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還:天使の血管  作者: 室木 柴
第二章 親切獄卒
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第二話 ウィ・ウェット(2)

 食卓を囲みながら、エイネはトシュテンに伝言を頼む。

 村人たちに危機を伝える言葉だ。


「『近々、この村に流行り病が訪れます。お薬は既に作ってありますので、症状の出た方は我が家をお尋ねください』」

「うんうん」

「『治療は私が行いますが、人手不足に陥る可能性もありますので、治療技術を学んでくださる方を募集します』」

「それをみんなに伝えてくればいいんだね?」

「お願いします、お父さん」

「ええと、病気が流行るんですか?」


 エイネが町を歩き回ると、いらぬ喧嘩を買う可能性がある。いつもの道以外は無暗に歩かない方がいい。

 いつも通りのやりとりなのだが、同じテーブルの椅子に座っているヨハンナは落ち着きなく問う。他人の家で安らげるほど剛毅ではないらしい。

 一朝一夕ですみかが決まるわけもなく、野宿するつもりであったらしいから、無理矢理家に泊めた。

 トシュテンは若い身空の女性で不用心である、子どももいるのに――と怒っていたが。

 実をいうと、襲い来る身の危険に限れば、彼らは完璧に安全というものなのだ。


「大丈夫さ。予防策も今夜作る、病気になっても治療は可能だろう」

「そうなんですか!? 凄いですね……! あっ、私お手伝いします!」

「そう? ありがたいな。では、トシュテンと一緒に……ああ、いい――」

「わかりました! じゃあ行ってきますね!」

「……本当に、若すぎるなあ」


 役目を任されるなり、いても経ってもいられず飛び出す。

 バルタサールが「あんたも若いじゃん」と指摘する。そういうことではない。確かに経験が浅いという意味ではエイネも子ども。

 エイネが言っているのは、落ち着きというか、余裕というか。生まれついての性分、みなぎる気力とでもいおうか。

 恐ろしく、羨ましい精神である。


「じゃあ、僕も行ってくるよ」


 引きつった顔を浮かべるトシュテンもまた席を立つ。

 膝を折り、残されたバルタサールに目線を合わせる頃にはにこやかな笑みを浮かべていた。


「君は? お留守番、しててもらってもいいかな? エイネだけだと心配だから」

「ん、わかった。 いいよ、やってあげても!」

「ありがとう、助かるよ」


 バルタサールは今日も不機嫌な横っ面を晒していた。

 しかし大の男に頼まれごとをされたのが余程嬉しかったのだろう。途端にニコニコと、太陽のような満面の笑みに変わる。

 口角がキュッとあがり、やや三白眼気味の瞳が輝く。幼子らしく椅子の上で大きく足を揺らす。親子ともどもわかりやすい。


「……それじゃあ、お願いするね」

「あんた身体ほっそいもんな! ……あれ、でも、女の人……だよな?」

「さあ。どっちだろうね、好きな方で考えて」

「ええ……なにそれ」


 意味が解らない、と曇り顔に戻る。

 ただ、他人の些末な出来事は彼の知的好奇心を刺激するには物足りなかった。しばらく唇を尖らせて、思案顔を垣間見せる。

 黙って次の言葉を待っていると、彼はあちこち見渡し始めた。

 そしてエイネの部屋の扉を見つけるなりニィっと悪戯に駆け出す。

 バルタサールの知的快楽の対象は、もっぱらエイネの異能。昨日は果たせなかった秘密の部屋が、今日こそみられるだろうと期待している。

 いやむしろ強行突破で見てやろうと決意する――のは、昨晩にはもう決定していた未来だ。バルタサールがやろうと意思を固めていた。

 エイネはとっくに知っている。


「危ないからダーメ」

「ええーッ!? ケチ!」


 首を握ると面白いようにぶらさがる。

 非難の声をあげる彼に、とりあえずエイネは静かに言い聞かせようと試みることにした。


「切り傷もできるし、火傷もする。病気になることもある。やった後でゴメンナサイしても、過ぎた時間は戻らない。すっごく痛い思いするのは、君だからね?」

「そんなに痛い?」

「とーっても」

「痛いのは、やだなあ」

「そうだね」


 きっと誰でも嫌だろう。

 これから起こる病気も恐怖と痛み、死をふりまくものだ。

 病は黒死病(ペスト)という。

 今ここで彼にそれを伝えたらなんというのだろう。

 好奇心はあったが、いえなかった。

 わかっているのは、エイネは知っている以上全力を尽くさなければならないということだけだ。

 ころころと表情を変えるバルタサールの両脇に手をいれて、万歳させて振り回す。

 エイネがもっと小さかった時にトシュテンがよくこうしてくれた。

 バルタサールのきゃっきゃっと楽しそうで、そっと胸をなでおろす。


「あ、すみません。遊んでくださったんですか」


 後ろから声がかかり、ふりむく。

 ヨハンナだった。

 随分早い帰りである。

 首をかしげれば「忘れ物をしちゃって」と愛想笑いを向けられる。

 納得のできるものではなかった。伝言をするのに何が必要だというのだろう。


「お父さん……トシュテンは?」


 一緒にいたはずのトシュテンの姿がない。

 お人よしな彼がヨソモノのヨハンナを放り出すとは思えなかった。


「お父さん……トシュテンは?」

「えっ、あ、あの……ちょっと先にいってもらいました!」

「……へえ、そう」


 急に口籠るヨハンナの心を探るように、鮮やかな色の瞳を覗き込む。

 情報は伝わってこない。彼女自身が世界に、文明に、知識として表出させられないということか。

 我ながらややこしい。要は、世間やエイネ個人に知識として共有されえない情報だから、エイネには伝わってこないということだ。

 今、混乱したままうやむやになってしまう? それとも――この情報は、都合が悪い?

 エイネにとってか、彼らにとってかはわからなかった。

 久しぶりに『歯がゆい』という感覚を味わう。


「君――」


 何か訊ねようとするも、具体的な問答が思いつかない。これもまた久しい。

 片眉を跳ね上げたエイネに、そっと目を伏せられる。

 《天使》の胸に、じんわりと虚偽の苦い味が広がっていった。清涼な水に落とされた、逝って気の毒滴のようだった。



 その数日後、トシュテンの遺体が発見された。



 エイネを引き取りたいという人間は、予想外に多かった。最終的に、元より《天使》を育てているヨハンナが強引にもぎ取った。

 基本的に、利益も欲しければ仲間も欲しく、自己肯定もしたいが清廉さも認められたいのが人間というものだ。あれもこれもと、矛盾したものを矛盾なく掲げたがる。

 各々をどうにか噛みあわせようと、慎重に選択を選ぶ。

 それに集中するのに必死で、エイネには意見ひとついわせなかった。

 元々エイネの意思を認めるつもりがなかった、といってもいいかもしれない。


 その点、ヨハンネは迷いがなかった。彼女は一つを見つけるとまっすぐで、器用に取れる限りのもの全てを取っていこうなどしない。

 彼女が他の希望者に叩きつけたのは、正論だった。一遍の容赦も忌避もなく、ひたすらに正論を振りかざし続けた。


 今まで忌避してきた子どもを急に引き取ると言い出して、恥ずかしくないのか。

 それは慈愛などではなく、単に欲望を満たしたいからではないのか。

 エイネを引き取ったところでどうする、自分のためだけの奴隷にするつもりか。

 自尊心と仲間意識を満たすために、無様な悪意をぶつけておいて、欲しいものだけもらうことが人道か。


 エイネの前でも迷わず同じことを言う。媚を売らず、飾りもしない。

 同じようにエイネを引き取りたがっているくせに、と罵った住人がいた。


「ええ、そうですよ。大なり小なり、彼女の異能が魅力的だと思っていますとも。人間ですから当然です。気持ちを持つこと自体は否定しません。ですが、私はそれを押し付けようとは思っていませんよ」


 呆れられ、蔑まれてもヨハンネは意見を撤回しなかった。あまりに正直で、策ともいえぬ行動は愚かですらあったのに。突き抜けた行動というものは異様な気迫を伴う。


「エイネさんは、素晴らしい才能の持ち主です。人の役に立とうと思っても、そう簡単に実を結ぶとは限らない。悲しいことに。ですが、彼女は現在進行形で沢山人を助けている。

 私はエイネさんが才能を伸ばすことを全力で支援したい。それで人の役に立つことは凄いし、私の住む場所が幸せになれば、すなわち私だって幸せになるということです。

 あなたたちに、それができますか? その可能性を放りだして、自分だけ幸せになりたいと思いだしませんか?」


 ヨハンナがエイネの《親》になった要因は三つ。

 前述した通り、元より《天使》の《親》であったこと。

 誰にでも同様のことを告げたため、《親》になっても利益を独占するのではと疑いの目を向けられやすくなったこと。

 決め手はバルタサールだ。彼の異能は「爆破」。激しい感情を向けたものを破壊する、かなり攻撃性の高い異能だった。

 はからずも、彼女は他者では太刀打ちできない武力を保有している、と認識されたのだ。

 

――いやだなあ。


 正直、ヨハンナのことは疑っている。

 しかし決定に逆らい、また勝手な行動をとれば、エイネや同じ《天使》であるバルタサールへのあたりはますます強くなるだろう。


 さっさとあきらめてしまった。

 エイネは異能を用いて、様々な文明をもたらした。

 まずは夜でも活動できるように、自然物から生成したランプ。昼間の内に日光にあてると夜間に白い光を放つ。かなり先の未来にて、環境悪化が著しく悪化したために、解決策の一つとして発明された道具だ。

 これを製造する道具は塔に保管されており、必要に合わせて店に卸す。無料配布では経済が回らなくなってしまう。

 民は利便になれ、これ以下の性能のものを求めようとしない。高レベルの工業品はエイネにしか作れないのだから、仕方がないのだ。

 その一方で、服飾や絵画、料理など、継承のできない個人スキルの分野は急激に発達した。糸や染色の材料そのものはエイネが作っているが、デザインや染色作業そのものは民が行う。

 外からやってくる業者も多く、結構な値段で飛ぶように売れるという。

 人々は時間をより効率的に、多様に用いることができるようになった。文化も経済も優れている。学習、自警に割ける力も増え、『本来の』この時代の文明水準を大きく逸脱してしまった。

 ヨハンナと一部の碩学には、物品ではなく技術に関する知識そのものを教授して欲しいと言われたが、さすがにそれは断った。

 今、エイネが未来の道具を提供しているのは、文明を使用した住民の多くが結託して、一度大規模な訴えを起こしたからだ。

 ヨハンナへの義理立てのつもりで、たった一度だけと作った道具。だが住民たちは、何故夜をよくすることができるのに用いないのかと責めたのだ。

 心が痛まなかったといえば嘘になる。とはいえ、エイネは人を信じたかった。愚かな人間がいるのは百も承知であったが、できることをしなければ暴動を起こされ、無辜の人々が苦しむ未来が見えた。

 だからあえてのオーバーテクノロジー。現在の文明レベルに近ければ、自力で解析してしまう可能性がある。元を辿れば、魔法のようなエイネの道具は全て人が編み出したもの。人の知性は底知れない。


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