3.
哀れな弟を鼻で笑いながら超高級な品であろうお茶をすすっていたところ、クラウス兄ちゃんに謝罪されたというわけだ。
私の肉を横取りしても謝らなかったあのクラウス兄ちゃんが、こんなことで謝るなんて!
天変地異でも起こる前触れなんじゃないか、とオロオロしていた私に兄ちゃんは頭を上げて言葉を続ける。
「でも俺と結婚しなかったらお前……誰にも嫁にとってもらえないまま、ずっと独身として過ごす羽目になるんだぞ?」
何かあったんじゃないかって心配していた私にこの仕打ち。あんまりではないだろうか?
……だが、これが兄ちゃんは本当に心配してくれているのだ。だから『さすがに私もそこまで酷くはないからね!?』と怒れない。
「確かにうちの村で歳が近いのは私達とレオンとレニィちゃんしか居ないけどさ。兄ちゃん、男の人は別に村以外にもいるんだよ……?」
だから安心してと続けたいのに、それを他でもない兄ちゃんが許さない。
「確かにこの世界に男は何千万といる。だがミッシュみたいにガサツで気が強くておまけに料理下手な女を嫁にしてくれる男とお前が出会えるかどうか……俺は心配だ。やっぱり勇者なんてこの剣ごと誰かに押し付けて!」
ソファに座りながらも、大事に腰から下げたままの勇者の剣とやらを外して立ち上がろうとするクラウス兄ちゃん。
それはさすがに阻止せねばと、長めの机を挟んだまま兄ちゃんの肩をソファに押し込む。
「兄ちゃんが本気で心配をしてくれているのはわかった。ひたすら羅列された言葉が嫌味0%であることもわかってるわ。けどね、クラウス兄ちゃん。魔族や魔物、最終的には魔王と闘うのが怖いからとかそんな勇気ないとかならまだしも、幼馴染と結婚出来なくなるからって勇者辞めますなんて言ったら一生お笑いの種よ!?」
「ミッシュのことを全く知らないやつが笑うくらいいいじゃないか! 世の中の誰かも知れないやつらに笑われるよりも、そんなことよりも俺は、小さい頃から一緒に育ったミッシュが1人で年老いていくかもしれないことの方が怖くてたまらないんだ!」
「クラウス兄ちゃん……」
え、私ってそんなにひどいの?
魔王討伐は他の人に出来ても、私の旦那は他の人には務まらないと?
さすがの私でも自分の今後が心配になってくる。
とりあえずこんな時は口に何かを入れておくに限る。心配事は大抵腹を満たせば治るのだ、と2段重ねのお洒落なお皿の上に鎮座するクッキーを2枚ほど口に放り込む。
あ、これすごく美味しい。
バターの香りがふんわりと口に広がるクッキーを頬張りながら、王都土産はクッキーにしようと決める。日持ちもするし。
そして私は未来なんて、これからなんとでもなるよね! と来るかもわからない未来のことはとりあえず頭の端っこの方へと蹴飛ばしておくことにした。
そんなことよりも、必ず来るクラウス兄ちゃんの逆玉の輿が私のせいで無くなってしまうかもしれないことの方が問題である。
いや、一度選ばれた勇者が一身上の都合により辞退したなんて話聞いたことないから多分辞めるなんてことは出来ないと思う。
だがこのままいくと、きっと兄ちゃんは駄々を捏ねる。それはもう、盛大に。慣習なんて知らない。一度コンラット村に帰って、式だけでも挙げてくると言いかねない。
だけどそんなしょうもないことで揉めてもらっては困るのだ。
「私のことはいいから、兄ちゃんは魔王なんかサクッと倒して逆玉に乗って! それで私の幼馴染は勇者に選ばれたの、すごくない? って自慢させてちょうだい!」
「ミッシュ……。だけど美人でなんかいい匂いまでするお姫様よりも、俺はガサツでパン作りさえろくに出来ないはずなのに、なぜかいつも焼きたてのパンの香りがするミッシュの方が大事なんだ!」
王国新聞に載っていた写真で私は初めてこの国のお姫様を見た。想像以上の美人さんで、なんかいい匂いがするのは事実なんだろう。
でもさ焼きたてのパンの香りだって、それに負けないくらいいい香りだと思うんだよね!
毎日レニィちゃんが焼いて持ってきてくれるパンだけで私、まるまる2斤はいけるもん。食欲そそられまくりだよ?
パンの香りをバカにしちゃいけないわよ! という気持ちは一旦抑えて、今は兄ちゃんを諭すことに専念する。
「兄ちゃんが私の未来まで心配してくれるのはよぉくわかったわ。わかったから、早くこの婚約解消書類にサインしてちょうだい。うちの父ちゃんと兄ちゃんちのおじさんのと、私の分はもう書いてあるから、後は兄ちゃんのサインもらって役場に提出するだけなのよ」
やっと出番だとばかりに、持ってきた婚約解消書類をクラウス兄ちゃんの前にずいっと差し出す。
すると兄ちゃんは目を丸くして、そして婚約破棄を受け入れてくれた。
「父ちゃん達まで承諾しているのか……なら、わかった。魔王討伐をついでにしながら、兄ちゃんがお前にピッタリな結婚相手探してきてやるからな!」
――代わりに何か言いだしたけど。
「ミッシュのパンチをかまされてもへこたれない腹筋と強靭なメンタルと、ミッシュの腹を常に満たせるくらいの料理スキルは必須だよな。後はせめて俺と同じくらいには強くないと!」
「あれは兄ちゃんが私の分のケーキを横取りするから悪いんでしょ!! それに勇者に選ばれた兄ちゃんと同じくらいって、そんな人間いるの? バケモノとか嫌だからね?」
18年間の付き合いがある私も、初めて手料理を振る舞った時以外でクラウス兄ちゃんをノックアウトさせられたことはない。
組手をしても、加減をしてくれた兄ちゃんにすら一発決め込むのがやっとなのだ。まぁ、ケーキの時は特別だ。食べ物の恨みは瞬間的な力さえも強化してくれるのだ……。
だが兄ちゃんに勝てないのは、別に私が特別弱いからってわけではない。レオンだって同じだ。
兄ちゃんのおじさんなら勝てるかもしれないけど、勇者に選ばれた人は神様の加護? を受けて力が強くなるって聞くし、もう敵はいないんじゃないかな?
それこそ魔王くらい? 人じゃないけど……。
「無理じゃない。この国中を回るんだ、1人くらいそれを全て兼ね備えているやつはいるって!」
「それは……期待せずに待ってるわ」
「ああ!」
用意されたお菓子を食べ尽くした私は、婚約解消書類をカバンにしまった。