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還:天使の血管  作者: 室木 柴
第一章 スリーピィ・ホロウ
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第三話 墓前に竜胆、花瓶に菊を

 水を含んだように潤んだ黒。墓の色。

 生前の瑞々しい命を閉じ込めたような深い色あいは、死のしるしのようで気味が悪い。

 その気味の悪さが姉が死に、かつて生きていた証拠な気がして安らぐ。

 だから鳩は墓参りが好きだ。

 不謹慎かもしれない。誰にもいったことがない習慣。

 時間があくとしょっちゅう訪ねているから、すっかり道を覚えてしまった。

 たとえ急に公園から向かおうということになっても、迷うことなく案内できるほどに。


「鳩くん。このお花、取り替えてもいいかな」


 墓場近くの店もおおむね理解している。

 虎斑がここに来る途中で花を買いたいと請い、すぐに行きつけの花屋に寄った。

 花束を抱えた彼女は今、佑の眠る黒い石の前で膝を折っている。

 上目遣いに訊ねられ、そっと視線をそらす。

 手提げにした桶のなかで水がきらきら輝いたのが見えた。


「もちろんです」

「ありがとう。君のもくれるかな」


 白く柔い手が差し出される。薄着でも暑いのか。彼女の手首にうっすらと汗がにじむ。

 自らも選んだ花束をそっと渡す。

 まめに掃除をしている甲斐あって、墓は新品同様である。

 花瓶に生けた花はすっかり(しお)れている。

 純白の菊を備えていたはずだ。しかし触れれば弾けそうなほど水分を含み、白魚のようだった花弁は見る影もなかった。茶色いしみがまばらに散って醜い。


「生きた花が朽ちるのはかなしいですね」


 己の弔いの気持ちまで手折れたような気分になる。

 母も家に飾った花をしばらくすると片付けてしまう。

 まだ鮮やかな色を残しているうちから取り替えるたび、せっかく綺麗なのにもったいないと思っていた。

 だが花とはこうも早く無残に変わり果ててしまうものか。墓参りの習慣ができるまで知らなかった。

 虎斑が包装をほどく。菱形に整えてもらった花束が扇のように広がる。

 どちらも本数は五本。

 優美な濃紺の紫苑が一本、一際鮮やかに咲き誇っている。他に白と黄の洋菊が二輪ずつ。

 こちらは虎斑が選んだもの。

 目に楽しく、読んで字の如く華々しい。

 鳩の選んだものはどこか暗い。

 昨今の花屋では季節外れの花をおろすもお手の物。値段ははったが一目惚れして、竜胆を買ってしまった。

 重たい青は好けるなど想像もできない濃厚さ。釣鐘型の小さな花房が愛らしい。

 光を打ち消しそうな青を際立たせるように、淡い白の小菊を添えてある。

 虎斑の花束と自分が選んだものを見比べる。


――失敗しちゃったかなあ。


姉は目立ちたがりではなかったけれど、それでも女の子なのだから。ああいった物の方が嬉しいかもしれない。

 だが鳩はいつもつい白いものを選びがちだ。

 花を選ぶ度、姉の遺体が脳裏に浮かぶのだ。ベージュ色の箱に収まった華奢な体躯。美しく穢れなく眠る姿。


「あー、失敗しちゃったなあ。紫苑、一輪じゃなくて二輪にしておくべきだった」

「すみません、気が付かなくて」

「いやいや、君のせいじゃないよ。虎斑こそ急にすまないね、せめて手紙に書いておくべきだった」


 頬をかきながら虎斑は花瓶から手を離す。

 反省を述べつつもすでにわけられた花が、心なしか自慢げに花弁を揺らす。


「つきあってくれて本当にありがとう。こんなに綺麗な花だ、佑くんもきっと喜ぶだろうね」

「いえ。姉のところへ来てくれる友達がいるのは、本当にありがたいです」


 洗ったコップに桶から水をすくってそそぐ。

 墓に置いている間に、白檀の匂いがただよう。

 これまた手際よく、虎斑が線香の束にチャッカマンで火をつけていた。


「はい、どうぞ」


 赤い光が灰にまじってちろちろ燃える。

 束の半分を渡され、灰を落とさないように気をつけながら鳩も腰をかがめた。

 手を合わせ、瞳を閉じ、静かに祈る。

 死んだような静寂が辺り一帯を包んだ気がした。

 静謐だ。


――姉さんの友達が来たよ。


心のなかで告げたものの続きが浮かばない。

寂しさにもごもご口を動かす。


「虎斑さんは姉さんに似ていますね」


 ぽろり。意図せず口から感想がこぼれる。

 いってから、確かにそうだなと他人事のように思う。

 生まれて初めて数多の激情に振り回されている鳩。自分の心も思うようにならない子どもとは真逆の態度をとる人。

 奇妙なほどの冷静さ。いっそ冷たいと感じる時すらあるのに、びっくりするほど親切だ。


「そうかい? 彼女みたいな人は珍しいと思うけれどね」


 小首をかしげ、茶化した調子の台詞が返ってくる。


「ぼくよりしっかりしているという意味では、そっくりですよ」

「そんな悲観することないんじゃないか」


 肩をぽんぽんとたたく。

 力もこもっていない軽いたたきかた。

 出会って間もない鳩を慰めているようだった。


「すみません。優しい、んですね」


 それは鳩にとって褒め言葉でない。

 よくわからないもの。勿論嬉しいけれど、科学的根拠のないサプリメントのように不安がある。

 正しい答えを導こうにも、優しさの成分というものがわからない。

 過剰なほどに親切なこの人も、姉と同じ優しさとやらを示せるのだろうか。

 たとえ死の間際に追い詰められたとしても許してやれなどとのたまえるのか。

 だとしたら不気味なことだ。

 鳩の心のうちも知らず、虎斑はニィと唇の片端をつりあげる。


「そんな風にいってもらえるだなんて嬉しいよ。いやあ、照れるね」

「……もしもここに姉がいたなら」


 途中で口をつぐむ。

 ふと思ってしまった。彼女の弟が妹だったなら。自分でなくて虎斑だったなら。


「すみません、くだらないことをいいました」


 不思議と簡単に浮かんだ想像に自嘲する。


――もしも姉さんだったら、ぼくの墓にはせいぜい一回しか来ないだろうな。


 ちろちろと細い水の線を伝わせて、時間をかけてしっかりと掃除をする。

 野花の健気さと手間のたっぷりかけられた大輪の荘厳さが溶け合う花束を供えて。

 無礼なほど丁寧に一礼し……二度とやっては来ない。

 いつまでも悔やんだって意味がないのだから。


「ぼくたちは本当に似ていないきょうだいだと思います」

「うーん。鳩くん。君、確か虎斑に佑くんのことがききたいのだよね? 彼女のことがよくわからないから」

「ええ、そうですが」


 そういえば、来る途中で話すといっていたのに買い物をしているうちにすっかり忘れてしまっていた。

 改めて教えてくれるのだろうかと思い、彼女を改めて見つめる。

 きらきらした真っ黒い瞳。磨き抜いた二つの黒曜石は不思議そうに鳩を見返していた。


「君、本当はもうとっくに佑をよーく知っているんじゃあないのかい」

「どういう行動をするかとかそういうのはわかりますけれど。その理由は全然です。だから多分知らないという意味かと」

「ううーん。どうにもチグハグだな?」


 チグハグなのはこの会話だ。

 はっきりしないものいいに眉をひそめる。


「いったいどこがちがっているというんです?」

「だってさ。行動っていうのは性格からでるものだろう。それがはっきりわかるのに、性格がさっぱりわからないだなんておかしな話じゃないか」

「性格がわからない?」

「どうしてそういうことをするかの理由がわからないってそういうことだろう。たとえばより自分が幸福になる選択をするか、自分の得が減ってでも皆で幸せになるか。それは知恵や知能というより性格からでる結論だよ」


 なにか違うかい、と切り込まれ、考えるより先にうなづく。

 よく考えればどうとでも反論できた気がした。しかし彼女の意見をきいてすぐ「そりゃそうだな」と思ったので、真理のひとつではあるのだろう。

 唯一絶対の解ではないとしても。


「なるほど。……なるほど?」

「ぶっちゃけアレコレきかなくても、佑に関する思い出をふりかえって理由を考えればおのずと答えはでるんじゃないのかな」

「そう、なのかもしれません」


 いわれるままの鳩に今度は虎斑が顔をしかめる。


「君はもっと語彙を増やしたほうがいいね」

「語彙?」

「そう。いっておくけれど辞書みたいにただ言葉数を増やせっていってるんじゃないよ、それじゃ虎斑だ。君の心を表す言葉を増やすことを進める。与えられまま反応して、鵜呑みとおうむ返しになるばかりじゃなくてね」


 そこまでいって急にふううっと鼻からためいきをつき、肩をすくめた。

 こめかみをおさえ、首を左右にふるふる震わせている。何か振り落としているようだ。水を浴びた猫みたいだなあとのんびとした感想を抱く。


「いけない。余計なお世話だね、ごめん。悪い癖とはわかっているんだが」

「親切をうっとうしいと思うほど荒んではいないつもりです」


 これは事実だ。不気味とは思うものの不快や嫌悪の域までには達していない。

 だから思いやりにこたえるためにも早速いわれたことを実践してみたが、いやな言い方になってしまった。


「気持ちを言葉にしてみるって難しいですね」

「そう? なかなか今のは面白かったよ。今日君と話したなかでは一番刺激的だった。だんだん慣れていけばいい。……いやあ、本当、ありがとう」

「そ、そうですか? えっと、姉さんの墓の前で何言ってるんでしょうね……ちょっと場所移動しませんか? やっぱり色々お話をうかがいたいですし」


 彼女のいうとおり答えはすでに鳩のなかにあるのかもしれない。

 誰より同じ空間を共有する家族という立場なのだ。それでも友達からみた姉の話を聞きたいと思うのはどんな気持ちなのだろう。

 いじわるな気持ちで考えれば、やじうま。自分に都合よく考えれば、家族愛。

 かなり急な話題転換だった。しかし彼女は微笑んで小首をかしげる。


「いいね、どこに行こうか?」

「どこでも、ってああ、それはだめですよね。ぼくいつも家にいるから、地元でもあんまり詳しくなくて」


 連れまわしてくれる友達もいない。


「この夏の暑さ降り注ぐなかでもいいなら、二人並んで散歩して、仲睦まじく秘密のお話でもしちゃうかい?」

「秘密の話? 姉さんのですか? それはとても興味深いです」

「あー、うん。からかいがいがあるんだかないんだか」

「だめでした?」

「そんなことないよ。じゃあ佑くん、今日はさようならだ。また来るね」


 墓に手を振り、軽やかに背を向ける。

 鳩はなんとなく後ろ髪をひかれ、墓場をでる道筋で何度も振り返った。

 視線が返ってくることなどないとわかっていたのに。

 ぽつぽつと入れ替わりに入っていく人とすれ違う。なかには高校生の少女もいた。同じ学校の制服だ。

 顔までは認識できなかったが知り合いかもしれない。そんな身近な人間も家族を失っていることがある。

 突然虚無を抱え込むのはなにも特別なことではないのかもしれない。

 ぼんやり考えても足は進む。虎斑の歩みは遅く、簡単に追いつけた。歩幅を合わせれば時間の流れそのものが遅くなった錯覚に襲われる。

 彼女はまだ口を開かない。背中が焼けるようなむずむずした感覚が這いのぼる。


――大丈夫大丈夫。今度はさすがに忘れないって。この道が危ないから、降りてから話すつもりなんだ。


 細く垂れる汗を手の甲でぬぐう。

 佑の墓がある地元の小さな寺は入り組んだ道路の先にある。山を切り開いて建てたそうで、斜面は急で道路は狭い。

 コンクリートで舗装された道路から照り返す熱は強烈。

 そこを訪れ、帰ってくる客を狙って坂のふもとでは一件の喫茶店がぽつんと営業している。

 白いペンキで壁をぬったそこへたどりつくと、疲れた声で虎斑が声をあげた。


「へえ、かわいいね! 来たときはなんで気づかなかったんだろう」

「看板が坂から見ないと読めない向きですから。喫茶店ですよ、ケーキも売っていたかな」


 周囲は和風の民家ばかりで目立つ。それでも喫茶店だということを示す看板は小さなものと大きなものの二つ。

 大きなものの後ろには看板より一回り大きい真黒な樹木。小さなものは明確に墓参りを狙っている。

外観もともすれば物好きによって飾り立てられた民家と勘違いできなくもないだろう。


「喫茶店かあ。ああそういえば、佑くんと出会ったのもカフェだったなあ」

「初めて会った場所? 那谷木ですか」

「いいや、夕川にある喫茶店。前にも言ったが虎斑にとっても佑は面白い子だよ。一言で説明しろと言われても、とてもじゃないが言いようがない」


 何をするのかさっぱりわからなかった。

 自分とは違う基準を持っているようだった。

 他人の口から語れる佑は、鳩のなかの佑と変わりない。

 今のところは、だ。人の心なんて深く入り込まねばわからないものなのだろうか。不安になる。


「姉さんとあなたの話って、ぼくが聞いてもいいんでしょうか」

「今更だね。君が嫌でなくて、相手が虎斑でもいいなら。全体をみてつかめないなら、手の届く場所を手に取ってじっくり考えるしか虎斑にはできないよ」

「ぼくもです」


 視線を喫茶店に向けると、いくつかの視線が突き刺さっているのに気づく。

 店内にいる客がこちらを見ていたようだ。そちらを見ると肌から視線が抜けていった。

 好奇の視線。

 鳩はあまり容貌に頓着しない。かといって男性として、それ以前に人として一般的な見た目ではないとは自覚している。

 くわえて隣には派手なショッキングピンクが踊っているのだ。

 気になる気持ちは仕方がない。

 理屈は納得できても気分は悪くなる。

 異物を見る目。不躾に与えられる否定には精神がすりへる。

 さながら奇異であるならいくらでも無作法に接してよいといわんばかりだ。

 どこからくる自信と意識なのだろう。

 いつもなら異能を使って姿を消してしまう。

 問題は虎斑だ。驚かせてしまう。それに彼女が残っては気のせいだと思ってもらえない。

 一人でないのはたのしいけれどらくでないこともあるのだと鳩は学んだ。


「行きましょう、虎斑さん」

「ん、ああ。そうだね」


 名残惜し気に喫茶店を見やった後、とてとてと鳩に近づく。

 立ち寄りたかったのだというぐらい鳩でもわかる。あの目さえなければ鳩も喜んで立ち寄っていた。

 歩く気になったのを確かめて、歩を進める。先ほどまでと同じく速度は遅い。


「さっき姉さんと会ったのは喫茶店だったっていいましたよね。そんな趣味があったのか……」

「うん。学校帰りや休日に喫茶店で読書するんだって」

「なるほど。つまり喫茶店でたまたま出会ったんですか。虎斑さんも読書が好きだとか?」

「嫌いじゃあないよ。でも直接の原因は、店のなかに野犬が入ってきて佑くんにかみついたのがきっかけだ。真っ先に駆けつけて救急車を呼んだのが虎斑というわけだ」

「なにそれ知らないんですけど」


 かみつくような言い方になってしまった。

 やむを得ない。何故ならそんな大事件はあってはいけないことだから。


「ははは、秘密の友人扱いだったのか。虎斑は。ちょっとカッコよくて照れるね」

「ああ、いえ、そっちじゃなくて」


 噛まれたこと(・・・・・・)を知らなかった(・・・・・・・)

 救急車まで呼んだなら軽傷ではなかったのだろう。なのに気づかないだなんてありえない。


「それっていつの話です?」

「半年ぐらい前。右足のすねを噛まれて。靴下が真っ赤になるぐらい出血した。感染が心配だろう、そういうのって。親御さんもしばらくしてきたらしいから、会う前に帰った。虎斑みたいな見た目だと警戒する」

「そう、なんですか。姉がお世話になりました。ありがとうございます」


 頭をさげながらも、今度は自分に対する疑いが深くなっていく。

 もしかしておかしかったのは、姉ではなく自分の方だったのではないか、と。

 姉の大怪我に全く気が付かなかった。

 彼女を理解できないのは自分に問題があるからなのでは。

 不安に青ざめる。少しだけ下腹部から血がのぼり鉄のにおいが鼻孔を通り抜けた。

 そっと手のひらで顔の下半分をおおう。幸い虎斑はこちらを見ていない。

 かすかな血の匂いには気づかないまま、虎斑は約束通りさまざまなことを話し始めた。

 事故のあと、医者に怪我をした状況の説明などあらかた終えてさっさと帰ってしまった虎斑。

 普通ならそのまま互いの名も知らず過ごしていくはずだったのだろう。

 佑と交流が始まったのはそれから二週間後。

 事故に遭った喫茶店で再会したのだ。


「虎斑のことを探していたらしくてね。近くによって頭を下げてきた子がいると思ったら彼女で、驚いたものだ」


 その後たびたび手紙で待ち合わせ、出かけてみたこともあるという。

 文通をしようと申し出たのは佑の方だった。


「メールだと筆跡がわからないからーって」

「なんのために筆跡を?」

「さあ、聞くの忘れちゃった。便箋が目に見えてたまっていくのは楽しかったよ」


 こくこくと頷く。

 ちまちまものがたまっていくのは確かに意味もなく面白い。

 頷いたのはこれといった返答が浮かばなかったからだが。


――やっぱりおかしくはない。ぼくがおかしいだなんて変だ。


 鳩は情けないところはたくさんある。我ながら評価できる点は少ない。多少間抜けな自覚も持っていた。

 ばかなのだろう。しかし何がわかってわからないかなんて人それぞれ。みんな違う視点と経験を持っている。

 鳩が姉の怪我に気づかなかったのも、ばかではあるがおかしくはない……はず。

 今まで周りに怪我をしたことがある人がいなかった。だから傷ついた場合の反応がわからなくて、気付かなかった。

 それに怪我をしたのは足のすね。姉はいつもちょうどすねが隠れる長さの靴下をはいていた。学校の制服に関する規則で靴下は膝下と決まっていたからだ。

 年頃の娘にしては服装にも頓着していなかった姉。たいていプリーツスカートにワイシャツという組み合わせばかりを着ていた。

 鳩が恥ずかしがって風呂も随分前から別々。着替えも同様。

 考えうる原因がいくつも浮かぶ。それに鳩なんかがまわりと違う存在であるはずがない。

 違いはあってもどこにでもいうる普通の子。

 そう結論づける頃にはだいぶ落ち着いてきた。

 思考をまとめるというのは心を落ち着かせるのになかなか便利であるらしい。 

 咥内に広がる鉄の味を唾で押し流す。


「姉さんのことがわからないのはぼくの感性の問題かもしれませんね」


 筆跡がわかる文通がいい。そういった姉の理由は弟の鳩にもわからない。

 友人の虎斑にもわかっていない。

 感性が違えば、ものに向ける印象が変わる。

 姉と考えを共有できないのは、だからなのかもしれない。

 それはそれで姉弟という繋がりがますます薄れるようで悲しいけれど。


「いじめられていたのに、あのひと全然変わらなかった。いじめの時だって」


 だから怪我の時も変わらなくたっておかしくない。

 姉もまた普通の、他とは感性が違う人だった。

 あの遺書の存在が明らかになったとき、新聞の片隅に美談として掲載したいというオファーが来たくらいだ。

 クラスメイトだってたいそう驚いていた。


「いやなら無視して。いじめっ子たちはどうしてる? 君は狙われてない、大丈夫?」

「ああ、いえ。大丈夫……だと思いますよ」


 あちらはポッと出の弟などどうでもいいらしい。

 いじめグループは今二つのタイプに分かれている。

 ひっそり息を殺すように過ごしている静かなものたちと、相も変わらず耳をつんざくような声で笑うものたちと。


「そうか。すまない。せめて君だけでも安全ならよかった」

「……」


 それには眉を八の字にして苦笑を見せてみせた。

 無事だけれど平気ではない。

 鳩の複雑な内心を見透かして虎斑も目を伏せる。

 気を遣わせてしまった。


―-嬉しいのになあ。うまくいかない。

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