出逢い後
「ただいまー。」
玄関の戸を開けて、少年は言った。
「…え、あ、おかえり。」
少年の妹らしき少女が、当惑したように返してくる。
その様子を見て、少年は思った。
“ただいま”なんて久しぶりに言うたな。
この町に引っ越してきて2日目の夕方。
玄関には、まだ引っ越しの段ボールがいくつか積み上がっている。
いい加減片付けろや…。 その段ボールをうまくかわしながら思う。2階の自室は割と片付いている。
ぼふん、と昨日組み立てたばかりのベッドに倒れこみ、仰向けに寝転がった。
ほのかな太陽の匂いが暖かい。同じ匂いを今日、嗅いだっけな。
ふ、と思い出す、今日の昼のこと…あれからずっと忘れられずにいた。
あの走り…久しぶりにぞくぞくさせられた、そして今も。
「…っあー…!」
枕に顔をうずめる。
何もできない自身がもどかしかった。
もう一度…か。会えるのだろうか、俺は。
虚しい自問への答えはどこにもなかった。
――――――――――――
「…おぅ、集。帰ったのか?」
兄の声がする。
現在、スポーツ推薦でラグビーの名門・桜崎高等学校に通う一年だ。
だが、才能というやつだろうか?すでにレギュラーの座を獲得している。
声のした方向の角から、そんな兄の坊主頭が現れた。
その頭に似合わない大きな瞳がちらりと俺の目の中を覗く。 その後、色黒い顔とは対照的な白い歯を見せながらにっかりと笑った。
歯磨き粉のCMにでも出れそうだ。
そんなことを考えていると、たくましい腕が角から出てきた。
その腕が“集”と呼ばれた少年の首にまわり、絞め上げる形になる。
「どーしたぁ?元気ねぇじゃねーか。彼女にでもふられたか?」
軽い調子で兄が聞いてくる。
「…孝兄…。」
「なんだ?」
満面の笑みで聞き返してくる。
まったく…と思う。
自分の力くらいちゃんと把握していてほしいもんだ。
俺は、ごついラグビー部員じゃねぇっつーの。
「…苦しいんだけど。」
首を絞められ少しくぐもった声で言う。
「おぅっ、わりぃな。」
ぱっと集の首を絞めていた腕が離れる。
乾いたせきが自然と出てきた。
悪びれた様子もなく孝兄は笑いかけてくる。
「なぁっ、ふられたか?」
「何にだよ…。」
「ばぁか、彼女にだって。」
はぁ、小さくため息をつく。
いつから孝兄は、こんなくだらない質問をするようになったのだろうか。
「彼女なんかいないって。」
ふーん…、つまらなそうに孝兄は言う。
そして、自分の部屋に戻っていった。
何だったんだ…あいつは…。
兄の後から部屋に戻って考える。
布団に寝転がって天井を見つめた。
あいつは走らない…が、あいつのスパイクを見る目は素人のものではない。
あの歳で、トレーナーはないだろうし…
でも…。
もやもやとした感情が頭の中で渦巻く。
だが、やがて眠気がゆっくりと包み込んできた。
「そういえば…。」
ぼんやりした頭の中で思い出そうとする。
あいつの名前…なんだっけ?




