06 プロローグ
A県T市T自動車系列孫請け工場。
「お前とも今日でお別れかぁ……」
髪を明るい茶色に染めた青年が、作業機械を磨いていた。
作業帽を斜めにかぶり、上着のファスナーを半ばまで下ろしただらしない格好ではあるが、ウェスを握った手は丁寧に細かく動いており、作業機械への愛情にあふれていた。
この機械は、青年がこの会社に就職して以来の長いつきあいだ。そもそもが、親会社のそのまた親会社から流れてきた骨董品であり、予算の都合上新型機を購入することも出来ず、くたびれてきたパーツを取り替えながら細々と改修をしつつ大切に使われてきた代物だ。
青年よりも年上の古参兵であるこの作業機械も、とうとう引退する時が来た。始業時間を過ぎれば固定を外し、天井クレーンで吊り下げられて新たな機械と交換することになっている。
その後この機械がどうなるか、青年は知らない。解体されるのかもしれないし、海外に輸出されてもう一働きするのかもしれない。青年は、戦友への手向けとして始業時間前に作業機械を磨き上げてやることにしたのだ。
※
「ほーん、シリアルキラーですか」
ぽりぽりとお茶請けのせんべいをかみ砕きながら、私は上司から渡された特別任務の資料に目を通す。
「うむ。T市の連続猟奇殺人事件、ホシはこいつじゃ。どうやら邪神系列の影響を受けておるようでの。このまま放置すれば、人類史に重要な影響を残す人物まで奴の毒牙にかかるじゃろう。そこでおぬしの任務じゃが……」
「お任せ! この私に掛かればちょちょいのちょいよ」
「う、うむ」
自信たっぷりにいう私に、上司である上位神様は不安そうに答えた。
解せぬ。
資料に指定された時間と場所で、ちょちょいと運命をいじるだけの仕事なんて、私に掛かればお茶の子さいさいよ。
「そう言って毎度失敗しおるから、心配なんじゃがのう……」
意気揚々と事務所を出る私の背後で上司が何か言ってたけど、どうせお小言だからスルーしましょう。
やばい。
遅刻遅刻遅刻!
違うの。
忘れていたわけじゃないの。
ただ、昨日は神界の女子会で、北海道で海鮮グルメツアーしてただけなの。煮物焼き物お刺身、美味しゅうございました。〆の牛乳ラーメンは思わずお代わりしちゃったわ。
そんな感じで人界のホテルで気持ちよく一泊。
……目が覚めたら、運命操作点の一時間前。
三時間前に現地待機しなくちゃいけなかったのに。
慌てて朝シャンと食事を済ませて、人界を高速飛行。
転移か神界経由でいけば一瞬だけど、遅刻がばれるので使えない。
姿は隠してるけど最近は高い所飛ぶと飛行機にぶつかるし、低すぎると建物が邪魔でかわすのが面倒。
まったくもう。誰よ、日本のど真ん中なんかに操作点を作った奴は!
必死に日本列島を半分縦断して、問題の運命操作点へ飛び込む。どこかの自動車工場みたいね。
残りタイム、わすか数秒。
少々距離が遠いけど、私なら行ける行ける。
「間に合えーっ!」
私は雄叫びを上げながら、とにかく速度重視で運命操作点へと干渉した。
※
運命というものは、ほんの僅かな差異で驚くほどにその結果を塗り替える。
今回の場合であれば、女神の3秒の遅刻と焦りによる1割の出力過多。只それだけのことであったのに、結果は上位神が頭を抱えるようなことになった。
広い工場内を|回転灯〈パトランプ〉の黄色の光が駆け巡り、甲高い電子音が天井クレーンの稼働を告げる。
ごんごんと金属のこすれる重い音をたてながら、クレーンが作業機械を吊り上げて移動していく。
茶髪の青年は名残を惜しむように相棒を吊り下げたクレーンを追いかけていく。
工場の休憩室もクレーンの移動する先にある。そのまま休憩を取る予定だ。
青年がドアに手をかけると、ガラスの向こうに人が居た。ドアはこちらへ引くタイプ。そのままドアを引いて、一歩横へ。中の人が外へ出るのを待つ。帽子を目深にかぶった中年の男が、軽く片手を上げて拝むようにしながら外へ出た。
本来であれば、ここで運命が操作されるはずだった。その結果、天井クレーンが大きくがたつき、その音に気を取られた中年の男は足下がおろそかになり躓いて転倒し、腕を骨折する。男は救急車で病院に搬送されるのだが、救急隊員や通院客、医師や売店のおばちゃんなどといった複数の人物による噂話などが連鎖的に繋がって、事件を担当していた刑事の耳に入り、決定的な証拠を押さえられて逮捕されるはずだった。
しかし、3秒のずれにより、男と青年の立ち位置が変わった。
天井クレーンの真下、一直線に二人が並んでしまった。
そしてわずか一割の過剰な力が、がたつくだけだったはずの天井クレーンの片側がレールから外れて大きく傾いた。天井クレーンのような巨大な構造物の重量を、片側だけで支えられるはずもなく、反対側のレールも大きくゆがんで落下する。
斜めに落ちてきた鉄骨は、通路の中央辺りにいた男を最初に押しつぶした。
本来であれば、すぐに青年も続いて押しつぶされていただろう。
しかし、その瞬間に極めつけの奇跡が起きる。
ごおん、ともの凄い音がして青年は自分が死んだと思った。ぐちゃっとしめった音が聞こえたし、目の前が真っ暗になっていたからだ。
だが、得に痛みも感じないし意識が消えていくような感じもしない。目の前が真っ暗なのは力一杯目を閉じているからだと気づき、おそるおそるまぶたをあける。
<ニゲテ>
巨大な天井クレーンを、か細い鋼の腕が支えていた。
絶対にあり得ない。そもそも、彼の相棒は電源がなければ動くはずがないのだ。なによりも、使われているモーターは巨大な鉄の塊を支えられるほどの出力はない。
<ハヤク、ニゲテ>
みしり、と腕をきしませる、青年の相棒。ライン作業用のロボットアームが、淡い光を放ちながら、物理的にあり得ない光景をなしていた。
まるで理解出来ない光景に半ばパニックを起こしつつも、青年が落下したクレーンの下から這い出すと、まるで役目が終わったというかのように、淡い光が消えたロボットアームはクレーンの重量に負けてくしゃりと潰れた。
この事故により、工場は三ヶ月間閉鎖された。マスコミは一斉に「安全管理に問題か?」などとおもしろおかしく騒ぎ立てた。
現場検証や再発防止の対策、片付けやクレーンの再設置などなど。これによって、この工場が受け持っていた生産ラインの部品が不足し、世界中の顧客や企業がさまざまなダメージを受けた。
これほどの大事故ながら、”死傷者ゼロ”であったことから、工場が再稼働するとニュースで取り上げられることもなくなった。
※
顔色を真っ青にした女神が、法廷の被告席で足をがたがたと振るわせながら立っていた。
彼女は、”また”間違えたのだ。
あの事故では、本来死ぬはずではなかった殺人鬼と、自我が生まれたばかりながら、人を助けるために全ての力を使い切った付喪神が犠牲となった。その場に現れた上位神によりこっぴどくしかられて蘇生を命じられた女神は、よりにもよって殺人鬼の方を蘇生してしまったのだ。しかも、蘇生した殺人鬼はいつのまにか消息を絶ち、神界ですらも行方をつかめなくなっていた。
「判決。本来であれば抹消刑が妥当であるが、直属の管理者による賠償を鑑み、罪一等を減じ、被告の権能および神格を剥奪し、神界追放とする。追放先は、直属の管理者に一任する」
傍聴席で、上位神がほっと息をついた。どうしようもないレベルでダメな奴だが、仮にも部下であり、抹消されるとなれば後味が悪い。
その肩には、淡い輝きを放つ光の球が小鳥のようにとまっていた。犠牲となった付喪神の魂だ。上位神たる彼の力を持ってしても、消滅寸前であったこの魂を元通りにすることは出来なかった。やむを得ず、少年としての人格パターンと知識をすり込むことで、無理矢理安定させるしかなかった。
そんないびつな存在を、元の日本に戻すことは許されなかった。
もうしばらく様子を見て魂魄が安定したならば、新しい体を与え、この子の望むがままの力を持たせて、自分の管理する異世界のひとつに送りだすことになるだろう。
「君が意識を取り戻したら、まっさきに土下座して謝らねばならんのう……」
次回エピローグで1章完結です。