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子供たちの鎮魂歌  作者: さき太
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序章

 少女は縁側に腰を掛けて庭を眺めていた。

 ただ何をするわけでもなく、ずっとそこで庭を眺めていた。それが少女の日常だった。

 庭の向こうには藪が茂っており、少女は時折その藪の向こうに思いをはせていた。あの藪を抜ければ、世界が広がっている。そんな妄想をして過ごしていた。少女の頭の中では、藪の向こうは海であったり、村であったり、野原であったり、様々な景色に様変わりしていた。それでも、そんな妄想の中でさえ、少女はいつも一人だった。ずっと一人ぼっちだった。

 ここには少女と父しかいない。

 ここは昔家族で住んでいた家。でも今はもう父と末娘しかいなかった。母は末娘が生まれてすぐに亡くなってしまった。五人いた兄姉達も皆離れ離れになってしまった。父はずっと眠ったまま。時折目を覚まして少女を呼ぶことがあるくらいで、少女と会話を交わすこともほとんどない。しかもそんな時、少女は父を再び深い夢の中へ送らなくてはならなかった。出来るだけ早く、できるだけ速やかに。それが少女の役割だった。だから父とのんびり話す事さえもかなわなかった。だから二人でいても一人でいるのと変わらなかった。

 病んでしまった父に付き添いここにいることが彼女の役割で、一人ぼっちのこの世界が彼女の全てだった。

 ここにいて父を守ること。それが少女が長兄と交わした約束だった。長兄は他の兄弟たちの記憶を奪ってしまった。家族で幸せに過ごしていた時を覚えているのは、もう少女と長兄だけだった。少女はそう思っていた。

 今日も庭を眺めながら少女は唄を口遊んだ。父が起きてこないように。より深く、より強く眠りの世界に落ちていくように。

 少女は藪の向こうにまた思いを馳せる。

 少女は知っていた。その先には闇しかないことを。藪の向こうはどこにもつながっていないことを。

 少女は知っていた。自分が自力でここから出ることが出来ないことを。長兄が外からかけた封印は、未熟な彼女が内側から解けるようなものではなかった。でも、それでよかったのだと少女は思っている。もし自分で出られてしまったら、弱い自分は耐えられなくなって役目から逃げてしまったかもしれないから。大切な長兄との約束を破ってしまったかもしれないから。

 父の傍にいて父を守ること。それが長兄との約束。それが少女の役目。少女はいつもそう自分に言い聞かせていた。自分がここにいることで長兄を助けられているのだと言い聞かせていた。

 でも少女は知っている。自分に(とと)(さま)を守れるほどの力はないということを。父様と一緒に自分も守られているという事を。

 (あに)(さま)は一人で全てを抱えて行ってしまった。全ての罪を背負って、全ての責任を背負って。

 少女にそれが解る様になったのがいったいいつの頃だったかは解らない。

 ただただ長い時をひたすらにここで過ごして、思い出すことも数少ない家族との思い出だけだった。繰り返し、繰り返し、思い出しているうちに、繰り返し、繰り返し兄弟達に思いを馳せているうちに、気がついたら解る様になっていた。

 少女は父と封印された時のまま年を取っていない。でも時は確かに流れていた。外の世界では、兄姉達の子は更には子をなし、村ができ、国となり、亡くしてはまた生まれてくる、そんなことを何度も繰り返していた。生まれては殺される。外では兄弟たちの運命はそういうものだった。兄弟達にその運命を課したのは長兄だった。最初に兄弟を皆殺しにしたのも長兄だった。そして長兄もずっと殺され続けていた。本当にそれが必要なことなのか少女には解らなかった。ただ、兄弟たちが幸せではないことだけは解った。だから少女は長兄の邪魔をした。兄弟が殺されなくてもいいように。兄弟達が生きていてもいいように。それが正しいことなのかは解らなかった。でも少女は皆に生きていてほしかった。幸せになってほしかった。ただそれだけだった。

 眠っている父と違い、少女には時間はあまりあるほど沢山あった。だからずっと考えていた。兄弟達のその先を、長兄のその心を、すっと思ってきた。だから解るようになったことも沢山ある。しかし今でも解らないことも沢山あった。ただ、自分が本当は皆の傍にいたいんだと、兄弟達といたいのだと、そう思っていることだけはよく分かった。全部が終わったら兄様が迎えに来てくれる。それまでの我慢。わがままは言えない。自分はちゃんと自分の役割を果たさなくては。ちゃんと役に立っていい子にしてないと、兄様に迷惑をかけてしまう。それでも外に出たいと強く思っている自分を感じて、少女は切ない気持ちになった。

 少女は自分がまだ、外の世界にいた時のことを思い出す。

 兄様や(あね)(さま)達がいて、父様がいた。(かか)(さま)は自分が生まれてすぐ亡くなってしまったから、物心がついたときには母様はいなかった。それでも、それが、幸せだったと思う。家族で過ごしていた時間が、とても、幸せだった。

 父が狂ったのは、母を失ったからだった。本当の所は少女には解らなかったが、少女はそう聞いていた。そうなると少女が生まれた時には父は狂っていたのだということになるが、少女にはよくわからなかった。少女が物心ついた頃の父は穏やかで、よく話を聞かせてくれた。少女はよく父に語り聞かせをせがんで、父の膝に乗っていたことを覚えている。そんな父がおかしいと思い始めたのはいつの事だったか、少女は覚えていない。でも、ただ、自分が成長するにつれて父が日に日に狂っていったという事だけは実感を伴って解っていた。

 父は母を深く愛していた。だから母を亡くして耐えられなかった。だから母に面影が似ている末娘を愛し、それと同時に母の命を奪った末娘を恨んだ。我が子を、恨み、愛し、憎み、慈しみ、そして、父は狂った。そういう事だったのだという。狂った父は、最後には末娘である自分を抱え込み、家に閉じこもり、他の兄弟も近づかせず、近づこうとしようものなら殺さんとさえしそうだった。少女は父のその狂気に身がすくみ、大好きだったはずの父が恐ろしくて仕方がなかった。でも自分を抱きしめる父が泣いている様に感じて、少女は少しだけ父がかわいそうに思えた。

 父には世界を滅ぼしてしまえるほどの力があった。だからこうするしかなかったのだ。正気を失ってしまった父を止めるにはこうするしかなかった。きっとそう言う事なんだと少女は思っていた。

 何も解らなくなってしまった父はただ母の幻を追っていた。幻を失わないように必死だった。だから少女は父を夢の世界へ封じた。父が夢の中でずっと母といられるように。夢の中でずっと幸せでいられるように。それは長兄に言われたことだった。長兄だけは、父の目を盗んで少女と話ができた。そして父にそれができるのは父の傍にいる少女だけだった。そして長兄が二人を家ごと世界から切り離し、封印した。父がずっと夢を見続けられるように。もし目覚めても父がでてこられないように。

 少女は思う。失ったら狂ってしまう程の愛とはどのようなものなのだろうかと。もし外にいたのなら、自分もそのような恋ができたのだろうか、と。父がそこまで誰かを想うことができたことが、想える相手と出会えたことが、少女にはうらやましかった。出来ることならば自分もそんな思いをしてみたいと、叶わぬことと思いながらも、少女は願った。

 そうやって少女がいつも通り外に思いを馳せていた時、ぞわりと身の毛がよだち、少女は身体を強張らせた。

 父が目を覚ましたのだ。

 少女はいつもこの瞬間が怖かった。もし父様が完全に目を覚ましてしまったら、そう考えると恐ろしかった。いつも通りを心がけ、少女は努めて冷静に、静かに父の居る方へ身体を向けた。

 父は立っていた。襖を開けこちらを見下ろしていた。少女は驚いたが不思議と怖くはなかった。なぜなら、少女を見る父の目はとても優しいものだったから。少女の良く知っている狂う前の父の姿がそこにはあったから。

 父は少女を抱きしめると、優しい声でこう言った。

 「愛しい我が娘よ。苦労をかけたな。」

 少女はただただ嬉しくてぽろぽろと涙を流しこう言った。

 「父様。おかえりなさい。」

 泣く末娘を慰めながら父はぽつりぽつりと話し始めた。少女の知らない昔話を。長い長い昔話を父は娘に語って聞かせた。

 少女はただただ父の話に静かに耳を傾けていた。一つも聞き漏らさないよう。真剣に話を聞いていた。

 父の話から少女は色々なことを知った。父の話を聞いて色々なことを想った。そして少女は一人で全て抱えて行ってしまった長兄のことを想った。

 「お前も行きなさい。」

 父は優しく笑ってそう言うと少女の頭を撫でた。

 父は少女に最後のお願いをして少女を送り出した。

 少女は父のお願いをきいて、父の想いを受け取って外の世界へ旅立っていった。


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