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二章ノ十

 砂埃(すなぼこり)が立ち込める工事現場で、ひとみは校舎を見つめていた。

 夏休みに入るまで通っていた(まな)()は老朽化のため修繕工事中なのだ。外装を鉄パイプが覆う姿は壮観(そうかん)だ。人気はない。今日は工事をしない日なのだろうか。遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、同級生の一之瀬明日香が手招きをしている。

『こっち、ひとみちゃん!』

 工事現場内に入れる場所を見つけた明日香はうれしそうにひとみを呼ぶ。

『あすかちゃん、入っちゃ駄目だよ』

『だいじょーぶっ! ないしょだもん』

 そう言って明日香は工事現場へと入ってしまった。

 ひとみはしばらく考えて、追いかけた。もうすぐ夕方なのだ、こんなところに一人でいるのは恐い。

 工事現場の中に入ると、暗澹(あんたん)たる雰囲気だった。空が曇っているのも原因の一つだろう。明日香の姿はない。

『あすかちゃーん、どこー?』

『こっちこっち!』

 声のする方へと歩く。足が重い、行きたくないのだ。

 置き去りにされたシャベル、土のついたローラーに()びた鉄筋。普段間近で見ることのないそれらに好奇心を寄せられたら良かったのだが、自分の背丈より大きいそれらはひとみに恐怖しか与えなかった。

『あすかちゃーん!』

 ぎゅっと小さな手を握り締めて呼びかける。

 返事はない。

 戻ってきてくれないかと淡い期待を抱いたのだが、明日香が戻ってくる気配はない。仕方なくひとみは足跡をたどった。

 少しぬかるんだ土の上には明日香の小さな靴跡と、なぜか大きな靴跡。

 そうしてしばらくすると明日香の髪についている髪飾りが見えた。明日香ちゃん、と声をかけようとした直後、自分の上に影ができる。

 見上げると男性が眼に映り、大きな鉄パイプが自分に向かって倒れてきているのが見えて、誰かが叫んで――




「っあ! ……っは……はっ……夢?」

 鉄パイプの下敷(したじき)にされる、その直前でひとみは跳ね起きた。呼吸が乱れ、体温が下がっているのか全身が寒い。

 身体を折り曲げ、膝を抱える。こうすると自分を自分で守れているようで、少しだけ安心するのだ。膝に顔を埋めてみると、泣きたい気持ちになった。

「ひとみさん。大丈夫ですか? うなされていたようですが」

 傍から聞こえた声にひとみが慌てて顔を上げると、岩下が心配げにこちらを見ていた。

 首をひねると確認できる、白いベッドに白い壁。微かな薬品の匂いが充満している部屋。「いわ、した……さん」

「はい」

 震える声のまま問いかけると、岩下はいつもより優しく頷いてくれた。

「ここは病院ですよ。トラックに撥ねられたんです。覚えていますか?」

「わ、わたし……」

 眼を閉じると瞬間、フラッシュバックする出来事。

 自転車に乗っていて、撥ね飛ばされ、なにかにぶつかったのだ。朦朧(もうろう)とする視界の中、やけに赤い鮮血が見えたのを覚えている。

 ひとみは布団を跳ね飛ばす。

「あの、麻生くん! 麻生くんは大丈夫ですか。私と一緒にいた男の子で」

 呼吸がおかしなほどに乱れた。四年前も同じように、気づいたら病院で、明日香が死んだと聞かされたのだ。あんな思いはもう、したくない。

「岩下さん、あの、私!」

 岩下の服を掴むひとみ。

 落ちつかせるためか、岩下はゆっくりとひとみを抱きしめた。手を握り、頭を撫で、背中を叩いてくれる。

「ひとみさん落ちついてください。大丈夫ですよ。彼は軽傷だそうです、命に別状べつじょうはありません」

「よ、良かったぁ」

「良かったではありません。ひとみさん、全治一週間ですよ」

 身体を離すついでに(たしな)められると、ようやくひとみは自身の頭と肩に包帯が巻かれているのに気づいた。

「腕はあまり動かさないようにしてください。桃、好きでしたよね?」

「はい……あれ? 岩下さん、どうして病院にいるんです?」

 涼しい顔をして桃を()きはじめる岩下。しばらくはその様子を見ていたひとみだが、ふと違和感を覚える。

 岩下は紛れもなく犯罪者で、顔を出せないから病院には行けないと言っていたはず。それがどうしてここにいるのか。

 まさかまだ夢の中なのかとひとみは自分の頬を(つね)った。

「ひたい」

「頬を抓っても私は消えませんよ。そうですね、なぜここにいるのか……ひとみさんが心配だから、ではいけませんか」

「……駄目じゃないです。けど」

 優しく微笑まれてうれしいはずなのに、なぜか胸騒ぎがして、ひとみは再び岩下の服を掴んだ。

 こんな風に微笑んでくれるのはたぶん、四年ぶりだろう。

 だから分かる。岩下はなにかを隠している。

「岩下さん、なにか隠してます?」

「……だとしたらどうします?」

「教えて、もらえないんですか?」

「ええ、ひとみさんには言いませんよ」

 桃を剥きながら岩下が静かに言う。甘い果物の香りは好きだが、ひとみは純粋に喜べなかった。見つめても岩下のポーカーフェイスが崩れることはない。

「……亮ちゃんには?」

「水島くんにも言いません」

「キティさんは?」

 三度目の問いかけに、ようやく岩下はひとみへ視線を返した。

 見つめ返され居心地が悪くなる。問いかけすぎてあきれられたのだろうか。

 どうしようと迷っていると、岩下は果物ナイフを置き、手を拭いた。綺麗にカットされた桃が皿に載せられ、無言で渡される。

 同じように黙ったまま桃を受け取り、口に入れると微かに甘かった。

 岩下も桃を一つ取るとかじる。

「……ひとみさん、私は犯罪者ですよ。そうでなくても、人間隠しごとの一つや二つあるのが普通です」

「そんなの、ずるいです。私ばっかり知らないこといっぱいで」

 やんわりと壁を作るような岩下の言葉に、ひとみは食いついた。自分が一番頼りない存在だと、誰に言われなくとも分かっている。

 この距離は、互いを守るために必要なもので、壁もまた必要なのかもしれない。

 けれど、それでもひとみは岩下と同じものが見たかった。

 一人取り残されて、いつまでも守られる存在であるのは嫌なのだ。置いていかれることは恐怖でしかない。

 両親は幼い頃、事故で亡くなった。それからひとみは一人ぼっちだ。

 祖母が生きていた頃は、『おばあちゃんと待っていようね』と言われ、渋々(しぶしぶ)我慢した。

 祖母が亡くなってからは水島たちの帰りを待ち続け、いつの間にか寝てしまうことが多かった。それでもひとみはできるだけ遅くまで起きて、水島たちの帰りを待っていた。

 あの広い家に、一人でいるのが恐かったのだ。眠くても、夜が怖くても、帰ってきてくれる人が見えた瞬間はとてもうれしかった。

 そんな人たちに守られている。それが分かる今だからこそ、自分もなにか役立ちたいと思ってしまう。

「私だって、なにかできること、あるかもしれないじゃないですかっ!」

「ひとみさん」

 言い(つの)ろうとしたひとみの手を握り、岩下が懇願するように(ささや)く。その声色はどこまでも切なさを秘めていた。

 見つめ返すと、彼の眼には自分が映っている。

「お願いですから、危ない目に遭わないでください」

 危ない目に遭うなと言われ、はいそうしますと返せるはずもない。

 未来を確約(かくやく)することなど、誰にもできはしないのだ。

 もちろん、岩下の足手まといにはなりたくない。

 けれどいつか、今は無理でもいつか、岩下の隣に並び立って彼と同じものが見たい。そう願っている自分がいる。

 けれど岩下にとって、自分はいつまで経っても庇護(ひご)の対象で、対等に見てもらえる日など来ない。そう考えると、涙が落ちそうだった。

 優しくされればされるほど、切なさが込み上げる。

 触れないでほしい。声をかけないでほしい。我慢できない感情があふれ出して、みっともなく零れてしまうから。

 岩下は俯いている。彼には今、ひとみが見えていない。ひとみの想いは届かない。

「私は、あなたの傍にいることができないから」

 嘘でもいい、微笑むことができれば良かった。けれど、哀願(あいがん)のように囁かれた言葉に、手を握り返すことができなかった。

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