第十三話 少年少女怒りの日
「わかってはいない。だがここにひとつの仮説がたてられる。聞いてくれる?」
実際は真木に選択肢はあってないようなものだった。
異能の持ち主である真木自身に正体が掴めない以上、わらにもすがるしかない。
「じゃあいうけれど。もしかして、真木さんの異能って感染るんじゃないかな」
「うつる? こいつらに異能が、っていいたいのか」
人間に異能はない。異能は《天使》だけの権能。それは常識だ。
すっとんきょうに否定しようとする真木を遮って続ける。
「確かに人間が異能を獲得することはないだろうね。常識。逆にいえば常識でしかない。異能は常識外のちからだ」
「そういう性質を隠し持っていてもおかしくはない、かな。うへ」
もしも事故が起こっていたら。これから起ころうとしているのなら。想像して気分を滅入らせたのだろう坂野が蛙が潰れたような声をあげる。
《天使》をよく知らない一般市民は誤解していることも多いのだが、異能は祝福とは違う。
道具のように最初から目的や使い方が定められたものでもない。
日ごろ発揮される効果は、《天使》がそうだと考えているに過ぎない。
例えば、炎を生み出す異能だと思っていたら本当は太陽光を集中させる異能だった、ということもあるのだ。
「虎斑が不思議に思っていたことに、桃岡さんがどうして刺されたんだろうっていうのがあるんだ」
「なんでここで急にあれがでてくるんだよ」
「まあまあ。だってさ、いくら菜那さんが手ひどいいじめっ子だったとしても、刺そうなんてよっぽどだよ。いじめられていた本人かその家族ぐらいでないと覚悟決まらないよね」
「あー……うん。なるほどねえ、しょーじき幸谷さんか鳩くんを疑うよねえ」
桃岡が刺された後、鳩の顔をみるまで自分たち自身そう話し合っていたのである。
誰だって疑う。自然な流れだ。
「でもさあ、その日の桃岡さんは突発的に家を飛び出したってニュースでいってたよ。不審な人物が周囲に出没してたっていう情報もないし、通り魔だろうって」
「うん。あまりにもちょうどよく狙われたよね。刃物を日頃から持ち歩いてるなんてのもリスキーだ。見張っていたわけでもないなら、偶然刺されたんだってことになる」
それはそうだ。未来か、相手の心でも読めない限り。
「……まさか、心を読んだ?」
「読んだっていうか、感じたんじゃないかな。無意識ってやつでさ。一応他にも感染の例といえそうな件がないわけじゃない」
「え、他にもいたっけ、そんな子」
坂野が言う通り、幸谷以外にそこまで不安定な精神状態になっている客はいなかった。
今まできいたこともない。
感染とはいっても人間と《天使》のつくりは違い過ぎる。恐らく可能性があっても常連だろう。見落としを考えるとぞっとしないというのもある。
「真木さんのお父さんだよ」
「……」
「ごめんね、五十嵐先生に聞いちゃった。聞いた時はあんまり触れない方がいい悲しい事件だ、って思ったんだけれど。今にして思うと少し思うところがある」
「どこが?」
「真木さんは途中から彼の夢に干渉するのをやめたんだよね。彼はやがて長時間眠り続けて、死んでしまった。普通、どんなに眠り続けても途中で何度か起きる。異能ならあり得る。すると今度は、ずっと異能を使い続けていたのか、っていう疑問が生まれる。
本当に異能を使い続けていたのなら、死の瞬間、意識が失われた瞬間ぐらいはわかりそうなものだ」
「…………」
そんなことをいわれても。昔過ぎて思い出せない。証拠というには予測と予測を繋げたものに過ぎなかった。正真正銘のわらだ。
「それにお店のこともそう。お客さんの夢の中をあえてのぞかないことがあるんだって? なんで直接かかわっていないのに、お客さんは夢を見続けることができるんだろう」
異能を使用している間の感覚を思い出す。
呼吸の仕方を考えるようなものだ。自然すぎて戸惑うが、意外と言葉にすることができる。
「望みの部分を刺激して、箱をつくってやるのに似ている」
「箱?」
「あくまで例えだから、もっと違うものではあるんだが。漠然とした望みがある場所を感じ取って、夢を見る本人がそこにのめりこみ、世界を構築できるようにする。夢をみせるのは俺。夢をつくるのは本人」
「そういう感じか。じゃあ、箱を作る方法さえわかったなら、自力でひきこもることもできると」
「そうだな。箱を作る方法がそもそも人間にはわからないだろう……と思っていたが」
考えてみれば父親の死もそういうことだったのかもしれない。疑問もなく受け入れられたのは、そこに理由があったから。
客の中に方法を聞き出して実行しようとしたものはいた。気まぐれで感覚を教えてやったこともあった。できた人間は誰もいない。
だが、異能を使われ続けることで、無意識といえるほど自然で深い場所であれば真似できるようになったのだとしたら。
真木の父親は誰よりも異能を使われた人間である。幸谷は近頃頻繁に来ていた常連。
二人とも凄まじい速度で内へ内へと世界を閉じていっていた。
「今触れた感じじゃあ、とてもじゃねえがコントロールできているとは思えねえ。自覚すらない。が、本当にそうなのだとしたら、あれは他人から持ってきた『白河 佑像』ってことか」
全く違う他人に干渉できるほどのちからもないだろう。
鳩が踏み込んだ場所ほど深い領域にあるちからなら感じ取れない。しかし意識的に使えば真木にわからないはずはないのだから。
だからきっと真木によって夢を見せられた人物。異能を使われたことがある人間。真木を中継して、色んな白河 佑を知るものから情報をかき集めたのではなかろうか。
今日、鳩に夢を見せるとき違和感があった。
てっきり他人の夢に入り込んだ影響だろうと思ったが、あれは前もって幸谷から干渉を受けていたのかもしれない。
鳩は常連ではないが、《天使》なのだから他者より異能の影響を強く受けた可能性はある。
そういえば真木の姿を真似させたことさえあった。空っぽで影響を受けやすい性格に加え、変身なんて異能が悪い方向に働いたのなら。
運が悪い。そして真木が不用心だったとしかいいようがない。
「他人からもってきた情報をもとに、新しい人格を作って、自分のそれに上書きしようと願っている、ってところかな。できるのかな、そんなこと」
無理だ。あえていわなかったが、虎斑自身同じ答えを出しているはず。
何日も眠り続けてつじつまを合わせる作業に集中してもなお成功の見込みは薄い。
ただ。多くの見込み違いを重ねてきた真木はそう思うだけで、もしかすると成功するかもしれない。
だから真木が断言できるのはこれだけだ。
「成功したところでまともなもんじゃねえな」
つぎはぎの人格。自殺の末の誕生。生きるにはバランスが悪すぎる。本物の幸谷にはそれを乗り切るほどの強さはない。
「となると幸谷にはこの夢を諦めてもらう必要がある。その前に鳩の意識が消える前に浮かばせるには……混濁のし過ぎが原因だろうから、こいつにしかない記憶だか感情だかを揺さぶって叩き起こすか」
「どうやってだよ。佑ちゃんのことで訴える?」
「ここまで混濁したのは白河 佑というお互いに執着している一点で重なったせいだろ。逆効果だ」
「そこが問題だよね。ここ最近の彼に他に思うところなんてあったのかな。趣味の類も聞いたことがないし」
幸谷は逃げたいのだ。やめたいのだ。
生半可で上っ面の優しさは神経を逆撫でする。
どちらの選択肢も浮かばない。
「他の感情、記憶、記憶ねえ……」
当然ながら真木には全く思い浮かばない。
眉間に深いしわを刻み、真木の数倍他人を案じる二人はうんうんうなる。
「コーヒーゼリー……だめだ、あれ佑くんのお墓詣りだ。竜胆……いやそれもお墓詣りだ。散歩……それもお墓詣りだ……!」
「エンデュミオンも姉貴の記憶のためにきてたわけだしな」
知己でもないのだから、虎斑頼り。その彼女がこれでは。袋小路に陥りかけた時、突然坂野が閃く。
「そうかそうかお前だったのか!」
『エーミールってさ、不憫な奴だよな』
『自宅に不法侵入されて大切な蝶を盗んだ挙句、壊されてさ。謝りに来たと思ったら、反省したんじゃなくって許されるために来たんだぜ。わかる、保身の気持ちしかないんだよ?』
……
『宝物を差し出したから許してくれるはず、とかさあ。知らないうちにやらかされてたこっちの意向の確認もせずに取引と誠意で解決しましょってさ。悪いなって思ってくれるならともかく、そういうごまかしは卑怯じゃね?』
いわれてみれば。
『誰も誠意を見せろとか代わりのもんよこせとかいってないんだよ!? 第一、蝶の保管の仕方のアドバイスで金持ち自慢して見下してる嫌な奴扱いって、じゃあなんていえばいいわけ? 褒めるだけ褒めてりゃいいの? アドバイスってむしろお互いを高めあう仲間って認めてるからこそじゃないの? プライド高くない? 友達じゃなくて自分の気分をよくするアクセサリー求めてるんですかヨソをあたってください!?』
落ち着いて。
『えーゴホンゴホン。まーぶっちゃけ、そうかそうか君はそういうやつだったんだなっていわれたときはカチーンときたんだけれど』
ぼくもです。
『自分の大切なものあげたのにってさ。ついそう思っちゃうし、自分が傷つかない範囲でおさまんないかなって都合よく願っちゃうよな。そういうのが子どもなのかな』
子どもだったから……そうなのかも。
気づけばこんなに恥ずかしくて苦しい気持ちになるのに。どうして嫌いなはずのことをいつのまにか許してしまっているんだろう。
『難しいよねえ。それを思うとエーミールはできたやつだよ。皆に悪口を言い触らして孤立させるでもなく、どう頑張っても変えられない血や生まれのせいにするでもなく。そういう行動を選んだ少年の意思に皮肉ひとつを投げるだけで済ませたんだから』
教科書にも載っている名作。それを読んだ子どもたちにはこんな感想を抱く子もいる。
エーミールは悪い奴だ。
誠意を示したのに許さなかった。傷つけすらした。エーミールは傷つけられるべきだ。
『難しいよな、誠意……優しさってやつもさ。我慢して我慢して我慢して、尽くして尽くして尽くして。それでもたったひとつのことで悪だって決めつけられる。苦しいよな、馬鹿らしい』
悪いことをしなくても、偽善だと罵られることすらある。
たとえ自分をいい人間だと思いたいからだとしても、何も奪わない、悪いことではないはずなのに。相手を一刻も傷つけないことが愛や善とは限らないのに。
優しさって?
相手にあわせること? 何も望まないこと? 自分をないがしろにすること?
それは都合がいい存在でいろって、たくらまれているだけなんじゃないのか。
『怒っているのか』
そうだ。怒っている。くだらないことで他人の善意や幸せに文句をつける人間が憎い。他人の優しさを餌としてかみなしていない人間を嫌悪している。
犠牲に寄生する人々が邪魔で仕方がない。
そんな人間のために自分を責める人がいるのも理不尽だ。
『俺もよくイヤな気持ちになるよ。真面目に誠実になんてやめちまおうかなって。でもそれを選んじまったら、やっぱりムカつく奴になる。誰かにとってとかじゃなくて、オレにとって。オレってそんな弱いのかよ、ってさ』
……。
『他人をアクセサリーとしか見ない桃岡も。本人もまわりにも確認しないで勝手に許される方法決めてる幸谷も。他人の生き方に怒っているお前もオレも。みんな馬鹿だ』
『言葉にしなきゃわかんねえ。自分のことならそれでいい。助けたいなら……どうする?』
どうするって。
『お姉さんのことでグズグズするために来たんだっけ?』
違う。
幸谷さんを許すために来たんだ。
こんなところにいる場合じゃない。
再び、形容しがたい不快感が鳩の全身をいたぶった。
今度は手助けなしに立ち上がる。
許したいあの人が、許せない方法を選んでしまうのは嫌だ。
姉のことを否定する。それは鳩にとってあまりに大きな事実だが、いまは些事であった。
白河 鳩は白河 鳩として、目を覚ます。
――こんなことをしている場合じゃ、ない。




