13.
「ただいま帰りました」
仕事から帰ってきたユーロは工房に顔を覗かせる。
今日はいつもよりも少し遅いくらいの時間である。いつもよりもお仕事が忙しかったのだろう。心なしか、いつもよりもくたびれているように見える。
「親方、今日はシーフードグラタンですよ~」
「お、マジか!」
「はい。今日はいいエビが手に入ったんで、ってあ!」
ユラユラと揺らしていた袋をのぞき込んだユーロは、驚いたように声をあげる。そしてやってしまったとばかりに顔を震えさせている。
「どうした?」
「イカ、買い忘れてた……」
「はぁ!? お前、イカのないシーフードグラタンってそんなの、もう半分くらい具をなくしたみたいなもんじゃねえか!」
「エビとかホタテとか入れますよ?」
「イカがないんじゃダメだ!」
カディスは声を荒げてイカを強調する。
そもそもシーフードグラタンはもちろんのこと、イカだのエビだのホタテだのを知らない私にはその重要性がいまいちよくわからない。
だがユーロからすればイカはそんなに大事なものではなく、カディスからすればとても大事なことらしい。
この数週間で、リクエストやほめ言葉はあれど、カディスがユーロの作るご飯に文句をつけたことは一度もみたことがない。それに以前、メニューが変わった時だってあんまり気にしている様子はなかった。
イカ入りのシーフードグラタンがよほど楽しみだったのだろう。
イカなしのシーフードグラタンは嫌だ! と主張するカディスに、ユーロは困ったように腕を組む。
「うーん、じゃあ今日はグラタン止めて他のものにします? 牛乳とかは明日の朝に使うとして、エビは……エビフライとかでいいですかね?」
「ダメだ。シーフードグラタンだ」
「っていっても僕、また市場行くのは嫌ですよ? 今日はもう疲れました」
エビフライ、とは聞いたことがないのに不思議と心躍る名前ではある。
だがカディスはシーフードグラタンを譲るつもりはなく、このまま突き通すつもりらしい。
だがユーロは見て分かるほどにお疲れである。
この後に夕食づくりも控えているし、これ以上無駄な問答をしても余計に疲れさせてしまうだけだろう。
「あ、なら私が行ってきましょうか? イカ、っていうのを買ってくればいいのよね」
「もしかしてミッシュ……あんたイカ知らねぇのか?」
「市場に売ってる食べ物よね! 市場の場所なら大体わかるし、わからなかったら誰かに聞くから大丈夫。なんとかなるわ」
カンナさんと買い物に行った時に市場の近くを通ったのだ。そこまでの道順なら大体頭に入っている。イカは相変わらず何か分からないが、分からないなら聞けばいいだけである。何も問題はない。
任せておいて、とユーロに親指を立てる。そして部屋へと戻ってポシェットを取ってこようと階段に足を向ける。するとそれを阻むように、カディスは私の肩を捕まえる。
「ちょっと待て、ものすごく不安だ……。俺が行くから、あんたは留守番でもしていてくれ」
私だって少しくらい、彼らの役に立ちたいのだ。
いくらお客さん(?)だからとはいえ、甘えているままでは肩身が狭い。行かせてちょうだいとカディスの手をゆっくりと肩から外す。
「何言っているの、カディス。私だって買い物くらい出来るわ。それに私は農家の娘よ? 食べ物を見る目はいいの! 果物だろうと野菜だろうといいものを買ってくるわ!」
任せてくれと胸を張れば、目の前のカディスは大きくため息をこぼす。
「……あんたのやる気は分かった。十分わかった。だから一緒に行こう」
「え?」
その言葉に驚いたのは私だけではなかった。
「嘘でしょ? 面倒くさがりの親方が自分から市場に……」
ユーロは信じられないというように、口に手を当てながら震えている。
「あのな、おまえ等が子どもの時に買い物や料理してたのは一体誰だと思ってんだ……」
カディスはユーロの頭を軽く叩くと、引き出しからお財布を取り出した。
「他になんか買ってくるもんあるか?」
「あ、じゃあついでに何か好きな果物買ってきてください。明日の朝、出すので」
「わかった。ほら、ミッシュ行くぞ。イカ、見せてやる」
よほどイカが好きなのか、カディスの足取りはいつもの数倍は軽く見えた。




