01 白銀の騎士巨神
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「叩けッ 叩けッ 叩けッ!」
指揮官の叫びに応え犬頭人や小鬼人の兵士たちが、柵の隙間から頭をねじ込んできた魔獣へと槍を叩きつける。牛ほどもの巨体をもつ魔獣はたまらず首を引っ込めて、忌々しげな咆哮をあげた。
丸太を組んだだけの柵は、固定用の荒縄をきしませながらもかろうじて持ちこたえてはいるが、そう長くは持つまい。
柵から離れた魔獣めがけて、櫓に上ったエルフが矢や精霊魔法を打ちかけるが、どうにも火力不足であり、矢は当たり所が悪ければ毛皮に突き立つこともなくはじかれてしまう。精霊魔法はそれよりもマシなダメージを与えてはいたが、魔力は無限では無いためじり貧だ。
一対多数で取り囲んで近接武器を使って戦えば何とかなるかもしれないが、柵に群がる魔獣は10を超えている。柵の外に出れば逆にこちら側が取り囲まれて、あっという間に八つ裂きにされてしまうだろう。
この開拓村では、同じような光景が五カ所ほども繰り広げられており、人々の命は風前の灯火と思われた。
「シャル、脱出の準備を。ハルハリアと一緒に逃げるんだ」
肩まで伸びた金髪を編み上げた碧眼の美少年が少女に呼びかけた。
その長くとがった耳はエルフの証拠だ。人間でいえばせいぜい15~6才にしか見えないこの美少年が、この開拓村の領主であり、少女、シャルサリア・サラッハの父であるサラッハ伯爵だ。
「今更、どこへ?」
幼い声で少女が問いかける。
父母譲りの金髪碧眼にスレンダーな肢体。二人が並んでいれば、兄妹にしか見えないだろうが、父は300才を越えており、娘のシャルも15才だった。エルフは長命であり若いままの姿で長い時を生きる種族だ。
「城塞都市まで逃げ延びれば、なんとか―――」
「無理でしょう。これを……」
少女の差し出した異臭のする革袋に、伯爵は眉をしかめた。
「魔獣寄せか……」
「監査官たちの姿が見られません。こんな状況ですので、急いで探させたのですが。お母様の姿もやはり。そして、監察官の馬車が消えています……」
「まさか、ハルを…… おのれ人間どもめ。あんな茶番でシャルを公の場で辱めただけでは飽き足らず、そこまでするかっ!」
伯爵は革袋を地面に叩きつけ、さらに踏みにじって怒りをあらわにする。
人間族では無い彼らを追放同然の処遇にした城塞都市の領主である人間の侯爵は、開拓村へ必ず派遣される監視役である監査官を利用して、魔獣寄せを散布する事によりこの村を全滅させようと企んだらしい。
ハルハリアは現場を目撃したか、あるいは行きがけの駄賃とばかりに攫われたのだろう。
「私たちの生きる場所は、ここにしか無いのでしょう。魔獣を倒せれば、ですが。それでも、きっと被害は少なくない。お母様も……」
「すまん。お前には、辛い思いばかりさせるな……」
辺境泊は肩をふるわせる娘をそっと抱きしめた。
サラッハ伯爵は、妻が拉致されたらしいことはこの場のみの秘密とすることに決めた。今から監査官どもを追いかけるのは不可能であるし、住人達の士気が下がることを恐れた。
すべてはこの場を生き延びてから、と覚悟を決めるしか無かった。
「すまん、皆。一人でも多く生き残らせるために、私と一緒に死んでくれ」
決死隊として集めた兵たちの前で深く頭を下げる伯爵に、片目に傷跡が刻まれた猪頭人の男がニヤリと笑みを浮かべた。
「頭を上げてくだせえよ、伯爵様。エルフのお貴族様とパーティを組んだとなりゃ、一族代々に渡って自慢出来まさぁ」
「そうだぜ、伯爵様。人間どもの企みなんぞぶち壊してやる」
狼の耳と尻尾を持つ獣人の男に、集まった兵士たちが次々と雄叫びをあげる。
「もやしみたいな人間族なんかより、俺たちの方がずっと強いんだ。魔獣の10や20、屁でもねぇ。そうだろ、お前等っ!」
「「「オオオオオオッ!!!」」」
エルフが、ドワーフが、オークが、獣人が、ゴブリンやコボルトに至るまで、城塞都市で差別を受けていたあらゆる種族がこの開拓村に集まっていた。
しかし人間族だけは一人も居ない。そもそもこの開拓計画自体が人間と他種族との軋轢から生まれたものであったし、人間族の間では、堅牢な城壁で囲まれた都市の外に出て魔獣あふれる魔の森を開拓するなど、死刑宣告に等しいと考える者がほとんどだからだ。
「ありがとう、皆…… 総員、攻撃用意。矢、魔法放て。魔獣が引き次第、縄を切れっ」
伯爵の命令に、櫓から雨あられと矢と魔法が降り注ぐ。
最も破損の激しい柵をあえて破壊し、入り口を限定することで一匹づつ引き込んで始末していく算段だ。決死隊の背後には、彼らを囲むように移住する時に使った馬車や荷車、家具や木材などが配置され、魔獣がそれ以上は村の中に入れないようにしてある。
「来るぞっ!」
固定を解かれた丸太を押し倒し、熊を思わせる姿の魔獣がのっそりと踏み込んで来た。並みのサイズの熊ではない。燃えるような赤毛を持つ、体高2m超の六足熊だ。
しかし、その瞬間に鉄槌を振り上げたオークが飛びかかる。
「一番槍はわしがもらったあっ!」
人の頭ほどもあるハンマーヘッドが魔獣の頭部を打ち据える。身長2m、体重100kgを余裕で越えるオークの巨躯の勢いが加った一撃に、さしもの魔獣も悲鳴を上げながら地面をのたうちまわる。そこへ獣人の男たちが容赦なく次々と槍を突き入れてとどめを刺した。
「まずは一匹ぃっ!」
魔獣の血にまみれた鉄槌を高々と掲げて雄叫びをあげるオークの姿に、決死隊以外の者たちも士気を上げる。
「あいつ等を絶対死なせるなっ」
「攻撃の手を止めるなよ。決死隊の獲物以外は柵を越えさせるなっ!」
全ての人々が一丸となって死力を振り絞る姿に、櫓に上って魔法を撃っていたシャルもわずかな希望を抱いた。なんとしてもこの場を凌ぎ切り、母を助け出さねばならない。
しかし、地響きを上げながら森の闇から現れたものが、そんなシャルの思いを無慈悲にも打ち砕いた。
人類がその生息圏を城壁の内側のみに限られているのには理由がある。
それがこの、巨獣だ。
その体は通常の魔獣の数倍に至る巨大さだ。そしてその巨躯に併せた強靱な筋力と防御力。異形の姿形を持ち、中には強力な攻撃魔法までも使う固体が存在するという。
人類史において、この巨獣が退治されたという記録は一切無いほどの絶望の化身。エルフにのみ伝わる記録によれば、200年ほど前に北方の城塞都市の一つが20メートル級の襲撃を受けたそうだ。
城壁にこもって防衛に努めるも多大な犠牲を出し、かろうじて追い払うことしか出来きず、城壁も大きく傷ついたという。
開拓村を守る丸太の柵など、巨獣にとっては草をかき分ける程度の手間で破壊されてしまうことだろう。
「終わった……」
近づいてくる足音に、誰かがつぶやいた。
武器を取り落とす音が次々と続き、開拓村へ襲いかかっていた魔獣どもさえ尻尾を巻いて音も無く逃げていく。
ある者は膝をつき、ある者は頭を抱えて丸まった。決死隊の男たちさえも、逃げることすら出来ずに足をがくがくと振るわせる。
「Voooooooooooooooooooo!」
巨獣が吠えた。
下腹を揺さぶる重低音に、シャルはへなへなと座り込んだ。知らぬうちに目尻から涙がこぼれる。
巨獣が走り出す。
わずか15年の命が燃え尽きるまで、あと10数えるほどもかからないだろう。地響きのテンポが早まり、ぐらぐらと櫓がゆれる。
巨獣が大地を蹴って飛ぶ。
わずかひと飛びで、一気に柵へとたどり着くほどの跳躍。次の瞬間には、自分も含めて、開拓村は全滅するだろう。
迫る死の瞬間にあらがうべく、シャルの集中力が極限まで高まり、まるで時間がゆっくりと流れているかのように、襲いかかる巨獣の姿がはっきりと見えた。
そこでかすかな違和感を覚える。
巨獣が跳躍したというのに、地響きが止んでいない。
「右だ!」
父の叫びが聞こえる。
ゆっくりと時間の流れる世界の中でありながら、目にもとまらぬほどの速度で横合いから白い暴風が叩きつけられた。
かろうじて立っていた人々も、吹き荒れる風に逆らえずに倒れ伏す。シャル自身も、風にあおられて櫓の柱にしがみついて目を閉じた。
ぐらぐらと揺れていた櫓が、バランスを保てずにスローモーションのように傾き始め、こらえきれずにシャルは櫓から放り出され、思わず目を閉じた。
だが、すぐにその浮遊感がゆっくりとしたものに変わる。
「シャル、しっかりして!」
誰かに抱きしめられる。この声は……
泣き叫ぶかのような巨獣の野太い悲鳴が聞こえてくる。
短いような長いような浮遊感の後、着地したらしい軽い衝撃を感じて、シャルはおそるおそる目を開いた。その目の前にあったのは、涙を浮かべながら微笑む愛する母の姿と、その背後の正気を疑いたくなるような光景だった。
それは、猫でもつまみ上げるかのように、じたばたと暴れる巨獣を片手にぶらさげ、もう片方の手で傾いた櫓を支えて片膝をついていた。
シャルは薄れゆく意識の中で小さくつぶやく。
人々の常識を遙かに越えた、巨獣など及びもつかないほど巨大なそれは―――
「白銀の、騎士巨神……」