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還:天使の血管  作者: 室木 柴
第一章 スリーピィ・ホロウ
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第九話 赤色の親切

 《天使》の血は何故赤いのかしら。

 人の心を真似するだけなら、姿まで近づけることはないでしょう。

 人間は何故形にこだわるのかしら。

 老えば形は変わり、血は濁る。熱く鮮烈な赤を残すは一握り。

 手足が二対、目玉一対。二足歩行で言葉を使う。

 どうして彼らはそれだけの生き物になりたがるのでしょうね。

 人がそうであるのは当然でしょう。その形が基本型だと思っている。

――でもね、《天使》は違うの。




 姉は本をよく読む人だった。

 児童書から専門書らしきものまで種類は多岐にわたる。

 母曰く幼稚園生の頃から既に乱読家の()があったとか。

 あれもこれもと読み聞かせを強請(ねだ)る娘に本棚を買い与えた。

 これ以上詰め込んだら床を踏み抜きそうなほど巨大な立派な本棚だ。


「おっも……」


 つい先日鳩のものになったそれを父の手を借りて自室に運ぶ。

 手のひらが押しつぶされかねない重みに悲鳴のひとつもあげたくなる。

 四苦八苦する鳩に比べて父は眉ひとつ動かさない。

 意外と力持ちな父は、情けない鳩の一体何が楽しいのかからからと笑う。


「大丈夫か?」

「平気だよ、これぐらい」


 からかいの響きを感じ取り、むっとする。


「おっ? いうようになったじゃないか」

「なんで嬉しそうなの? 別にいいけど。手伝ってくれてありがとう」


 額を拭うと手の甲がしっとりと濡れた。

 窓越しに燦々と太陽が照りつけてくる。毎夜の如く大雨が降り、今日も今日とて湿度が高い。

 暑さに気を緩めてフローリングですべりでもしたら大参事だ。

 足運びは慎重に。肩への負担が重くなる。


「どうする? 中身の入れ替えもやろうか」

「それぐらいは自分でやる」

「そうか。ああそうそう、五十嵐先生がな、異能の使い過ぎには気をつけろだとさ」

「え、なにいきなり」


 昨日の事故がばれたのか。

 そうすれば心配性な両親は怒り狂って出歩くことを制限するだろう。

 身構える鳩に、父も首をひねる。


「注意しわすれたが、この前勝手に佑の部屋に入っただろう」

「う、うん」

「鍵がかかってたのに入れたのは異能を使ったからだと思ったんだが、違うのか?」

「……いや! あってる、すごくあってる! その通り!」

「お、おう。それで味をしめて変なことするなよ、ってな。まさかもうしてないよな?」

「してないしてない全然してない天に誓って絶対ない」

「ならいい。熱中症には気をつけろ」


 ダンボールにつめた姉の本を一瞥(いちべつ)し、父は自室に戻っていく。

 せっかくの日曜だ、あまり時間をとるのも申し訳ない。

 変に気を遣う必要もなくなった。ほっと胸をなで下ろす。

 本当は全部ひとりでやりたかった。姉の部屋から運び入れた本棚に向き直り、頬を叩いて気合いを入れる。

 自分を探すために言葉が欲しかった。元からないものをひねりだすことはできない。ではどうやって手に入れるか。その手段は存外身近にあった。

 本だ。これらの本には何百万時、何百時間もの言葉と文字と思いが込められている。

 読書で自らを育むことができないかと両親から譲り受けたのだ。


「なんか実感わかないけれど、形見になっちゃったな」


 死した人のものを受け継ぐ。

 形だけで見ればそういうことになる。

 いくつか鳩には難し過ぎて興味のわかないものもあった。形見とあっては手放すのもはばかられる。

 幸い心理や人生論についての本も多い。

 時間はたっぷりある。易しいものから読み進めるつもりだ。


「あ、そういえばこの前の本、読んでない」


 本といえば他にもある。坂野に渡された『少年の日の思い出』。

 昨日渡されてからまだ一ページも開いていなかった。

 時計をみればまだ午前十一時前。今から読めば午後には出かけられるかもしれない。


「幸谷さんのことって、きけ……ないよね」


 許可はとっていると真木はいった。

 どうしてわざわざあんなものをみせたのか。

 姉を知りたい鳩の望みに応えて? どうしてそんなことをするのだろう。

 鳩としてはありがたい。だが、彼女には何のメリットもない。

 無暗に傷つくだけだ。


――この前車につっこんだのはいいの?


 保守的な自分が脳内でつっこむ。

 自分はいい。

 それ以外のことができなかった。そもそも自分のせいだった。

 目の前に危機が迫れば助けるのは良識の範囲。

 彼女を助けることで鳩も少し前向きになれたのだから、鳩にはいいことしかなかった。


「そうだよ、ぼくが悪いんだから」


 姉を死なせてしまったのも、愚かなのも全部。

 いつもあとから気づいて後悔するばかり。

 自分だってだめだった。だから幸谷を責める気にはなれない。

 いじめられるのは怖くてつらい。だから誰かの自己犠牲にすがってしまうのも仕方がない。

 姉と彼女にわびなくてはいけないのは鳩の方なのだ。

 もしも幸谷が姉と鳩に対して罪悪感を覚えているのなら大変だ。


――あなたはひどいことをしたけれど、許されてはいけないほどではない。


 そう彼女に伝えたい。

 しかしひとつ懸念がある。

 鳩がいっていいのだろうか。

 その許しを鳩が与えてもいいのだろうか。


「考えてもしかたないか」


 鳩が誰かのためにできたことはあれだけだ。

 あの時、確かに鳩は彼女を助けた。そして鳩自身心を助けられた。

 鳩が一番したいことはそれなのだ。


「連絡先なんてわからないしなあ」


 まさかきけば教えてくれるなんてことはあるまい。

 だが、エンデュミオンに行けばまた会える可能性はある。

 何気ない話をこぼすこともあるだろう。


――とりあえず、読むか。




 鳩ははりきって読書に勤しんだことを心底後悔した。

 目標通り午後には読み終わり、エンデュミオンに来たのはいい。

 会いたい人はいなかった。

 代わりに、最も会いたくない人間がいた。

 彼女への言い表しがたい苦手意識は、今 鳩の肩をがっしりつかんでいる男も同じらしい。


「代わりになってくれ」

「え、ええ……」


 不愛想に唇を結んだ表情はどこへやら。

 その視線の先には鳩も見た瞬間顔をひきつらせた少女、桃岡がいる。

 玄関の前にたって中に入ろうと試みている様子だ。鍵は開いていないようだ。


「あの、彼女はお客さんですか?」

「いつもはな」

「ではいれてあげては?」

「今日は定休日だぞ」

「……じゃあなんで来てるんです?」

「俺が知るか!」


 店員と客というだけにしては真木の態度は必死。

 曲がればすぐに路地裏だ。大きな声をあげれば簡単に届く。

 声を(ひそ)めて叫ぶなどという技を披露するほど苦手なのか。


「……あの子が見る夢自体は、別にいい。夢のなかでくらい望みのままというのは珍しくないから。でも現実と夢をごっちゃにするのはいけない……」

「はあ」

「無理、無理……ホント無理……俺ああいうのだめなんだって……」


 見上げるほどの大男が顔面蒼白で両腕をさする姿は恐怖すら覚える。

 他人が慌てふためく様を見ると逆に冷静になってきた。

 こっそり壁から顔を出して桃岡を確認する。気付いた様子はない。


「あのー、それで代わりって?」

「よほど特別扱いされたいらしく、定休日であろうとVIP待遇を求め過剰にアレコレ踏み込むうえに変わった技能をもつ人間を自慢という名のアクセサリーに使いたいみたいで俺個人の生活にもズカズカ入り込もうとして」

「落ち着いてください」


 まくしたてる口調はどう見ても冷静ではない。

 これはもうトラウマじみている。


――幸谷さんもこうなってしまっているのだろうか。


「……悪い。とにかく、桃岡 菜那は俺に会いたがるが、俺は仕事以外で会いたくない。

 見ての通り俺は隠れるのに向かねえ。いつもなら逃げるがこれから用事がある、準備のために店に入りたい。捕まるのは困る」

「お手伝いしたいのはやまやまですが、ぼくになにができるでしょう」


 桃岡は理不尽でわがままだ。

 鳩が話しかけたところで、八つ当たりに罵ってから無視するだろう。

 姉が死んだあとも堂々と振舞い、目が合っても存在しない人物のように扱う人間だ。


「俺の姿を(いつわ)れ。できるな」

「えっ……」

「これは俺のメルアド。喋らなくていい、おとりになってひきつけてくれ。適当なところまで離れたらここにメールしろ」

「そんないきなり」

「……ああ、そうだな。俺もここまで頼みたくはない。ただ少し込み合っている。場合によっては後でアンタにも教えなきゃならん」


 真木が早口になりだした。

 足音が聞こえる。桃岡が引き返してきているようだ。

 彼の身長は高いうえに、隠れてやりすごす場所はない。

 話の半分もわからなかった。彼が自分の異能を把握しているのにも驚愕している。

 だがはっきりしていることがある。彼が助けを求めているということだ。


「……わかりました」

「悪い」


 モデルが眼前にいるのだから、模倣するのはそう難しくない。

 すぐに異能を使って彼そっくりに姿を変える。

 服は体の一部を分離させて上から被った。

 変身が完了し次第、真木のいる方とは逆方向に歩き出す。


「あっ、真木さぁん!」


 桃岡の視界に入った途端耳に入ったネコナデ声にさぶいぼがたつ。

 甘ったるい甲高い声。人を馬鹿にしきった気障ったらしいイントネーションも気持ち悪いがこれはもう生理的に無理だ。

 取り繕って人にとりいろうという魂胆が透けている。


「真木さんってばぁ」


 聞こえないふりをして歩き続けた。振り返りたい気持ちを抑え込む。

 桃岡は無事真木――の姿をした鳩を追ってきていた。

 真木が二人いることへの困惑は聞こえてこない。

 圧倒的な足の長さのおかげで、歩いているだけなのに追いつかれるきがしなかった。

 視界が高過ぎる。いつもと見える景色が違う。ばれた時の桃岡の憤怒を思うと恐ろしい。

 一周まわって昂揚(こうよう)してきた。


「ねー、どうせ暇なんでしょー、いいじゃーん」


 身勝手な注文。一方的な決めつけ。

 なるほどこれは逃げたくもなる。

 自然に足が速くなる。

 十五分ほど歩き続けた。五分あたりで声は失われていたが警戒した結果だ。


――もう大丈夫かな。


 足をとめても桃岡の気配はない。

 スマートフォンで真木にメールを打つ。

 返事は来ない。

 鳩には特に用事がないからいくらでも待てる。

 無事頼みごとを達成できたかは気になるが仕方ないだろう。

 さらに公園まで歩き、公共トイレに入る。そこで鳩に戻り、今度こそ安堵のため息をつく。

 スマートフォンを確認する。

 メールは来ていないがLAINに通知がきていた。


「誰だろう」


 太陽に光が当たって表示がよく見えない。

 汗もつぎつぎ流れてくる。

 木陰に入ってベンチに腰かけた。生温い風が気持ちいい。

 ディスプレイを改めてタップしてアプリを開く。


「虎斑さん?」


 そういえば次に会う約束をしていなかった。

 きもち心を躍らせて通知を目で追う。


『やあ鳩くん。休日はいかがかな? 昨日の今日だ、ゆっくり体を休めていることだろう』

――すみません、全然です。

『さて、早速で悪いが本題に入らせてもらおう。君が気にしていた幸谷くんから連絡があった』


 喉から猫がしっぽを踏まれたようなすっとんきょうな音が鳴る。

 いくらなんでも仕事が早すぎる。

 いったい彼女はなんなのだろう。

 女子高生とはみな強烈な存在なのか。


『お知り合いだったんですか』

『いやあ、だったら昨日の時点でいっているさ。個人的なツテがあってLAIN交換に成功した。詳しくは秘密だ、秘密がある方がカワイイだろう?』

『はあ』

『自分でも今のは微妙だと思った。ごめんね。とにかくね、幸谷くんから伝言がある』


 あの時は逃げてごめんなさい。

 驚いてしまったの。ちょっぴり恐かったけれど、助けてくれてありがとう。

 気にしていたなら、ごめんなさい。


『だって』

『そうですか。お手数をおかけしてすみません』


 本当はそれをいうのは自分だったはずなのに。

 許された喜び。罪悪感。後手になってしまった恥と悲しみ。四つの感情がない交ぜになって、胸を(ふさ)ぐ。

 ぼくからも伝言をお願いできませんか、と打ち込みかけたのを慌てて消す。

 こうなったら、直接口で伝えなければ気がすまない。


『うん、だから焦らずゆっくりやるんだぞ』

『はい』


 ちょうどそこでメールが返ってきた。


『無事到着。時間がかかりそうだから帰っていい。今度来たら坂野が何かする』


 余計なことは何も書かれていない。そっけない文面だ。

 自分の眉間に皺が刻まれるのがわかった。


「……まあ、いっか」


 礼をする――という意味だと思われる一文がある。

 彼なりの感謝なのかもしれない。

 前向きに考えれば、じわじわと冷たく塞がった部分が温められていく。


――それだけでも十分に収穫だ!


 見えない何かをにぎって確かめるように、指を開いて閉じるのを繰り返す。

 その度、ふわふわとした予感がかたまってはっきりする気がした。

 確信。歓喜。味わった感情に名前をつけ、明確な形にしていくほど、流れる血が熱くなる。

 全身にちからが巡って世界が輝く。

 単純明快な感情をどう名づけてよいものか、鳩は迷う。

 なにせ真っ先に浮かんだ呼び方は大仰で、弱いてのひらには余りそうなものだったから。





 桃岡 菜那が刺されたと知ったのは、その三日後のことだった。


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