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還:天使の血管  作者: 室木 柴
第一章 スリーピィ・ホロウ
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第七話 狂気と夜の人

 真木 幸助は《天使》である。

 正直《親》とかしんどい。

 ゆえに真木にとって白河 鳩はまるで理解できない同族であった。


 彼の《親》真木 正生は愚かな男だった。

 色々愚かな理由はあったが、最たるものは怠惰。

 その性格は皮肉にも幸助にもばっちり受け継がれた。

 ぶっちゃけ正生はもうこの世にいない。ちなみに幸助が殺したも同然である。

 幸助は愛想がないという自覚はある。かといって何も思わないわけではない。

 なにせ三年間だけとはいえ、突然現れた子どもを育ててくれたのだ。

 それ以上にそうなるのは必然だったとどうでもよく思ってしまっている。


「なあ、お前って本当に《天使》なんだよな? じゃあ何かできないのか」


 今の幸助の生活も、正生が死を迎えたのも全てこの一言からはじまった。

 二十代後半ながら家から追い出され、日々をフリーターで食いつないでいた。

 薄汚れた六畳半、焦った表情の正生もお構いなし。のんべんだらりと寝転がる幸助にしびれをきらしてのこと。

 たったの三年で高校生程度まで成長した幸助の前でひざまづく姿はそれなりに滑稽だった。


「何かって」

「えーと、例えばさ。金を生み出すとかめちゃくちゃラッキーになれるとか。炎を出すとか目立つやつでもいいぜ!」

「ないね」


 はっきり嘲笑(あざわら)う。正生はわかりやすく肩を落として落胆した。


「ああ、なるほど。要は《天使》の恩恵が欲しいわけだ。親だってだけで派手な子どもで荒稼ぎ、スターみたいに注目されてチヤホヤされたいのか」


 そんなことをしたって疲れるだけじゃないか。

 侮蔑のまなざしに正生は青筋をたてた。少しのことにも激しく振り回される。


「正生、勘違いしないでくれ。アンタを駄目な奴だといっているわけじゃあないんだ」


 誰だって一度は考えてしまうだろう。

 そんな都合のいいことを望み、ましてや口に出すのが愚かしいと思っただけだ。

 本心からの言葉だったのだが、冷めた口調が気に障ったようで 胸倉をつかまれた。


「やめろよ」

「じゃあ俺はなんのためにお前を養ってきたんだよ! お前がいれば、そのうち異能を使ってテレビにでるとか、モテるとか」

「そりゃあ最初から無理な話さ。俺が出たところで、最初だけ珍しがられてすぐ忘れられるのがオチだよ。俺ァ目立つのに向いてねぇし。大体、《天使》なんてのは何千年も前から人間と共生してきたんだぜ。正生が思う程衝撃はない」

「でも、でも」

「《天使》の異能が必ず目立つもんだとは限らない。イロモノ勝負しても長続きしねえよ」


 大前提として、世の中甘くないという事実と、正生に荒野を進める粘り強さがないという問題もある。

 正生は決してそれを認めないだろう。本当は自覚していても、だ。素直に認めて努力できるなら最初からこうはなっていない。


「第一俺なんだぜ」


 彼は《天使》の異能を魔法か何かと勘違いしていた。

 異能とは、《天使》の人格を反映してたったひとつだけ目覚める異形の力。

 幸助のような人格で煌びやかな異能になるはずがない。

 一番否定して欲しかった箇所で、正生は「まあ、そうだよなあ」とうなだれた。


――そうだよなあってなんだよ。


 唇を歪める幸助を放って体を重そうに引きずり、部屋の隅にうずくまる。

 日のあたりにくい場所で壁の隅に向かって膝を抱えてしまう。

 初めて会った時もこうしていた。

 アルバイトをクビになった時。好きな女にフラれた時。落ち込むといつもこうだ。

 そんな正生の後ろ姿が急にいやになってしまった。


「正生」

「だってさぁ……お前のこと、頼りにしてたんだよ。お前さえいれば、なんとかなるって」

「ならない」


 そもそも、そんなのでうまくいくなら《天使》の芸能人なんていくらだっているはず。

 《天使》のタレントが少ないのは人間に対する《天使》の割合の低さばかりではない。

 自分とは違う存在である《天使》に好意的な興味を持つ者もいれば、単なる好奇、いっそ敵意や悪意をもつものもいる。

 正生のように《天使》の異能を欲しがって誘拐だとか脅迫だとか妙な事件が起きることもある。とてもお気楽な存在ではない。


「嫌だ、もう頑張りたくねえよ……。面倒だ、疲れたんだ。世の中、嫌なことばっかりで。できる奴はどんどん豊かになってくくせに、オレはこんなとこでガキみたいにうずくまるしかない。情けねえよ。もう、タルい、価値ねえよ、こんな世界」


 ついには、鼻を鳴らして泣き出す始末。


「なあ、正生」


 それほどつらいというのなら、考えないこともない。

 いっそ、楽にしてやろうか。


「この世界で、俺にはアンタに金をやることも、幸運にしてやることもできない。ファンタジーの超能力じみた派手な力も持っちゃいない。

 が、幸せにしてやることはできる」


 正生の貧乏ゆすりがとまる。

 壊れたロボットみたいに、とてもゆっくりにこちらを振り向いて。

 無言ではあったが、驚きとともに期待を込めた目が。

 期待をそのまま矢に変えて、幸助を射殺しそうだった。

 結末をなんとなく予想しつつ、問う。

 やはり、結果はロクでもない終わりなんだろうと思いながら。


「幸せな夢を見たいと思うか?」


 明晰夢。自分の思った通りにできる夢。

 幸助の異能は、相手を眠らせてそういったものを見せることのできる力。幸助自身は「そうらしい」程度に思っている。

 らしい、というのは幸助自身は夢をみたことがないからだ。

 夢を見せる能力にも関わらず、自分は夢を知らない。なんておかしい話。

 さらにおかしいのは、夢で死人がでたこと。

 夢の中で死んだのではなく、夢のせいで、人が死んだのだ。

 現実に苦しむ正生に幸助は理想の夢を見せてやった。

 何もかもが思うまま。働かなくても巨万の富が周囲にあふれかえる。道を歩けば通りがかるもの全てが見惚れ、あらゆる女が言い寄ってくる。

 天上のものとすら思えるほどおいしい食事、美しい容貌。どんなに食べても太らない。怪我もしない、したとしてもあっという間に治る。

 退屈すれば、ファンタジーな戦場へ。サプライズが欲しいとねだられれば、幸助が夢に介入し予想外のイベントを起こしてやった。

 異性からは焦がれる恋慕を、同性からは羨望を。むかつく上司を殺しもした。あいつなら仕方ない、誰もが優れた正生には諦めるしかなく、尊敬の念すら抱く。

 正生は幸福そうだった。幸助に礼もいってくれた。


――素直に嬉しいと思っただけ、俺も十分に愚かだった。


 そうして、死んだ。

 苦しい現実よりも、楽しい夢を選んで。

 永遠に夢を見続けたいと望んで。

 飲まず食わずの日々が続いたせいだ。実際の肉体との感覚を遮断させて見せた夢では、現実でどうなろうとも苦しむまい。

 例え脱水症状に陥ろうとも身体がガチガチに固まろうとも、彼は夢中で快楽を貪る。

 エンデュミオンではないのだから、いずれ死ぬのは当然。

 最初から心配はしていた。理想の眠りを強請(ねだ)るのが頻繁(ひんぱん)になって確信もした。

 やんわりと忠告してももはや自分の世界に閉じこもり、井の中の神と化した彼は耳を貸さない。

 現実の話題をだし、癇癪を起した正生に殴られて以来まともな会話すらやめてしまった。

 たまに布団からのそのそ這いずりだす彼と話し合う題といえば、次はどんな夢をみるかという相談ばかり。

 今までで一番長く 贅沢な要素をこれでもかと詰め込んだ物語を望み、眠り始めて一か月。死んでいるのに気が付いた。


 もしかしたら、もっと早くに死んでいたのかもしれない。

 まめに脈を測らなかったからわからなかった。


 救急車を呼び、あとは周囲に従うまま。

 なんとか《天使》であることを隠そうとしたが無理だった。

 救急車を呼んだあと、幸助自身が吐血してしまったのだ。それからあっさりばれてしまった。

 案の定、面倒臭がって正生は幸助の戸籍すら作っていなかったせいだ。

 あるいは秘密の存在にしておきたかったのかもしれないが遺された身としては迷惑極まりない。

 そうして出会ったのが五十嵐医師。

 《天使》について研究している珍しい医者だ。

 約二万人に一人の割合しかいない《天使》の医者は、必要な知識量に反して需要と供給が得られる確率が低い。だからそんな医師はたいてい変わり者だという。

 五十嵐医師も例に漏れない。穏やかだが善い人間だとは幸助には少しも思えない。


 その話は少し置いておこう。

 幸助は五十嵐を担当医とし定期的に検査することを条件に、戸籍も就職までの援助もしてもらえた。

 正生が死に、世間にでる許可を五十嵐が出してくれるまでに二年。

 その二年の間に真木は高校生から立派な大人の体格になってしまった。

 そこで幸助が希望した就職先は、コンビニのアルバイトだった。

 手伝ってくれるという役人は困惑していた。しかし実際、学のない幸助には働ける自信がなかったのだ。対人経験に至ってはほぼ皆無。

 それに大きな責任とプライドを背負わなければならない仕事など面倒だ。

 向上心の欠けた本音はともかく、小難しい知識を持たない幸助が会社勤めに向いていないのは相手も重々承知だったらしい。

 坂野とはこの頃からの付き合いだ。

 たまたま同じコンビニで働いていた(見た目が)同い年の同僚。


「餓死するのも誰かに引っ張られて生きるのも怠過ぎる」


 坂野がさぼろうとする真木を冗談交じりに注意した時、そうこぼしたことがある。

 生き続けた時の不幸の想像など実現する確証もない。わざわざ警戒するのは面倒くさい。

 不幸を気に掛ける行為そのものがどうでもいい幸助に、死にたいという発想は不自然だ。

 口癖でことあるごとに面倒だというために、よく生きることそのものを面倒がっているように勘違いされるがそれは違う。

 生きることも死ぬことも等しく面倒臭い。

 あれもこれもと望むのもうんざりする。あれがないこれがないと苦しむのもげんなりする。そもそも『生きるか、死ぬか』というステージに彼は立たない。

 生きているから生きる。実にシンプルだ。無駄に悩むのが一番肩が凝る。

 腹が空いたり耐えられないほどの暑さ寒さに震えたり。最低限必要なものを得ることにすら誰かの手を求め、貸しを貯めていく。

 未来とは時間が過ぎただけの今だ。

 いつになるにしろ『今の自分』が嫌になることを大量に背負うなんて、考えるだけでゾッとする。勿論彼はそれ以上考えなかった。


「貸しを作るより、自分でやった方が気楽ってとこ」

「ふーん」


 同僚はいつも興味なさそうに相槌を打つ。

 このコンビニには三年ほど勤めた。

 恐らく当分いるだろうと思った環境が劇的に変わったのは、この同僚、坂野がきっかけとだった。


「なー真木ー。今日の夜って何時まで仕事入ってるー? ついでに明日も」

「見ての通り、今日は十時まで。明日も十四時から二十二時。ついでにいえば明後日は休日」

「そっか、じゃあ仕事終わったらさ、おれん家来ない?」


 そう誘われた時、思わず幸助はいやな顔をしてしまった。

 緊張と期待を含んだ物言い。

 彼の目的がわかってしまった。不快を隠そうともしない表情に同僚は怒るどころか焦り出す。幸助には彼の媚びた態度がますます気に食わなかった。


――普段は絶対そんな態度、俺に向けないくせに。


「酒もツマミもあるぜ、なんならDVDでも見て」

「いいぜ。気ぃ遣わなくていい、酒もいらない」


 すぐにいつも通りの無気力な顔に戻り、軽く引き受ける。するとわかりやすくホッと息をついて手を合わせるのだ。


「サンキュー! いや、スッゲーいい夢みれるんだもんよ。まさかこんな特技があるなんてな、凄いよ。お前さん」


 褒められてもあまり嬉しくない。死んでしまった正生を思い出す。

 同僚がいっている『スゲー』のは真木の異能のことだ。

 無理なシフトを入れてクタクタになり、疲れすぎて眠れないなんて奇妙なことをいうから、何気ない気持ちで異能を使ってしまった。

 それこそ、普段の幸助であればドンマイの一言で放っておいた。

 だが、眉を八の字に下げているくせして、妙に恥ずかしそうに笑みを浮かべるさまが――どう思ったのだろう。わからない。面倒だから思考を放り投げ、感情とすらいえない感覚で申し出た。

 思い返せば、考えてみても何故手を貸したのか悩む気がする。

 ひとつだけいえるのは、たまには親孝行がしたいと語る同僚が眩しくて、懐かしかった。それだけだった。

 彼には最初、異能を催眠術だと説明した。座布団をしいて向かい合い、タコ糸でぶらさげた五円玉を揺らす自分。さぞ滑稽だろう。

 実際には道具などいらない。こちらに無防備な相手の額に人差し指を押し当て、チョンと小突く。これだけでも異能は発動する。この間は酒を飲んで寝込んでしまった時に触れたのだ。

 五円玉の夢を挟んでから、彼が望む、心休まる夢を見せた。

 今度は大丈夫だと思った。

 もう同僚のハードスケジュールは終了している。今は普通のシフト。


「無事、プレゼントが買えた」「母は喜んでくれた」報告してもらえた時は、心臓のあたりがろうそくを灯したように暖かくなった。

 今、同僚の誘いを受けて嫌な跳ね方をしている心臓が。


――どうしてだろう。


 昔はこの能力が人を幸せにするか、不幸せにするかで苦しんだことなどなかった。

 間違いなく幸福にしている。正生のように求めすぎて破滅したとしても、自己責任だ。

 自分が何も悪くなったとは思わない。だが、自分が一番悪いだなんて夢にも思いはしない。一番悪いのは、自分で自分をボロキレにしてしまった当人だ。

 今でも『それは』変わらない。


――そりゃあ止められなかった俺も悪いさ。最初にあげちまったのだって、キッカケっちゃあキッカケさ。でも選んだのは本人だ。俺にだけ責任を求めるのはオカドチガイだ。


 ならば違うのかもしれない。

 楽を与えて以来、怠けることを覚え、楽をすることを求め、態度が変わっていく姿を観る度にたまらない気持ちになるのは、自責以外の感情。

 かつて正生に同じ力を使った時にあれだけ嬉しかった「ありがとう」が、砂を噛む無味乾燥な苦痛に変わってしまった理由。

 理解できないまま幸助はつい異能を使ってしまう。

 その日まで幸助は今までもこれからもずっとそうだと思っていた。

 だが人間というのは、幸助が思うよりも義理を考えると落ち着かない生き物らしい。

 酒を断れば食事を、食事を断れば娯楽を、娯楽を断れば礼金を出す。

 いいといっているのだから、無視して受けられるだけのものを受けてしまってもよかろうに。不思議と恩を返そうとする人間はゼロにはならない。

 幸助は初めてでもないのに、頭を下げられる都度、感動に似た驚きを覚える。

 坂野はそういう人間だった。


「別にイイっていってんのに」

「それじゃー悪いだろ。忙しい時に散々助けられたしさ」


 同じ職場で働いているのだ、給料の程度はよく知っている。差し出された茶封筒は薄い。しかし、少々の出費が生活にどれほど響くかも痛いほどわかる。

 何度めかの招待。てっきり『また夢を見せろ』と言われるのだと思っていた。仰天して一瞬声がひっくり返ったのに同僚は気が付いただろうか。


「でもよ」

「いいだって! そんな大した金額じゃないし。これでうまいもんでも食えよ、お前細いんだよ! 枯れ木か!」


 無理矢理握らされる茶封筒。鍛えていない幸助には重過ぎる。


「……これの半分くらいでイイ……」

「人の好意を無駄にすんじゃねえよ、代わりにまたやってもらうからな! ミンミン打破代わりに!」


――やっぱりまたやるのか。


 ほんの少し落胆もあるが、いつもとは違う気もする。眠気覚ましに使うと宣言されたのは生まれて初めてだからか。

 押し切られる形で幸助は茶封筒を鞄にしまう。すっかりボロボロになって生地の一部が剥げてしまっている緑色のリュックサック。気に入って長く使っている。

 永く使う気も満々なのだが、同僚は見慣れたリュックサックをみて眉をひそめた。


「なに?」

「あのさ、お前さん。そんなに金に困ってんの?」

「困ってないけど」

「ボロボロじゃん。着てる服も何年もローテーションして色落ちちゃってるしさ」

「毎日同じの着ないだけ、成長してない?」

「知らねーよ、んな成長! 前から思ってたけど、バイト辞めた方がいいんじゃないの」


 百円ショップで買ったまま、シールもつけっぱなしのとっくりから同じく百円ショップのおちょこに酒を注ぐ。

 予想外の方向性の攻撃に、よく見えない目をまんまるに見開いてしまった。


「……」


――結構、お前のこと嫌いじゃないのに。イイヤツだし。お菓子くれるし。ポテトチップスのうすしお味のやつ。今、クッソショボイけど黄金色のお菓子もくれたのに。


 物凄い哀れっぽい調子で罵ってやろうとしたのに、声が出てこない。酸素不足の金魚のように口をパクパク動かす。

 いっぱい酒を煽った後で、同僚は酸欠で土気色になっている幸助にようやく気付いた。


「ちょっあっちが、違う違う! お前さんがキライとかじゃないから! イイヤツだよ、催眠術うまいし、店長の怒りの矛先になってくれるし、怒んないし、あと、えーと……なんかこうイイヤツだよ!」

「そうかそうかつまり君はそういうやつだったんだな」

「うるせえエーミール! おれが悪かったよ、単にさ、コンビニよりずっとお前さんに向いてて稼ぎもいい仕事があるんじゃねーかって!」

「……詐欺のススメ?」

「ちーがーいーまーすー。最近はアロマだのマッサージだの、セラピーなんてもんが流行ってるじゃん。でも、本来の休息方法ってのは眠りだろう? お前さんの特技はまさにそれじゃないか」


 坂野は語る。

 幸助がどんな道を選ぼうとも幸助の自由。

 だが自分には幸助にはもっと可能性があるように思える、と。

 あわよくば自分ものっかりたいと茶化しながら、起きているくせに夢を見る。


「オレは小難しい話はよくわかんないけどさ、お前さんの特技がすごいんだってのはわかる。

 何事も最初は大変だろうさ。おれなんかはじめようとしてもいっつもつらくなってすぐやめる。けど母さんの時は違った。真木の助けがあったからだ。仕事にしたって続けるうちにいつか絶対うまくいく、お前さんのはそういう特技だよ」


 きゅっと血の気がない唇を真一文字に引き締めた。心臓を優しく撫でられたような心持だ。

 胴がぽかぽかと温まっていくが、不整脈にでもなりかけているのではと不自然な脈拍に気分が悪い。


「……つまり、セラピーの店でもやれって? 免許とかいらねえの」

「調べてみたんだけどさ、日本じゃ公的な資格がないらしい。一応資格を取るための学校はあるみたい。胸を張るために取るのもありかもな。百時間ぐらいかければいいっぽい、流し読みだから確証はない」

「おい」


 気を取り直して肩を小突く。

 自分の将来を誰かが真面目に考えてくれるだなんて、鳥肌もので我慢ならない。

 坂野は苦笑を浮かべた頬をかき、真剣な提案を誤魔化す。


「お前、派手にやってやろーってタイプじゃないじゃん。そこそこイイ感じに、ローカルにアンダーにやったら」

「アンダーっていう響きは悪い。ローカルでいこう」


 茶封筒の表面をざらついた指の腹でなぞる。目線はどこも見ていない。口調は努めて明るく、いっそ茶化してすらいた。

 それでも幸助が絶対に手間がかかる提案を肯定したのに、よほど驚愕していたらしい。先程の幸助を遥かに上回る声のひっくり返りっぷりだ。


「そんなに意外か」

「そりゃあもう! 自分でいっておいてなんだけど、ほぼ確実にバカにされると思ったぜ」


 なるほど。自分は周りから見ればそういう人間に見えるわけか。

 不思議と怒りの感情は沸いてこない。


「豊かな暮らしがキライなわけじゃない。なくても困らない贅沢のために苦労するのが好きじゃないだけで」

「それってそんなに違うか?」

「違うさ」


 この問答も意味はない。同じ質問と主張の繰り返し。

 彼の言う通り、幸助の『催眠術』の効果は抜群だ。相手と量を間違えなければ、そこそこうまくいくのかもしれない。


「コンビニ生活も快適だったんだが」


 やりたくないことはこの世のすべて。だったら何をやろうがやるまいが、大差はない。

 アルバイトに代わって勉強をするというのは使う時間の内容が変わるという意味だ。大きな目で見れば何の変化もない。


「やるだけやってみるわ」

「マジでか。槍……ゴミが降るんじゃねえの」


 酔いもあってか坂野はケラケラ笑う。

 そのまま色んなことに酔っぱらって、気づいたら幸助はエンデュミオンの店主になっていた。


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