05 悪役令嬢/俺は誰だ?
ちょうど三月ほど前のことだ。
城塞都市アルヘナの領主である侯爵家、その長子である小太りの少年が、あまりぱっとしない雰囲気だが胸と尻だけは豊満な少女の腰に腕を回し、こちらをビシリと指さしてこういった。
「シャルサリア・サラッハ、お前との婚約を解消する。お前のおこなった悪行は、父上にも報告する。一族そろって謹慎し、沙汰を待つがいい!」
種族を問わず貴族や大店の商家の子弟、ようするに保護者がお金持ちの子供たち、が通う高等教育学校の卒業記念パーティでの一幕だ。
生徒会長である少年と、その取り巻きである生徒会役員の男子達が、シャルから少女をかばうように立っている。
シャルは小さくため息をつくと、首をかしげて問いかけた。
「心当たりがないのですが?」
「いいだろう。そこまでとぼけるというのならば、すべてを説明してやろうではないか。私と親しくする彼女への嫉妬に狂ったお前は――――――」
そして延々と告げられる濡れ衣のオンパレード。
やれ、服やら教材を汚したり破損させたやら、ねちねちと嫌みを言ったやら、取り巻きに脅させたやら、階段から突き落としたやら。
そもそも、シャルは少年がいやらしい手つきで腰を抱く少女の名前すら知らない。
というか、男女別の寮生活であるため、婚約者である少年とすらろくに顔を合わせていない。
大体、婚約自体が政治の都合であり、当人同士の意思など関係の無いものなのだから、嫉妬などというものが入り込む余地さえなかったのだが。
これは近年、アルヘナ内部での人間族とそれ以外の種族との対立が抜き差しならぬ所にまで至っていたためだ。
本来であればどんな都市でも、それこそ王都であっても全ての人類種は平等に扱われるし、人種の割合はほぼおなじだ。
しかし、この最辺境であるアルヘナでは、人間族が幅を利かせていた。
そこに至るには色々な理由があるが、一番単純な原因としては、度重なる巨獣の襲撃による開拓の失敗により、積極的に外へ出ようとしなかった人間族だけが減少しなかっただけのことだ。
ただ、今にしてみれば、どう考えても巨獣の襲撃が偶然だったとは思えない。
そして、圧倒的多数派となった人間族はそれ以外の種族を見下し、差別し、職を奪い、政治の中枢から排斥していった。
必然的に人間族以外の者はきつく危険で汚い、誰もが嫌がる仕事につくしかなく、
たまりにたまった不満が暴動という形で吹き出すのも時間の問題と思われた。
しかし、王都から派遣されている常駐監査官の報告により、アルヘナの現状を問題視した王が直々に動いた。
人類種には未だ同属同士で争うような余裕はないのだ。
現に、アルヘナは都市に住む人間族の割合が増えただけであり、総人口は大きく落ち込んでいた。このまま対立が深まり、両者が争うようなことになれば、城塞都市を維持することさえ難しい状態に陥るだろう。
王からのいくつかの命令により、軽い処罰や政治組織の再編が行われた。
その命令の中の一つによって、城塞都市アルヘナの人間族のトップであるアルヘナ侯爵の長子と、エルフ族のトップであるサラッハ伯爵の娘であるシャルが、成人次第結婚しなければならなくなったのだ。
これが三年前、高等教育学校入学前のことだ。
この婚約により、一時的に両者の関係は停滞した。悪化することも、良くなることもなかった。
この世界では15才で成人とされる。
つまり、高等教育学校卒業をもって不本意ながら二人は結婚せねばならないはずだった。
この婚約は王直々の命令に由来するものであり、例え結婚する当事者といえども、明確な不貞行為や、あるいは政治的犯罪など、よほどの理由がなければ婚約破棄など不可能なのだ。
得意絶頂といった表情でシャルを断罪する少年と、彼にしなだれかかる少女は気づいていなかったが、その場に居合わせた参加者達は種族を問わずに、全員同じような呆れた表情を浮かべていた。
当然だろう。
少年とシャルがろくに関係を育てていないことなど誰もが知っていた。端から見れば、不貞を働いたのは少年側であるのは明らかだ。
あれだけ大々的に下された王命に、当主ですらない人間が独断で逆らったのだ。この事実が王都に伝われば、侯爵家そのものが改易される可能性すらある。
シャルは早々にあきらめた。
説得したり弁解する手間すら惜しかった。
それに、こんな公の場所で下手な返答をすれば、どんなとばっちりが飛んでくるか分かったものではない。侯爵令息が愚かだからといって、同じレベルで言い争えば、両者をまとめて始末しようと考える者もいるかもしれないのだ。
シャルは少年達を無視して、周囲の人々に不快な思いをさせたことの謝罪と無難な暇乞いの挨拶をし、その場を後にしようとした。
だが、無視されたことに腹を立てた少年が追いすがり、シャルの腕をつかんで強引に引き留めようとした。
エルフ族は男女問わず華奢な体躯である。小太りの少年にそんな風にされれば、当然バランスを崩して転倒した。
パーティ会場が水を打ったかのように静まりかえる。
集まった冷たい視線に、少年は顔色を青くしながらも虚勢を張って言い放つ。
「無礼者め、私の話を無視するからだ。これは当然の――――――」
「このクソったりゃあああああっ」
次の瞬間、少年は顔面にドロップキックを食らってごろごろと転がっていった。
ぶち切れた|獣人族<ワイルド>の少年の仕業だ。
「何をする貴様ら!?」
「ザッゲンナゴラーッ!」
「亜人の分際で手向かいするのか!」
「姫に何てことするのよ、このダンゴムシ!」
「姫が我慢してるから黙ってたが、もはや許せん。慈悲はない!」
後はもう、どうしようもなかった。
人間族とその他に別れた少年少女達の大乱闘だ。
一部の人間はそそくさと安全な場所に待避していたが、それ以外の種族のものはシャルを介抱する少女数人を残して、全員が少年達に襲いかかっていた。大柄な副会長をオークが殴り倒し、小柄な書記と会計の双子にゴブリンとコボルトが噛じりつく。やせぎすの庶務は、令嬢達の扇子でひっぱたかれて奇声を上げている。人間の少年達は全員ボッコボコにされていた。
結局、その乱闘はパーティ会場の外で待機していた護衛達がそれぞれ子供達を引きはがすことでようやく収まった。
パーティは中止となり、後日シャルや乱闘に参加した者に事情聴取が行われた。
そののちに都市議会にて、亜人サイドは王命に背いた少年の勝手な行動を、人間サイドは侯爵令息への暴行を問題として、侃々諤々の議論が行われたが、多数派である人間族の主張が通り、侯爵令息は謹慎処分、シャルとの婚約は保留、乱闘に参加した亜人はシャルを含め全員が次期開拓団へ強制参加、と都市議会の意思として仮決定し、王都からの承認を待つこととなった。
これをよしとしなかったサラッハ伯爵は、自ら開拓団団長として参加することを表明。王都からの沙汰を待てと命ずる王国監査官の制止を振り切って、開拓団を組織する。
城塞都市に住まう亜人族の中で最高位の貴族であるサラッハ伯爵のその男気に魅せられ、あるいは城塞都市に絶望した亜人達は、身分の高低に関わりなく全員が開拓団へ加わった。これにより、城塞都市アルヘナは人間族のみが残留することになった。
※
そしてしばしの時が流れ、開拓団の生活が落ち着いてきた頃に今回の事件が起きた。結果的に開拓村唯一の人間であった、開拓団の監査役として派遣された三名が魔獣寄せを散布し、伯爵夫人を拉致して逃走。その途中で巨獣に襲われて死亡してしまったわけだ。
「そんな感じです」
「あー、そうすると連中の悪事の証拠とか残ってなさそう?」
「そうですね、彼らの馬車にならもしかすると何か……」
「じゃあ、あとで丸ごと拾ってくるよ」
「申し訳ありません、|巨神<アトラス>さま。お願いしますね」
立て直した見張り櫓の上で、シャルちゃんが頭を下げた。
ハルさんの娘で、顔立ちは彼女にそっくりだ。金髪碧眼のツインテール。見た目は幼女だが15歳で成人済みらしい。
丸太の柵の中では、巨獣撃退に盛り上がった亜人達が、焚き火を囲んで飲めや歌えの大騒ぎをしている。
俺はといえば、この図体では村の中には入れないので、柵の外であぐらをかいて皆を見下ろしている。
ついでに食べたり飲んだりも出来ないのでもの凄く手持ち無沙汰だ。
というよりなにより。
せっかくのエルフヒロインが、すでに人妻だった不具合について。
村人達の中心で、ハルさんと旦那さんのサラッハ伯爵が仲むつまじく杯をかたむけていた。
ふぅ、とため息をつくと、口元のエアインテークから、シュゴーっと白い蒸気が吹き出した。
いやまあ、生まれ変わった不死身の鋼の体(特大サイズ)なので、ヒロインとか気にしても仕方ないんですけどねー
こちらの視線に気づいたのか、櫓の下から光の翼をはやしたサラッハ夫妻が飛び上がってきて、シャルちゃんの隣に立つとその肩を抱いてから三人で深々と頭を下げた。ハルさんも使ってたけど、あれ、風の精霊魔法らしい。達人だと自由自在に空を飛べるのだとか。
「|巨神<アトラス>様、我が妻を、我が子を、我々をお救いくださったことに、改めて深く感謝いたします」
ハルさんの旦那さん、サラッハ伯爵は見た目中学生ぐらいなのに三百歳を越えるそうだ。二人並ぶとういういしい中学生カップルに見える。シャルちゃんも入ると三兄妹って感じ
「いえいえ、お気になさらず。というか、ずっと不思議だったけど、アトラスってなんです?」
三人はきょとんとした顔で首をかしげる。
「貴方様は、神話においてこの世界を切り開いたとされる、|始原の巨神<フロンティア・アトラス>のお一人ではないのですかな?」
「この世界に来たのはついさっきだけど? ハルさんを助けたちょっと前なので」
「なんと。では、異世界の神であらせられるのか?」
「いやいや、とんでもない。俺は只のロボットですよ」
「「「え」?」」
今度は四人で首をかしげる。
ロボットをどう説明したものか。
「えーっと…… ああ、ゴーレムって分かる?」
剣と魔法の世界ならあるはず。
「授業で習いました。遺跡の番人としてまれに見つかる、高性能な|魔法の召使<マジックサーヴァント>のことですね?」
小さく手を上げたシャルちゃん。
「そそ。石とか鉄で出来た自分で勝手に動く人型の奴。あれの親戚と思ってもらえれば。俺は自由意思はあるけどね」
「なるほど。いや、しかしこれほど巨大な……」
「そうですわね。これほど大きく、これほど精緻な作りのものは聞いたことがありませんわね」
サラッハ夫妻が言うとおり、俺の体は実に繊細なデザインになっている。
もの凄くおおざっぱにいうと、細マッチョなイケメンフェイスの全身鎧の騎士型ロボットだ。メインカラーはメタリックホワイト、顔が映り込むほどのツヤがあり、
今も夜空の藍色と、焚き火の光のオレンジで複雑かつ美しく輝いている。
うん、イケメンで細マッチョ。
神様に注文したとおりだね。
ロボットだけど。
「ところで……」
物思いにふけっていた俺に、ハルさんが声をかける。
「アトラス様ではないのならば、なんとお呼びすればいいのかしら? シャルとかは、さっきから嬉しそうにナイト・アトラス様って呼んでいましたけれど」
シャルちゃんが恥ずかしそうに頬を染めて、ぺしぺしとハルさんの肩を叩く。騎士巨神か。たしかに格好いいな。
「ははは。まあ、俺のことは…… 俺の名前…… あるぇー?」
ここで俺は初めて気がついた。
「神様に俺の名前、聞いてない!」