長いようで短い日常。
「…弟くーん!」
俺はその言葉に敏感に反応した。
いろいろと考えているうちに、もう学校近くに来ていたようだ。
俺をこんな風に呼ぶものは、ラグビー部員だけ…いや、もう一人いた。
佐野直一…イマイチつかめない男、そいつである。
「ったく、そんな風に呼ぶなっつたろ?」
俺は言いながら振り返った。
表情が凍る。
見事に俺の予想は覆されたのだ。
「えっ?…言われたっけ。」
俺に声をかけてきたのは、今最も会いたくない人物である萩先輩だったのだ。
「いえ、こっちの話です。…何か用ですか?」
俺は冷たく言い返す。
「冷たいなぁ〜。…あっ、おはよう、弟くん。」
「……おはようございます。」
萩先輩の視線が痛いほどに注がれたので、仕方なく俺はあいさつを返した。
「いやぁ〜、いつから鬼ごっこするのか言ってなかったから…。」
言われなくても普通わかるでしょう…。
そう言い返しそうになるのをぐっとこらえた。
「…じゃあ、今日の9時からねー。」
「………はいっ?」
一瞬、何を言われているのかわからなくなった。
9時とは…夜の?
それとも…。
「朝の9時から、下校時間までってことで。」
さらりと萩先輩は言う。
な…何ですと!?
そんなの、俺に授業そっちのけで逃げ回れということですか?
俺は、そんな訴えを萩先輩に申したてた。
「むむむむ…無理ですっ!絶ッ対無理ですって!そんなのっ…俺、授業どころじゃなくなりますよっ!?」
すると突然、萩先輩がくすくすと笑いだした。
俺はきょとんとなる。
「…なんてね、うっそ。弟くんの反応が可愛いから、ついー。」
ついってなんだ、ついって!?
もう、この人を信じることができなくなった。
もとより、信頼などという単語はないにも等しかったが。
「じゃっ、また放課後ねー。」
萩先輩はからかうだけからかって、さっさと行ってしまった。
少しの間、俺はぼう然としていて動く気になれなかった。
そんな俺の目の前にひょっこりと顔が現れた。
「あ…やっぱり倉田くんだ。おはよう。」
「…わっ…あ、葵ちゃん!?」
あまりに突然のことで声が裏返ってしまった。
そんな俺を見て、葵ちゃんは笑い出す。
かぁっ、と顔が熱くなった。
「どっ…どうしたの!?」
「どうしたのって、何か倉田くんぼーっとしてたから…。あっ!そうだ、聞いたよ。今日なんだってね、鬼ごっこ。」
並んで歩いていると、葵ちゃんが突然言い出した。 俺は驚いて、その横顔をまじまじと見てしまう。
「何で知ってんの!?」
「えっ?倉田くん見てないんだ、これ。」
そう言って、カバンの中から一枚のチラシのようなものを取り出してくれた。 それをのぞき込んで、硬直した。
そこには…
【ラグビー部との真剣勝負!!鬼ごっこスケジュール表】
とかいうおふざけが書いてあって、いくつかの運動部の名前があった。
無論、陸上部もある。
「…何、コレ。」
頬をひくひくさせつつ、俺は努めて冷静に尋ねた。
「うーん、なんか毎年こんな告知してるみたい。けが人とか出た年もあるみたいだから。…倉田くん、気を付けてね。」
「…うん。」
本当に、やばいかもしれない。
けが人が出たって?
しかも、何で陸上部のとこだけ、若干時間が長いんだ?
どっと押し寄せてくる後悔につぶされないよう、必死だった。
なんだって、こんなことになったんだろう…。
むなしい問いの答えは、当然ながらなかった。
それからは、なんにも変わらない一日だった。
授業の内容も、数学の関口の口癖も、何一つとしてかわらない。
だが、放課後が近付くにつれて確実に、俺の鼓動は高まっていった。
不安と興奮…似つかない二つの感情が俺の中で膨らみ、渦巻いている。
そしてその時は、きた。




