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一章ノ四




 テーブルに三つの湯飲み。

 湿気がうっとうしいので冷茶にしてはとひとみが提案したのだが、話し合いをするなら温かい緑茶だろうとの水島の意見によりこうなった。

 ほこほこと、湯気を出す三つの湯飲み。

「で、行き倒れてたから拾ってきたと?」

「うん」

「ここで保護すると?」

「うん」

「岩下を?」

「うん」

「……捨ててこい」

 ずばしん、とテーブルを叩いて水島は外を指差す。

 心中穏やかであるはずもないが、それでも水島は努めて冷静にひとみを見つめた。

「りょ、亮ちゃん?」

「落ちてるものを勝手に拾ってきちゃ駄目だろ、元いた所に返してこい」

 顔をしかめて眼を伏せる。本当なら、なぜここにいるのだと岩下を問い詰めたいが、ひとみの手前、ことを荒立てるのは好ましくない。

 故に、岩下を家の外に追い出し、それから連行しようと水島は考えたのだ。

 しかし、ひとみが肯定するはずもない。

「駄目だよ、外寒いもん」

「確かに寒いが。かといって指名手配犯を家に上げていい理由にはならない」

「ここは、私の家だからいいの!」

「俺が嫌なの!」

「亮ちゃんのことなんて知らないもん」

「知らないもんって……」

 できるだけ自然に、恐がらないように茶化して言葉を選んだのがいけなかったのか、ひとみは強気に胸を張る。

 犯罪者を(かくま)う行為はそれ自体が犯罪だ。

 水島は重く息をはいた。

「ひとみ、岩下は犯罪者だ」

「知ってるよ」

「だったら!」

「だって、怪我してるんだよ」

「怪我って……」

 よく見れば岩下は腹部に怪我をしていた。既に処置したのか出血はない。だが顔も青白く、血の匂いからも、出血量が多かったのは容易(たやす)く予想できた。

 水島の顔が歪む。怪我人相手に乱暴するほど落ちぶれてはいないが、岩下が犯罪者かつ危険な存在であることは拭いようのない事実なのだ。

「亮ちゃんが怒るのは分かるよ。刑事だし、でも――」

 ひとみの懇願(こんがん)が、誰にも言わないで、見逃してほしいと、その思いが痛いほど水島には理解できた。水島自身、そうできるのなら喜んでしただろう。

 だが頷くことはできない。刑事として、岩下を見逃すわけにはいかないのだ。

「別に捕まえてくださっても構いませんよ?」

 岩下が穏やかな声でそう告げ、続けざまにいささか挑発するように失笑した。

「まぁ、水島くんにできればの話ですが」

 ハッタリではないだろう。

 現に、岩下は何度も警察の眼をくぐり抜け、逃げおおせた過去がある。

「捕まえてやるさ、いつかな」

 威嚇(いかく)するわけでもなく、水島は小さく呟いた。

「おや、それは今ではないということですか?」

「今じゃ結果なんて見えてるようなもんじゃねぇか。その傷で逃げれると思ってんのか?」

 今の岩下では警察を撒くことなどできないだろう。

 いや、そもそも彼は逃げる気がないのかもしれない。逃亡を謀るのであれば、水島を見た瞬間に行動すべきだ。そうしなかったということは、逃げる意思がないということだ。

「何度も現場に来ておきながら、私を逃がしてくれた人の言葉とは思えませんね」

「逃がしたくて逃がしたんじゃねぇ」

「そうなんですか、てっきり私は君が善意で私を逃がしてくれているのかと」

「ンだと?」

 犯行現場で会うときのように、冷笑を浮かべた岩下が水島を捉える。

 その眼を見せられるたびに思い知らされるのだ。岩下はもう、共に肩を並べて笑い合った友ではないのだと。

 それが水島にはなんとも言えない感情をもたらしていた。

 笑いたいのか、泣きたいのか。相混(あいま)じる感情から自分で答えを導けない。

「亮ちゃん」

 ふと、ひとみが水島の手を取った。

 温かく小さな手から伝わる温度が心の波を穏やかにしていくようで、水島は知らない内にあがっていた肩を落とした。

「岩下さんも」

 岩下の手も、水島同様にひとみに捕らえられる。

 手を掴まれたことに驚きの表情で固まる岩下。

「喧嘩は駄目です」

 小さく、けれど絶大な威力を持つ人の言葉が岩下を黙らせる。

 彼女にじっと見つめられると弱いのは、四年前から変わっていないらしい。かくいう水島もひとみに睨まれると弱いのだが。

 岩下は掴まれている手を見ながら伺うようにひとみを見た。

「ですがひとみさん」

「岩下さん、怪我してるんですよ。それに亮ちゃんも、休暇中なら警察官じゃないの! だから、お仕事しちゃ駄目!」

「いや、あのだな、ひとみ? 休暇中でも仕事は――」

(うるさ)いの! ここは私の家。だから私が主人なの」

 ぎゅっと、掴まれている手に力が込められた。

 痛くはない。むしろ心地良い強さで、しかしそれが逆に心には痛かった。

 小さな(いさか)いを、言葉だけで収められた頃が随分と昔のような気がする。

「亮ちゃんも岩下さんも、好き勝手しちゃ駄目。また喧嘩したら怒るからね!」

 そう言うとひとみは二人から離れた。

「ひとみ? どこ行くんだ?」

「ご飯作ってくるの! 仲良くしてないと、ご飯抜きだよ」

 犯罪者と警察官を置いて飯を作りに行く。その大胆さに、つわものだと水島は苦笑した。 静かになった部屋で、ぱらぱらと窓ガラスに雨が当たっている。

「行っちまった。……お前のせいだからな、怒られたのは――ってなに笑ってんだ」

「あ、いえ、『ご飯抜き』ですか……」

 岩下が笑っている。ただそれだけのことに水島は酷く自身が傷ついているのを感じた。

 現場で見る彼が顔に浮かべるのはいつでも冷笑で、今のように苦笑する姿を見たことはない。

 水島は鼻を(こす)りながら首を鳴らす。

「昔も同じようなことしてひとみを怒らせて、最後に泣かれてオロオロしてたのは、どこのどいつだったかな?」

「君でしょう」

「あれはお前が」

「あのときは君がひとみさんを怒らせたんです。くだらないことで口論した挙句、彼女が作った料理をひっくり返して」

「くだらないことって。研一がかつら組の幹部に逃げられたから、慰めてやろうって――」

 ふと、水島は言葉を切った。今、自分はなにを言ったのだろう。

 眼前の男も、まさか今更名前を呼ばれるなど思っていなかったのか、複雑な顔をしている。

「――悪い。名前で呼んで……って、謝るのもおかしいよな」

「そうですね」

「四年、経つんだな」

「ええ――」

 不自然に間が空く。

 昔なら他愛無い会話を振ることにためらいなどなかったが、今それをするには尋常(じんじょう)ならぬ勇気が必要だった。

 自ら一歩踏み出して相手と交流を求める行為が、これほど苦に感じたことはない。

 今更、馴れ合うことはできない。それは双方、十分過ぎるほどに分かっている。

 過去がどうあれ、もう和気藹々(わきあいあい)と喋れる間柄ではないのだ。

「いい子ですね」

「ん?」

「ひとみさん」

「……そうだな」

「守ってあげてください」

「お前のやりたかったことを勝手に俺に託すなよ」

「……そうですね」

 少し寂しげにうつむいた岩下の前髪が落ちる。

 どうしたのだと、問いかけたい気持ちが首をもたげたが、唇をかみ締めて水島は自制した。

 この場で岩下を逮捕できないのなら、少しでも多くの情報を彼から引き出すべきだ。

 それが警官である自身の仕事なのだから。

「なぁお前、木城って知ってるか?」

「死にましたか?」

「ああ。あれ、お前の仕業じゃないよな?」

「違います。彼が襲ってきたんです。私を刺した後、自殺をはかったみたいですけど」

「なんのために?」

「知るはずがないでしょう」

 木城は自殺だったと、その言葉に証拠はない。

 反論しようと思えばいくらでもできた。問い詰めて嘘だろうと恐喝(きょうかつ)まがいもできる。しかし、水島はしなかった。

 甘いと言われればそれまでだが、真実が見えない今はせめて、彼の言葉を信じていたい。

「それ、それはそのときの傷か?」

 岩下の腹部を指差して問いかける。

「さぁ、どうでしょうね。当ててみたらどうです? 水島刑事どの」

「研一!」

「今更馴れ合うつもりはありません。君は警察で、私は犯罪者。協力すべきではありません」

 今まで散々自分が思っていたことを言われ、水島は黙った。

 相容れない。踏み留まらなくてはいけない。相手の領域に踏み込めば自らを滅ぼす結果になるのは火を見るより明らかで、だがそれでも、水島は諦め切れなかった。

 いつか、もしかしたらいつか、昔のように笑える日が来るのではないかと。

「……俺は、あの事件、お前が犯人じゃ――」

 突然、ベランダの窓ガラスが割れる音がした。

 次いで煙幕が室内に流れ込んでくる。

「なに、なんだ!? 煙?」

「催涙弾ではありませんね。眼くらましでしょうか」

「落ちつきすぎだろ!」

「君は騒ぎすぎです」

 ため息と、あきれを多く含んだ声色が聞こえると、煙幕が引いていく。

 煙幕が引いた室内で見えたのは、見たこともない女性。

 軽く巻いた栗色の髪。印象的なのは口元のホクロ。目元にどことなく妖艶(ようえん)さを持つ彼女はにこやかに手を振ると水島たちに近づいてきた。

「はぁい。姫のピンチにキティ、颯爽(さっそう)と参上」


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