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幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイの名言より  わが人生瞑想録より  その18。人生の本当の役割と意義について

作者: 舜風人

トルストイ、ロシアの文豪である。

代表作は「アンナカレーニナ」「戦争と平和」


トルストイ自身はいわゆる大地主であった。


だが晩年妻とのいさかいが絶えずに、

老年のトルストイは、妻と争い家出して、とある、さびれた駅で、死んでしまったと、、、、


私は昔、彼の伝記で読んだような気がする。




彼は言う、


「幸せな家庭というのはみんな同じように幸せだが


不幸せな家庭の姿はそれこそ千差万別に不幸の様相が違っているのだ」と。




確かに幸せな家庭のあるべき?姿って、


厳しさの中にも底知れぬ慈愛をたたえた父親と、


それを、優しく見守る母親と、


物分かりの良い長女と


おきゃんな次女。


そして末っ子で甘えん坊の長男と、


その家族がけなげに


時代の中で助け合って美しく生きていくという、、


まるで


『大草原の小さな家』のインガルス一家のようなあるべき家族の姿が


思い描けるだろうか。


でも、、、

とはいえ、、

幸福な家庭だって、千差万別だろう?

という突っ込みも入れたくなりますよね?


それぞれが自分が幸福だと思えばそれが幸福なのさ、


、、というまあなんというか

相田みつをみたいな?

幸福論もありでしょう?




しかし、

それにしても、

不幸せな家族の姿はそれこそ不幸せな家族の数だけ

その様相も違うのだ。



それでは、、、こんな実話?をどうぞ。



空想的な実話?


幸福色の出会い




A子は24歳だった。みんなから注目されるような美貌の女性だった。


そんな彼女がある日、、、ふと、であった彼は優しくて思いやりがあり、


澄んだ眼の青年だった。彼氏は26歳で某有名会社の社員でまさに好青年だった。


彼女はたちまち恋におち、、、人もうらやむような甘い甘い大恋愛の末に、、、


やがて、、、


二人は幸せな誰からも祝福される結婚をしたのだった。


そして甘い甘い新婚生活を過ごして、、、やがて妊娠、

二人の最高の幸せの瞬間だった。


二人は愛の結晶が生まれてくるのを


心待ちにしていたのだった。


それから10か月後、、、、


生まれてきたのは、、、、、


先天性の重度の三重障害を持った子だった。


目も見えず、心臓には穴が開いていて、重い知的障害もある、


染色体異常の重度障碍児だった。


まさか?

なんで?

なぜ私たちの子供が三重障害児?

その日から二人の絶望と悲嘆が始まったのです。


二人は絶望の淵に突き落とされて


毎日この子を抱いていつ橋から飛び降りようかと悩んだ。


数か月後、、妻はすっかりやつれて美貌も消え去っていた。

夫もやり場のない悲嘆ですっかり生気も失せていた。


そうして、、、やがてやり場のない悲嘆は

誰にぶつけていいのかもわからないこの絶望感は、


二人を変貌させて、お互いに罪をなすり付け合って傷つけあうようになった。


「あなたが悪いから障害児が生まれたんでしょう」

「お前の方こそ、悪い生活したからだろう}

恨みつらみのぶつけ合いです。

当然、


夫はやがて家に帰らなくなり、


いつしか出て行ってしまったのです。

二度と帰ってきませんでした、


愛という不確かなものだけで結婚生活という厳しい現実が乗り越えられる?と信じた若気の愚かさ?だったのでもあったのでしょうね。


妻は一人でその子と取り残されて


生きていくしかなかった。


やがて二人は正式に離婚したのです。


その後取り残されたこの母子が、、どうなったのか?


まさか?  死を選ばないことを祈るばかりです、、、。



でも?

本当に二人が悪かったのでしょうか?

夫が悪いから障害児が生まれたのでしょうか?

妻が悪いからでしょうか?

いいえ、

誰が悪いのでもありません。

両親が健康で正しい生活をしていても10万人に一人とかの確立で

そういう障害児が生まれてくることも確率的にはあるのです。


そうです

そこのあなたの家にも


あなたの子がそういう障害児になる可能性もあったということです。


こういうたとえはいけないかもしれませんが、


宝くじに当たったようなものです。


つまりあなたが選ばれたのです。

あなたが神に?選ばれたのです。


つまりそういう「神の差配」が、たまたまこの夫婦に来ただけのことなのです。


出て行ったあの夫が原因で障害児が生まれたのでもありません。


また妻の妊娠中の体調管理が悪かったのでもありません。


あえて言い切れば、、こう成るしかなかったのです。


というか、、、こうなるように神が差配したのです。

10万人の一人に、、あなたが選ばれたのです。


それは霊学的に言うならば、、カルマの法則で決められていただけの話なのです。


ただ先ほどの大恋愛夫婦が夫も妻もそれを知る由もなかったのは言うまでもありませんが、


もしこの神の差配という運命を知ることができたら、


この素晴らしい素敵な彼氏(彼女)と結婚したら


やがて、、重い障碍児が生まれるとあらかじめ予見できたら


あなたは恋に身を焦がしてその人と大恋愛して


結婚するでしょうか?


まあおそらく誰も結婚しないでしょうね?


そういう意味では、、知らないから救われているのです。

それが人生の救いでさえあるのです。


もし運命をすべてあらかじめ知ることができたら


その過酷な未来を知って身震いし、


人は生きていくより


即、死を望むことになるでしょうから。


そういうことがないように?

神は誰にもおのれの人生の先行きをわからないようにしているのです。


では?

一体このような

一寸先は闇であるような人生とは

一体

なんの意味があるんんだろうか?


というか

生きるってそもそもなに?

もっと砕いていうならば、、


「生きてなんぼやねん?」


ということです。


先ほどの実話?の大恋愛の美男美女夫婦ですが、、


実は「神の差配」という奥深い宇宙の真理?がわかっていたら?


べつの生き方だってできたはずなんです。


それはこの三重障害の子供を神の子として

神の差配として「受容」することです。


神が与えてくれたのです。

神の差配をあなたに拒む権利などないのです。

なぜならあなたは神の手によってつくられた「泥人形」にすぎないからです。

時至ればあなたは再び「ドロ」に帰るのです。

そんな泥人形にすぎないあなたにとってはこの人生とは

神のテスト期間だということです。

50年だか

70年だかの

神のテストを受けているのです。


それが人生というこの幻想即興曲?なのです。



そして例えばその間

いわゆる好事もあるだろうし


悪事もあるだろうし


それがまさに人生なのです。


そして今回のこの夫婦に起こったことも、人間の狭い料簡ではわからないが、


神があなたたち夫婦をなんと10万人に一人という「選ばれた受容者使徒」として

この神の子をさづけたのです。そういう人生テストなんです。


言い争いをしたり

ましてお互いに

おまえが悪いからこの子ができた、、などと、

罪をなすり付け合うのではなくて


こう考えるべきだったのです。


「神よ、なぜあなたは私たち夫婦を選んでこの子を遣わしたのですか?

神よ私にはわからないのです。

でもそれが神よ、私たち夫婦へのあなたの差配なのですね?

私たちは神に選ばれたのですよね?この子の遣わし先として、

そうであるなら、

私たちは、全幅の信頼のもとにこの子を受容します。

神よあなたはそれをお望みなのですよね?

そうですよね?

神さま。」


この世で起こる物事に本来悪いも

良いもない、


あるのはその起こった事態を、、事件を、、あなたがどうとらえ


どう受容するか


に、、


かかっているのだ。


先ほどの夫婦はつまり神の課題、、神のテスト用紙に白紙提出してしまったということなのです。

神はこの幻想の人生で私たちを試している、。

何のために?


それがこの泥人形がいかにして魂を進化させられるだろうか


という神の実験??なのです。


やがて泥人形たちは時至れば、、また、、泥に帰りますが


それでも泥人形の中には神の御心に気づき、魂を進歩させたものも出てくるのでしょう。


それがそういう神の実験??




それがこのつかの間の


フワフワしてまるで煙かもやのような


浮世という


妄想の


幻想の


架空の人生の

本当の


深い

深い


真理でもあるのだ、


所詮は人生なんて神が肉の子に見させている、幻想の夢であるにすぎないのだ、


あるいは人生とは神が泥人形に与えた魂のテストなのだ。


人生とは神があなたに見せている「幻想紙芝居」である


その紙芝居であなたは神からテストされているのだ。

このつかの間の魂の紙芝居であなたは神から試されて(テスト)されているのだ。


そうしていずれにしてもその紙芝居は終わる・


その人生はやがてあっけなく終了するだろう。

あなたも、、あなたの一切も消え去るのです。


どんな偉大な人生も


どんな低俗な人生でも


何れもあっという間に終わる


ほんとあっけないほどなのだ。

そういう言う現象面から見れば人生なんてちゃちなものです。


だから人生においては


余りにも深刻になりすぎるのもいけない。


といってあまりにも、神の差配をなめ切って、投げやりになってもいけない。


何事も中庸が肝心だ。


あきらめることなく


また、


尊大になることなく


神の差配をしっかリと受容して


肉の子の


泥人形の つかの間の人生テストを、、

勤めを果たすことだ。


それこそが本当の人生のあなたの役割であり


意義なのだから。



そうしてその役目(神のテスト)を果たし終わったとき


あなたには

きっと、


安からかな死が神から差配されるのであろうから。


そう

人生というテストはあっという間の終了なのです。


もう少しの辛抱だ


ほら

だって

向こうにゴールが見えてきたじゃないか?


あともうすこし、、あとほんのわずかの時



さあ、でも、、少し、、急ごうか?


おや?


風も出てきたようだね?



それでは少しだけ


歩みを早めようか?


あともうすこし、、


あともうすこし、、、


日の暮れぬうちに


真っ暗にならないうちに、


あのゴールまでたどり着けるようにね。


足元が明るいうちに、


そう



「光あるうちに光の中を歩むんだよ」


いいかい


決して取り残されないようにね。


ほうら

もうすぐ夕闇が迫ってくるよ


もうすぐ真っ暗になるよ


そうしたら

もう道はわからなくなって漆黒の闇になるんだよ、


あなたはもう道筋もわからなくなる。


そうならないうちに


足元が明るいうちに


光あるうちに光の中を歩む、、んだよ、


いいかい


決してこのことを忘れちゃだめだよ。、



あなたは幻想の影法師


あなたは神が作った泥人形


神が操る間はギクシャクと踊り狂うが。。


神が操ることをやめればパタッと動かなくなってオシマイなのさ。


私も幻想の影法師


私も神が作った泥人形


神が操ることをやめればただの動かない木偶人形





そう


これが人生



これも人生



いいや




これこそが人生












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