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還:天使の血管  作者: 室木 柴
第一章 スリーピィ・ホロウ
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第五話 眠れるひとびと

 暗い裏路地。いくつもこぶし大のコンクリートとゴミが転がって、お世辞にも綺麗とはいえない。

 地震の影響でも受けたのかあちこち道路が盛り上がり、割れた小山を築いている。

 泥を舐めたような臭気。湿気が強い。はっきりいって胸の悪くなるような場所だ。

 世界から切り離されているように、細く、長い道。

 奥にはうっすら扉があるのはわかる。


「神秘的……というか、オカルティックといった方が合っているんじゃないですか」


 扉の向こうで営業している店こそエンデュミオン。

 その上品な名前にとても似つかない場所だ。


「そういわずに」


 怪しい雰囲気に物怖じする鳩を無視して虎斑はずんずん先にいってしまう。

 足踏みする鳩の背中をおしたのはしとしとと降り始めたぬるい雨だった。

 脳天にいきなりひやっとしたものが触れ、びくりと肩をはねあげて店にかけこむ。

 はいってみればますます存外快適だ。空調がしっかりしているらしい。

 うちっぱなしの壁は廃墟かと思うほど黒ずんでいる。

 カウンターと大きな本棚、使い古された合成皮革のソファ以外目立つ家具はない。


「予約していた白河です」

「いらっしゃいませ、白河 鳩さまですね。順番になりましたらお呼びいたしますので椅子におかけになってお待ちください」


 人に接する仕事とは思えないほどの殺風景。

 だが空虚も冷たさも感じなかった。姉の部屋の方が色彩は柔らかいのに、この部屋の方が妙に落ち着く。

 物珍しさにあれこれ見ている間に虎斑が受付をすませてしまった。

 背中をおされて黒いソファにうながされる。


「シンプルなお店ですね」

「採算ってやつは大変だからねぇ……」


 鳩の感想に虎斑はしみじみとした様子でうなる。

 周囲に人がいるだけに積極的にお喋りをする気にはならない。続けて鳩はこっそり店を観察してみた。

 外からは早くも強まった雨足がひびく。

 熱をはじく地団太は鳩の緊張も冷ます。店内にはなんの音楽もないがそれで十分だ。

 大きな本棚は木製で、綺麗なベージュと木目、うちつけた銀の釘が丸見えだった。なかにはサイズも種類もさまざまな本がでこぼこに収まっている。


「ああ、来たみたいだね」


 本でも読んで時間を潰そうかと立ち上がった途端、虎斑がひそめて声をあげた。

 早いのは嬉しい。けれど本が見られなかったのは残念。

 複雑な気持ちで振り向く。

 先程応対してくれた店員はカウンターに座って何か作業をしていた。

 そしてもう一人。奥に続くと思われる部屋の前。さげられた濃い緑ののれんから、手が伸びている。

 なんとなく「ああ彼がこの店のあるじなんだな」と直感した。

 だが、その位置が高い。


「えー、虎斑に白河……さん? 空いたんで」


 姿を現した彼は気怠そうに頭をかいている。

 その位置は今まで見たどの人間よりも高い。

 肉つきはお世辞にもよいとはいえず、暗い目つきもあいまってホラー映画の住人のようだった。


「白河さん、ただいま案内いたしますのでこちらへどうぞ!」


 ぼそぼそと投げやりな長身の男の言葉をつぎ、カウンターの男が立つ。

 底が抜けたような笑顔。健康的で人のいい爽やかなしぐさだ。

 セラピーというよりコンビニかファミレスの方が似合いそうな若者だった。


「は、はい」

「おれは見ての通り受付の坂野。こちらが催眠をおこなう真木です。以後ごひいきに~」

「よろしくお願いします」

「今回のご依頼も先にメールでうかがっています。きっと望んだとおりの夢が見られますよ」


 にこにこぺらぺらと話す坂野に真木は一切口をはさまない。

 のれんの向こう、連れて行かれた部屋には簡素なパイプベッドが六台ほど整列していた。

 敷いてあるのは薄いシーツとこれまた薄手のブランケット。

 かたい表情を浮かべたままの鳩に坂野は「はっはー」と空虚な笑い声をあげて頬をかく。


「もっと儲けがあればグレードアップできるんですけどねえ」


 ぼやいた坂野の頭を真木がこづく。


「空いているとこに寝てくれ。さっさと始めるから」

「真木!」

「ああいえ。はい、わかりました」


 いさめていさめられて。いたたまれなくなって言われた通り空いたベッドに横になる。

 六人の人間がそろって寝転がる姿。目を瞑って動かない彼らを見ていると棺桶に収まった姉を思い出して気分が悪い。

 されるがまま虚ろに転がる現実に空寒いものを覚えた。

 ブランケットを乗せるなり瞼を閉じる。

 催眠術というのだから何か作業が必要なのかもしれない。じっと指示を待つ。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……あの、何か?」


 あまりの無言と静寂にしびれを切らす。

 頭上で大きな彼が動く気配がした。


「いや、どこかで見た顔な気がしたもんで。どうでもいいか。目はつぶったままでいろ」

「つぶってくださいだろ」


 坂野の小言を気にする様子もなく、固く細い指先が額に触れる。

 それだけなのに急激に強い睡魔が鳩を襲う。

 想いは緩やかにほどける。えんえんと同じところをまわる思考はあいまいに。枠を失って柔らかく広がりだす。



 気づけば鳩は自宅にいた。


「違う、違う。そんなはずはない」


 一人でいるときはつい独り言が増えるが、いつにもまして心の声がこぼれやすい。

 これは夢だ。あの真木という男が見せてくれいる人造の夢。


「じゃあ、姉さんもいるかな」


 鳩が望んだのは彼女と再び会える夢だ。

 ただ記憶を思い出すだけではどうしても当時の鳩から見た佑になってしまう。

 今の鳩で会わねば意味がない。それを彼は実現させてくれているはず。


「不思議な場所。何もかもが綺麗であやふやだ」


 窓から射し込む光は天から射し込む光の柱のよう。

 きっちりとした直線と直角であるはずの壁はつなぎ目が水彩の如くにじんでいる。

 家具の配置から鳩が立っているのは自宅のリビング。

 ここからもっとも近い姉のいそうな場所。二階のベランダ前だ。姉はそこに折り畳みの机を持ってきてよく作業をしていた。

 一歩踏み出す感覚すらはっきりしない。歩くというより泳ぐに近い。

 まさに夢見心地で目的の場所にたどり着く。


「……佑姉さん?」


 鳩が願った通り彼女はそこにいた。

 公園で拾ってきたという桜の花弁。丁寧に本に挟み込み、栞を作っている後姿。

 窓から射し込む陽光のなかに溶けてしまいそうな儚い雰囲気。


「……佑姉さん」


 今度は疑問形ではなく、小さく、はっきりと呼ぶ。

 しかし振り返らない。紙を切り分け、花をのせ、本に挟む。同じ作業の繰り返し。

 鳩がいることなどどうでもよい、と残酷につきつけんばかりに。


「佑姉さん。ねえってば。どうして」


 いいたいことがあった。山ほどあった。どうして。

 具体的に何を問いたいのか思いつかない。ずっとあったはずの問いが本人を目の前にすると氷解してしまう。

 どうして。それ自体が鳩のいいたいすべてだったのだ。


「なんでもいいからいって」

「――それがどうしたというの」


 どんな言葉でも返事になるから。どこにも迎えない自分の矢印になってくれるはずだから。

 そんな淡い期待に返ってきたのは、言葉だ。問い返しだ。

 鳩の根っこを貫く指摘だ。


「なにかいうことがあるかしら」

「何をいっているの? いいたいことがたくさんあるはずだよ。ほら、佑姉さんはたくさん傷ついて、こんな結末になったじゃないか。本当にあれがすべてだったの?」

「傷ついて?」


 栞を作る手は風になびく柳のように優美に動く。


「傷つくようなことはなかったわ」


 あらゆる苦痛がどこ吹く風。あってはならない堪えに吠える。


「ありえないよ、あったじゃないか! 人に。優しさに。疲れに。身勝手に」

「そんなものは傷のうちにはいらない。ただ痛みがあっただけ。過ぎれば忘れるものでしょう。意味があっても害にはならない。わたしは平気よ、だったらいいわ」


 栞を作る。重なっていく。瑞々しい薄紅の欠片から、萎れて無残な姿を晒す茶色の塵まで。


「死んだんだよ!」

「だから何。いまどき死に何を求めても幸せにはなれないわよ。不幸にもね」


 作られた桜の栞が床を埋め尽くし、山を作っていた。屍の山。桜の死骸。おぞましい美の化身と結末。なんでもないはずの栞に、鳩は純粋な過去が塗り潰されるような恐怖を覚える。

 夢の中の為か感情の制御がうまくいかない。ほとばしった嫌悪のまま、紙切れを踏みつぶす。足の裏で念入りに踏めども踏めども、不快感と恐れはなくならない。

 わけもわからずパニックに陥りかける鳩に、少女はどこまでも穏やかな口調で慰める。


「だから何も気にしなくていいのよ。あなたは幸せになりなさい。そうなりたいのでしょう」


 そうして他の皆を幸せにするの。だから『鳩』と名付けたのだから。


「|あああああああああああああああああああああああああああああ《ちがうんだよ》!」


 幼子のような癇癪。耳を塞いで目を閉じる。みたくないみたくない。ききたくないききたくない。

 かつて憧れていた優しさも気持ち悪い怪物に思える。

 その感情は、佑を追いつめた彼女達と同じ。目の前のものを否定したい衝動に駆られる。

 逃げたい。大好きだったはずの彼女に殴りかかって、自分が汚れきってしまうまえにどこかに逃げたい。



 暖かかったはずの気温がいきなりうっすらと肌寒いものに変わる。

 春から秋にタイムスリップしてしまったかのようだ。

 雨が激しく地面をうがつ。見上げれば鈍色(にびいろ)の曇天。

 弾丸のような雨が降り注ぐも鳩は全く濡れていない。

 体を薄い光のベールのようなものが覆っている。

 色を失ってモノクロームと化した世界。

 そのなかで唯一色をもつ存在がいた。白と黒の女子用制服を着て、暖かな肌色がいやに色鮮やかに見える。

 鳩の分まで水を被ったかのようにずぶ濡れだった。分厚い生地がすっかり重たい色になってしまっている。


「―――」


 声をかけたが音にならない。

 喉に手をあてるとべったりと赤いものが手のひらについた。

 今までは吐血という形で表れていた体質が、今度は喉そのものを焼いてしまったらしい。

 これが現実だったらと思うとぞっとする。


「……」


 やむを得ないのでじっと彼女に寄り添ってみることにした。

 近づいてみれば制服は姉と同じ高校のものだ。無情なアスファルトのうえに転がって小さな背中を震わせている。

 佑とは髪の色からして違う。別人だ。彼女はどうして泣いているのだろう。誰なのだろう。

 すすり泣いて、震えて、だが動かない。動けないのかもしれなかった。

 膝をすりむいている。服にも肌にも泥がついていた。

 薄い皮膚の下に肉が覗く。転がったままかばんから取り出したハンカチをあてると赤い血がにじむ。


「うう、どうして」


 誰に向けるでもなく少女が嘆く。

 髪は濡れ、全身がくたびれて絶命寸前の虫に似ていた。

 助け起こそうと手をのばすもあっけなくすり抜けてしまう。

 できることがない。立ち尽くすだけでは罪悪感ばかりが山のように積みあがる。

 座り込んで少女の顔を覗き込む。

 ここは夢の中。少女が知っている顔か妄想の人物か確かめたかった。

 涙と泥でぐしゃぐしゃになった相貌。元は悪くないのだろうが黒い髪がべったりと頬にはりついて波模様を描いている。

 右の目元にあるほくろが印象的だ。

 少女の顔をみても名は浮かばない。けれどどこかで会った気がした。


――どこで会ったんだっけ。


 顔を見てすぐ会った気がしたのだから、一度や二度ではない気がする。

 首をひねり、右往左往する鳩の横から差し出された手があった。

 儚い雰囲気。茶色いおさげ。大きな瞳。感情のうかがえない無表情。佑だった。


「立てる?」


 華奢な手を信じられないものを見る目で見つめた少女は、しばらくしてはにかむ。


「ありがとう」


 佑の手を借りて起き上がる。佑は足をのばした際に笑みが醜くひきつったのを見逃さない。


「どうしたの。今朝、桃岡さんに話しかけられていたけれど、その件かしら」

「ち、違う、違うの。ごめんなさい、ありがとう。じゃあね」


 鳩もはっきり知っている名を聞いた途端、はじけるように走り出し、転ぶ。

 桃岡。一見華やかな苗字は忘れもしない。

 いじめっ子のリーダー。いつもふんぞり返った傲慢な少女だ。


「やっぱり、いじめられてるんだ」


 単刀直入に切り込む佑に、今度は隠しもせず少女の表情が歪む。鳩は二人の会話に動揺を隠しえなかった。


――どういうこと? 先にあの子が虐められていたの、佑姉さんを引換にした? それとも……


 黙り込む二人の前で、佑はさしていた折り畳み傘を一回クルンと回す。


「つらいのかしら」

「……そりゃあ……」


 淡々と確認する佑に少女は眉をひそめ、身を縮こまらせる。

 汚れた少女は佑の意図がわからず不安なようだった。それでも素直に答えるのは同情か慰めを期待しているのかもしれない。

 待てば欲しい言葉をくれるのでは、という身勝手な願い。

 痛みを感じて、鳩は己の胸元をつかむ。恐ろしくてどんな状態かは確認できなかった。

 鳩の存在しない世界で会話は進む。


「そう。なら、わたしが変わりになりましょう。あなた、明日わたしが気に入らないことをしたと彼女にいえばいい。それぐらいではだめなら偽善者だとでも悪口をいっていたでも、なんでも」

「そんなッ! できないよ、そんなの」


 道徳が少女をひきとめる。大声での否定で甘い誘惑を抑え込む。

 即答する少女にも佑は心から不思議そうに首を傾げる。眠る前の鳩と同じに。


「どうして? 幸谷さん」

「だ、だって……白河さんは、何にも悪くないから……」

「わかった。なら、悪いことをすればいいのね」


 佑もまた即座に頷く。


「え?」


 驚愕に目を見開いた少女が瞬きする暇もなく、佑は傘で彼女を殴りつけた。


――えっ。


「やッやめてッ白河さん、痛いよッ」


 叫ぶ少女にも「当たり前よ、痛いようにやっているの」と叩き続ける。少女が頭をかばい、雨の中でもわかるほど滂沱(ぼうだ)の涙を流し、手足が真っ赤になるまで。

 痣ができるのは確実だろう。そこまで殴打し終えた佑は、安心するかのように息を吐く。


「これで、明日からあなたは幸せね」



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