じゃぁどうすれば………………どうすれば良いのよ?」
彼女は叫び疲れたのか、それとも今までの全てに疲れたのか、最早声を出すのもやっとだ。
「解法を教えてやろう。
報いを受けさせることだ。
自身の受けた屈辱を、痛みを、恨みを、憎しみを、絶望を、苦悩を、苦悶を、憤怒を、激情を…………………………返してやれば良い。
復讐。報復をしてやれば良い。」
しかし、彼女は力なく首を振る。
「無理よ。出来っこない。
向うは貴族の令嬢。少しでもやり返せばもっと酷い仕返しをされて、私なんて本当に殺されてしまうわ。」
さっき迄首吊りしていた人間の発言とは思えない。まぁ、良いことだがね。死を恐れるのは…………。
「報復はする。報いを受けさせる。しかし、仕返しなどしやしないさ。」
口角……有ればの話だが、思わず口角が上がる。
それに対してモリアーティー嬢は困惑するばかり。
「不慮の事故で死んでも、それは事故であり、事件ではない。
事件ならまだしも、事故には報復などできんさ。」
記憶を喪失する前の男の片鱗が、そこにはあった。
「モリアーティー嬢。君に教え授けてあげよう。
理不尽を、不合理を、不条理を、暴力を、暴虐を、圧政を、残酷を、…………………
それら全てを、手を触れず、誰にも悟らせずに、粉砕し、踏みにじり、蹂躙する…………
完全犯罪という方程式を。
この私、プロフェッサー:ジェームズ=モリアーティーが教授して見せよう。」
ジェームズ=モリアーティー。彼はライヘンバッハで死んだ。
彼がラプラスの悪魔だったのか、それとも未知の変数が作用したのか、理由は定かでは無いが、彼はその後、異世界に飛ばされた。
彼には失ったものが有った。
記憶と、身体であった。
しかし、それでも、彼の教授は記憶を失ってなお、悪の権化として顕現した。
記憶が喪われても、その頭脳に刻まれた知恵は残っていた。
身体は無くとも思考は巡る。
彼の邪悪な芸術家は、別の世界で更なる芸術を完成させようとしていた。
鹿撃帽の狩人無き世界で。
感想や評価やレビュー、アドバイスをお待ちしております。




