一章ノ五
水島、岩下の両名は得意げにポーズを取る女性に対してどうコメントしたらいいのか分からず沈黙を通した。対して女性はテンションが高いのか、水島に近づくと彼の鼻先を人差し指で弾く。
「おーい、なんか反応ないの?」
「なんだ、お前」
「ムカ!」
正直な感想を口にすると、不機嫌になる女性の顔。
窓を見てみるとハンマーかなにかで叩いたのか、鍵の上部が壊されていた。そこからスモーク弾を投げたのだろう。
「窓ガラス割ってスモーク弾投げ込むとか、常識ないだろ、お前」
「ムカムカ! ちょっと研ちゃん、なによこれ」
「それは水島くんです」
「おいこら、知り合いか?」
なにごともなかったかのように喋りだす岩下に水島は慌てた。
岩下の知り合いということは、堅気でない可能性が大きすぎる。女性は水島に近づけていた指を更に近づけ、ふに、っと鼻を押す。
「ちょっと、まさかアンタ、あたしを知らないの?」
不満げに問われるが、水島には女性を見た記憶などない。
「知らん!」
と簡潔に答えると、横にいる岩下がこれまた盛大にため息をはいた。
「仮にも刑事なら、指名手配犯の顔くらい覚えてください……まぁ、君のその小さな脳に入るかは分かりかねますが」
「もしかして喧嘩売ってるか?」
「分かりましたか?」
「腹立つくらいにな!」
「ちょーこら、あたしを無視しない」
無視されたことが不満なのか、水島と岩下の会話を切る女性。腰に手を当てて得意げな表情をしている。
関わり合いにならない方がいいだろうと心の底から思ったが、逃げることはできない。
犯罪者だと聞かされては黙っているわけにもいかないのだから。
「自己紹介するから静かにね。うぉっほん。あたしは泥棒よ。名前は明かせないからキティとでも呼んで」
「ハロー・キティ?」
「そうそう、それそれ」
「年齢とか外見とか、色々無理ある気が――」
「秘技、悩殺キック!」
自称キティが水島の腹部に強烈な足蹴りを食らわした。
見事に決まった技に岩下は控えめな拍手を送る。
一方、水島は、
「……ハロー・キティはこんなに凶暴じゃない」
そう呟くのが精一杯だった。
「可憐な花には棘があるものよ。あ、んで、助けに来たよ、研ちゃん」
「助けに?」
「警官に鉢合わせしちゃったでしょ? だから逃亡のお手伝いに」
「……なぜそれを知っているんです?」
岩下が穏やかな声色で問いかける。しかし、彼の眼は優しさを一ミリも含んでいない。見つめられた相手はどことなく居心地の悪さを感じるだろう。キティも居心地が悪いのか、返答の歯切れが悪くなった。
「あ、それは……研ちゃんへの愛ゆえに?」
「キティ、私はなぜと訊いたんですよ」
「だから研ちゃんへの愛ゆえ」
「……そうですか」
三日月形をしていた眼が、すっと開いた。
キティの肩がぴくりと動き、青ざめ、次いで勢いよく水島の後ろに隠れる。
「こわ! ちょ、そこの、盾になって!」
「あ、おい!」
「ごめんなさい、盗聴器つけてました! いやつい、出来心で」
「……これですね」
襟足に手をやり小型の盗聴器を手にすると、そのまま握りつぶす岩下。
「あ、ははー」
「今後は許しませんよ」
「まぁ、いいじゃん、役立ったんだから。ほら、もう行こ」
「いえ、それがですね――」
「ん? どっしたの?」
「ここの宿主の方が――」
タイミングがいい、とはこのことだろう。
岩下がキッチンに続く扉を見やったその瞬間、扉が開き、ひとみが顔を覗かせた。
最初は笑顔だったのだが、リビングの様子を――粉々になった窓ガラスと、なにげに残っているスモーク弾のゴミが室内にあるのを確認すると口元が引き締まった。
場にいる一同がひとみから無言で顔を背ける。が、そんなことで事態が丸く収まるはずもなく、通常より二割増しでドスの利いたひとみの声が聞こえた。
「誰?」
誰一人、名乗り出ない。
「誰がこの部屋をこんなに散らかしたの! 亮ちゃん!?」
「断じて違う!」
「岩下さん!」
「残念ながら」
「だったら、あなたですね!」
手に持っていたお盆を水島に押しつけると、ひとみはキティへと詰め寄った。
「どうしてくれるんです、今からご飯なのに、こんなに散らかして!」
「う、うーん」
高校生相手に怒られるとは思っていなかったのか、キティは困り顔だ。
ひとみはそんな大人連中に諦めを見出したのか、しばらくすると肩を落とした。
「……もういいです」
言って水島に預けていたお盆を奪い取る。
「ご飯食べたらみんなで片づけてください。それまで家から出ちゃ駄目です」
「おい、ひとみ、俺は――」
「聞く耳持ちません!」
「そんなのありかー」
「はー、たくましい子だね」
「え?」
ふと、ひとみがキティを見上げ、
「………………あれ? あなたは誰ですか?」
至極不思議そうに問いかけた。
「遅い突っ込みですね」
「あたしもそう思う」
「同感だ」
三者三様の答えを聞いた後、
「ええぇえ!! どうしよう、ご飯人数分しか作ってないのに」
悲痛な声で嘆くひとみ。
そんなひとみに対して、岩下が、
「心配するのはご飯のことなんですね」
と、小さな声で突っ込んだ。