第十一話 うそつきばかり
ヒトは好きだ。理由は色々あるけれど、根本的なものはいたってシンプル。
ヒトのいない生活が考えられないから。
母がおいしいご飯を作ってくれるのは毎日楽しみだし、その材料だって知らない誰かが育てている。
自分以外の誰かのために動くことをためらわない。
鳩はそんなヒトに感謝し、同じ感情を返すことを当然のことと思ってきた。
だが最近は少し、返すことに疲れてきた。
「桃岡さん、刺されて入院したんだって」
「当然の報いだよ」
「でも刺したってことは刺した人が別にいるんでしょ? 怖いなあ」
「しっ」
わざとらしい会話が聞こえる。
最初は気のせいだと言い聞かせようとした。しかし誤魔化すほど声は日に日に大きくなっていく。
佑をいじめていた桃岡が刺されて一週間。
クラスメイトは露骨に鳩を避けるようになった。
被害者がいじめっ子、いじめられていた子が死亡ともなれば鳩に疑いが向くのも当然。事情聴取を受けたが、ほとんど家にいたのでアリバイはないも同然。
だが五十嵐医師が「鳩の体質と性格でそんなことをすればすぐにわかる」と証言したらしい。おかげか針のむしろの空間からは早々に解放された。
そんな事情を知らないとはいえ、クラスメイトは言いたい放題。
違うかもしれないと口でいい、犯人に違いないと態度で示す。
鳩がおとなしいとわかれば、わざと聞こえる大きさでいって鳩の反応を見ていることもある。
勝手に怖がって、か弱い善人を装っていつ何が起きるかと楽しんでいる。
――都合がいい。
姉のことで憤っていたのが嘘のようだ。
てっきり佑をいじめていたのに怒っていたのだと思っていたのに。
鳩の方が異物扱いされる空間はとても居心地が悪い。
授業中はみんな黒板に集中しているからいい。問題は休み時間だ。
あまりにもうるさい。小さな声がやまないのがうっとうしい。
唇が自然と「へ」の形に曲がる。
毎日鳩はひとり深々とため息をついて、帰りのホームルームが終るのを今か今かと待つ。
今日も微妙な気持ち悪さは変わらず、鞄を持ってさっさと帰路についた。
自転車に乗って人ごみから離れるように漕ぐ。視線は向くが呼び止めるものはいない。
横断歩道の信号が赤になっている間にスマートフォンの電源をつけるといくらかLAINに通知が入っていた。
時刻を見ると送られてきたのはつい数分前。
運転しながら見るわけにもいかず、結局その文面を確認したのは帰宅してからとなった。
すると先程のものに加え、さらにメッセージが重なっていた。
『鳩くん、調子はどうかな? 虎斑だよ。これから幸谷くんのおうちに行くんだけれど一緒にどう?』
『今幸谷くんの家の前にいるよ。お仕事で来たらしい真木さんも一緒です。イェーイみえるー?』
『真木さんにきいたのだけれど、桃岡さんが大変なことになったんだって? 大丈夫?』
『幸谷さんね、会えないんだって。おかしなことになってるみたい』
一枚だけ写真が挟まれている。彼女の言う通り、真木とのツーショットだ。
真木は露骨に顔をしかめてカメラから目を逸らしていた。
――もっと前もっていってくれればついていったのに!
少し恨めしく思いながら文面を追う。
幸谷の様子は鳩もとても気になる。だから家に帰るなり制服から着替えて、ソファに座って続報に備えた。
しかし一時間ほど経っても連絡が来ない。
宿題もあらかた終わってしまった。
今日の授業の予習でもしようかとノートを広げて数分、ようやく連絡を知らせるアラームが鳴る。
『変なところで切っちゃってごめんね。ちょっと幸谷さんの親御さんとお話してたんだ』
「……虎斑さんが?」
幸谷なら同い年の少女であるから百歩譲って納得できる。あれだけ積極的な性格だ。
けれど彼女の両親と話す理由はよくわからない。
『あれだけ慌ててたから、嫌な予感がして幸谷さんに会おうとしたんだよ。で、まあなんやかんやで真木さんと合流したわけ』
「なんやかんや」
『で、ここからが問題。幸谷さん、ここ数日眠ったまま起きてこないらしい』
意味が理解できず、しばらく理解に時間を要した。
ヒトは夜に寝て朝に起きる。数時間の間違いではなかろうか。
『鳩くんにしては珍しく素直じゃないね? そのままの意味だよ。何日も眠って起きない。かれこれ三日間ずっと眠ったままだって』
「えっと、それって、病院とか」
『真木さんもそういったんだけれどねえ。お母さんはあんまり連れて行きたくないみたい』
三日も飲まず食わずで眠るのはさぞつらいはず。
幸谷の安否を思うと居ても立ってもいられなくなってきた。
ソファから立ち上がり、行くあてもなくグルグル歩き回る。
「えっと、僕はどうしたらいいでしょう」
『君が首をつっこむ必要はない。と普通ならいうんだけれど……真木さん、君に話があるみたい。LAINで伝えたくないから、お店に来てほしいって。いつなら来れる?』
「では今からうかがいます」
『そろそろ夜だけれど』
「いえ、問題ないです」
筆記用具を片付けもせず上着をはおる。
一瞬脳裏を両親の顔がよぎった。それでも足が動くのに任せ、走り書きの置手紙だけ残す。
玄関を飛び出す。夜風は少し湿っていた。気がはやっているからか、心もちいつもより走れている気がする。
エンデュミオンの前に来ると黄色い灯りが窓に映し出されていた。
「や、夜分遅くに失礼します」
「止める間もなく突撃してきて失礼しますはないんじゃねえの」
「それはすみません……」
自分が奔る分には迷いはないが、人に会うと気が萎む。
迎えてくれた真木は冷たく鼻で笑う。
「奥に入れ」
会話も短く促される。
振り返りもせず歩き出してしまうので、とりあえず後をついて行ってみた。
施術室の奥には目立たない扉があり、そこを開ければ急に生活感のある空間が現れる。
お世辞にも綺麗とはいえない。
家具も使えればいいといった様子の簡素なもの。ホームセンターで見たことがある自分で組み立てるタイプの家具がほとんどだ。
他は新しいものにはない年季を宿した家具。特に虎斑と坂野が腰かけている椅子とテーブルは深い色合いを魅せる飴色に染まっていた。
「本当に来たんだね、鳩くん」
「ごめんねえ、うちの真木が心配性なせいで夜に来る羽目にさせちゃって」
「いえ。あの、幸谷さんのこと」
真木と反対に、二人は穏やかな様子で鳩を迎えた。
けれど幸谷の名を出せば微妙に表情を曇らせる。
「幸谷さん、うちの常連さんなんだよねえ。だからお母さんが電話かけてきてなあ」
「LAINだと文章を保管できちまう。通話だって録音できるときいた」
「そんなことしません!」
「するしないは関係ないんだよ。俺にとっては一大事なんだ」
こんな彼がわざわざ鳩を呼ぶあたり、よほどの理由があることは想像に難くない。
だが、催眠について詳しいのは真木だ。鳩にできることは何もない。
なにかできてたらいいとは思っているが。
次の言葉を待っていると彼はまじまじと鳩の顔を見つめてきた。目つきに関しては睨むといってもよく、黙っていても突き刺さるようだ。
「……前にも似たようなことがあった。夢を見てそのまま起きなくなった奴が」
「その人は?」
「そのまま死んだ。といっても昔の話で、その時は望まれて夢を見せ続けた結果だ。今回みたいに異能を使っていないのに眠り続けるなんて初めてだ」
「……え、異能って」
つまり真木のちからは催眠という技術でなく異能というちからであったわけで。
鳩が口を挟む前に真木は強引に話を続けていく。
「一応呼ばれて夢に入り込んでみた。干渉すれば簡単に起こせると思った。しかし拒まれてしまってどうにもならない」
「無理矢理起こすのは無理なのですか」
「俺の異能は『望み通りの夢をみせる』こと。そして夢や欲望は与えられるものじゃあない。あくまでそいつのなかにある。本人がコレと決めちまったら、俺にはどうにもできねえらしい。
だからどうして起きたくないのか、どうすれば起きる気になるか聞いてみた。案の定、閉じこもっちまって聞けなかったんで適当に記憶を拝借することになったが」
勝手に記憶を覗き見られることを想像すると胸が悪くなった。
醜いと思われるだろう心中の黒い部分を見られるのはぞっとしない。
良心を求めて坂野に顔を向けた。だが首を横に振られてしまう。
「生憎おれにはさっぱり」
わざとらしく肩をすくめて茶など啜るしまつ。
「お話をうかがってると、真木さんは《天使》で、その」
「立ちっぱなしもなんだし、座ったら?」
坂野は涼しい顔で話を煙に巻いてしまう。
渋面を浮かべた鳩を馬鹿にするようにまた鼻で笑った。
「何か言いたげな顔だな」
「だって、そりゃあ……」
「俺は望まれたからやっただけ。不可抗力ってやつだ。いいんだよそこは。ところでこいつは確認なんだが、幸谷のこと気にしてたよな。このまま起きないとあんたは何か困るのか?」
「困るというか」
ぽろりとでた言葉に自分で意外に思う。
正直に言えば、幸谷が起きなくとも鳩は困らない。
結局佑を助けなかった人であり、彼女がいなかったところで鳩の生活は平穏だろう。
この場で待っていてくれた虎斑に目をやった。彼女は茶を飲んでいた手を宙で止め、視線を返す。
ちょっぴりまた助け舟を出してくれるのではと期待した。
期待と反し、かちあった目線はすぐに外されてしまう。
だから素直に思ったままを口に出す。
「困らないですけれど……気分が悪いです」
助けて困る理由がない。
あれこれやらない理由はつけてみた。どれもしっくりこない。そういうことなのだろう。
最初にでてきた、ちからになりたいと思う気持ちは本当。
真木は唇の右端を下方に歪め、もう左端をつりあげた。器用な表情筋だ。
「ならいいか。待たせて悪いな、あんたを呼び出したのは幸谷の夢にあんたがでてきたからだ」
「僕が?」
「幸谷はあんたと話したいらしい」
話す。何を。
幸谷が相当に追い詰められていることは鳩でもわかる。
姉のことなら鳩の許しが役に立つかもしれないが、問題は桃岡の事件。このタイミングでこの様子は多少疑う部分もあった。
望まれるものがいまいちわからない。
「自分に都合がいいか悪いかも無視するから、はっきりとはわからないぞ」
「つまりどういう意味です?」
「目的があるとは限らないって話。
夢ってのは良くも悪くも素直なもんで、頭のなかに埋まっているものが簡単に出てくる。ただあんまり素直過ぎて、考える先より出ちまう。こうすべきだ、ああした方がいいなんていう小賢しい合理的な判断はふっとんで思ったママがポイとでる。
他人の俺の目から見れば面白いぐらいにな」
「なる……ほど?」
鳩が印象に残っているだけで、望んでいることなどなにもない可能性もあるわけだ。
「言葉を届けるだけなら俺が仲立ちすればいい。面つき合わせたいなら、直接夢と夢を繋げちまえば……やったことないけど……できるんじゃねえの」
「ん? やったことないって、真木さん。危ないんじゃあないの?」
「あ、えーと。大丈夫です、お願いしてもいいですか」
とっさに虎斑の苦言を遮ってしまう。
彼女はただでさえ大きな瞳を真ん丸に見開いて鳩を見やった。鮮やかな色合いの髪が斜めに揺れる。
「いいのかい?」
「ええ、まあ」
「ならいいか」
白い横顔にひっそりと影が落ちた。
薄い唇は柔らかな笑みを浮かべ、頬杖をついて再び沈黙を守る。
今の一言で鳩の決意はますます固まった。
「はいはい。本人がやる気だっていうんなら好きにすれば。なるだけやってやるからせいぜい安心してろ」
「真木ぃ、そんないじけんなよ」
「別に」
「ご機嫌を損ねるようなことをいってしまいましたか」
「ああ平気平気、こいつが勝手に不機嫌になってるだけだから」
そう言いながら坂野は席を立つ。
いやにすっぱりとした立ち上がり方だった。嫌な予感がする。
「もう話はついちゃった感じ?」
「え、いや、まだ」
「だってやるのに変わりはないんでしょ? これ以上聞くことかここでやれることあるの?」
「そう、ですね」
「幸谷さんの保護者さんとのお話とかはおれたちがやっとくから、早めに帰ったら。すぐ飛び出してきちゃったんでしょ、きみのお父さんお母さん心配してると思うよ」
「あっ」
「日取りとか決まったら連絡するから。ね」
余計なことを聞かれる前に追い出そうという気配を感じた。
肝心のことを聞けていない。
真木自身の話だ。
先程流されたことを確かめようとするも、その鳩の服を虎斑がひっぱる。
「藪から蛇が出ないうちに帰ろうじゃないか」
「……はい」
本当に真木が《天使》であるのなら、聞いてみたかった。
彼の《親》はどんな人物で、本来の《天使》と《親》の関係とはどのようなものなのか。
後ろ髪をひかれる。
それでも鳩は大人しくエンデュミオンの玄関を出た。
真木の目は冷たく、坂野の声音は暖かかった。
彼らには彼らの秘密があるのだ。
扉を閉める前に一度だけ身をひるがえす。
二人は隣り合っていて、坂野だけが手を振ってくれた。
その光景を見ると不思議と納得してしまった。きっと真木にとって秘密を共有しえるのは彼だけなのだろう。
鳩が虎斑になら汚い秘密を話してもいいと思ったように。




