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還:天使の血管  作者: 室木 柴
第一章 スリーピィ・ホロウ
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第八話 ものぐさと働き者

 正しく生きる。それは正しいものがあると信じられている人間にしか抱けない願い。

 人間が正しさを背負える生き物だと思うのは幼さ。

 それが幸助のたどり着いた結論だ。

 あの頃は侮蔑の対象だった正生も、その名の意味と込められた願いを思えば可哀想に思える。

 正生が死んで七年。エンデュミオンの経営はそこそこうまくいっている。

 店員は少なく多忙ではあるが食うに困らないのだから上々といってもいい。

 立地も悪くない。見た目は悪いが食事は作れるし寝る場所もある。

 バブル期に建てられ、その後周囲に建築物が増えて微妙な立地になった場所。玄関から待合室、施術室、居住スペースという順に使っている。

 普段は幸助と坂野しかいないそこに、今は一人の少女が加わっていた。


「それでどうだった?」


 虎斑 凛。五十嵐医師からの回し者。

 そういうと聞こえが悪いものの彼女本人はよい人間だ。真面目なお人好しといったところで、幸助や正生とは真逆の存在。


「白河 鳩? あいつは、なんというか……幼いな」

「やっぱり?」


 話題の少年は既に自宅に帰ってここにはいない。自分について話されていることすら知らないだろう。

 坂野が淹れた茶で舌をしめらせる。

 かつての幸助と同じ症状を示す少年もまた幸助とは全く違う存在だ。


「見た目の割に中身が少ない」

「そうなんだよねえ。素直すぎるっていうか、大人のいうことはなんでも信じちゃう幼稚園生みたいな」


 そのくせ大人しいから下手をすると何もしない、できない。

 虎斑は手厳しい意見をようやっと零せたという風に呟く。

 他人の家だというのに椅子の背に顎と手をのせ、背を丸くしてリラックスしている。

 どういう神経をしているのだろう。エンデュミオンに来る客にわけてやってほしい。


「いいこだからはっきりいわなくてもいいかあと思っちゃってねえ。色々手間かけてもらっちゃってごめんね」

「別に」


 謝罪。それをいうべきは五十嵐医師だ。

 鳩がエンデュミオンに来たのも元を辿れば五十医師の思惑だと知ったなら、彼はどう反応するだろう。

 親しい人間を疑ったことがほとんどない少年の心を思い出し、鼻で笑う。

 女子高生の間でエンデュミオンが噂になっているというのは本当のこと。桃岡も幸谷も常連である。

 しかし虎斑に関しては五十嵐医師を通して出会った。 

 虎斑の母は《天使》だ。《天使》の能力が子どもに受け継がれることはほとんどない。ごくまれに微弱な異能や身体的特徴となって現れる程度。

 しかし彼女は能力は全く受け継いでいないものの容貌に特徴が現れてしまっている。

 だから念のために五十嵐医師にかかっているのだという。

 ここからが五十嵐医師のずるいところ。

 五十嵐医師が直接患者にココを勧めるのはよろしくない。担当医の発言というものはいやがおうにも力をもつ。

 一方、患者同士がなにをどう話そうが自由というものだ。医師がそれを知らないというていをとれればますますよい。

 気になる《天使》がいたなら虎斑を通してエンデュミオンに向かわせる。

 幸助の異能を用いて《天使》のカウンセリングをする。

 『善意』の範囲で幸助が五十嵐医師に報告する。

 個人的な応援という形でエンデュミオンの支援をしてもらっているだけに断りにくい。

 体質の件も含め、散々世話になっているせいで余計に。


「でも俺のときより厄介かもしんねえな」


 ぼそっと呟いた言葉を虎斑は聞き逃さない。

 あくびをする猫のような形だった背骨がまっすぐにのびる。


「どういうこと?」

「あー……俺の時より血の量が多かったから」


 原因はいくつか考えられる。

 例えば見た目。幸助の髪と目は常人と変わらない。

 鳩や虎斑のように生まれつき特徴がある個体は、普通より体のつくりが甘いからだという。

 しかしそれは誤差の範囲だ。

 タオルが血まみれになるほど出血する原因には足りない。


「この体質って見た目が派手なだけで、実際ほとんど害はないんだよ」


 吐血した時、内臓かどこか出血しているかもしれないと検査したが全くそんなことはなかった。

 その血は《天使》としての血。人として生命を維持するために造られる血ではなかったのだ。

 精神の傷が肉体に直結する。

 サンプルが少なすぎて絶対に違うとは言い切れなくはある。ある意味間違ってもいない。

 だが五十嵐医師の場合、幸助と鳩の尻を叩くためだけにあんな説明をしたに違いない。

 脅さなければずっと立ち上がらないかもしれないとでも思ったか。


「えー? じゃあなんで血がでるの?」


 横から話を聞いていた坂野がすっとんきょうな声をあげた。

 そういえば彼は幸助が症状に苦しんでいたことを知らない。


「なんていうか、構ってアピール?」

「はあ?」


 からかっているわけではないのにそんな反応をされるとムカッとする。

 他にもいいようはあるがそれが一番あてはまる例えだったのだ。


「言葉を話せない幼児が泣くようなもん。自分で自分のことがわからないから、怪我でアピールするんだよ」

「あれ。虎斑は肉体と精神が解離しているせいで、体のつくりがハンパだからって聞いたけれど」

「それも本当。どっちにしろ心が育てば解決する」


 幸助の育ちが早く、そのくせ体のつくりが甘かったのは《親》を親とも思わなかったのが原因だった。

 自分の子どもにさえよりかかる大きい子ども。

 いつまで待ったところで彼が支えになることはない。心の底でそう理解してからこそ、急いた心が肉体の成長をうながしたのだと五十嵐医師は予測した。

 夢を見た際、少しだけ彼の心を覗いた。夢を形作るのにやむをえない分だけ。

 鳩は幼すぎる。虚無といっていいほど感情が育っていない。

 理由はなんとなくわかる。触れたものの少ない鳩のなかで大きな存在。彼女こそ虚無に近い。


「あの《親》を見本にはできなかったんだろうな。アンタら友達だったんだろ」

「うん。いいこだったよ」

「都合のいいこか」

「人によってはそうできただろう」


 失礼な物言いに虎斑は苦笑する。

 殺風景なコンクリートの一室には合わない華やかな笑みだ。


「同情するよ」


 彼女に関わった人間達に。幸助はどうも佑が気に食わない。

 たとえ幸谷たちのように佑を利用していても幸助は非難する気にならなかった。

 あの自己犠牲という言葉も生温い献身。

 相手の善意と道徳を踏みにじってでも助ける容赦のない慈悲。

 幸谷はエンデュミオンに来る度、佑に謝る夢を見たがる。

 言われた通り佑を生贄に差し出した彼女。

 一時はおさまったものの良心の呵責に耐えきれず、結局佑の死をきっかけに爆発。

 新しい標的が定まる前にいじめっ子たちへ自ら身をさしだした。

 そのいじめっ子である桃岡はベタベタに甘い夢しか見たがらないが。


「うーん……とにかく鳩くんの命に別状はないってことか」

「さすがに本人から殺されにいったらどうにもならねえぞ」

「いやあ、さすがに死にたいってわけじゃあないだろう」


 鳩が返ってしばらくしてからのこと。

 こっそり引き返してきた幸谷に、鳩が彼女を庇ったことを伝えられた。

 激しく動揺した様子で坂野の慰めも耳に入らない。

 佑を思い出したようで、恐慌といってもいい様子だった。

 いかにも大人しい少年を猛らせた要因はわからない。

 間違いなく幸助がみせた夢が原因だ。しかし身を投げうつとは変なところで似た姉弟である。


「余計なことばかりする奴らだ」

「真木」


 坂野が真木の頭をはたく。

 いつものからかう調子のそれよりやや強か。

 当然の報いとは思う。だからといって謝る気はない。


「どちらも馬鹿だ。そんなに恐ろしいならはやく忘れてしまえばいい」

「単純な方法で幸せになるのが怖い人たちもいるのさ」

「幸せになるのが……怖い?」

「ああ、わかるかも。これでいいのかなって思うよなあ。自分にとっては楽でもそれで他人に負担がかかることになると、こう、すっきりしない? みたいな?」


 坂野までも共感している。


「んなわけあるか」


 やっきになって否定してしまう。

 本当はそうなのかもしれないと漠然と思っていた。

 坂野がそういう人間だからこそ幸助は今ここにいる。

 幸助の矛盾を見透かした虎斑が「ふう」とそよ風の吐息をこぼす。


「実をいうとね、佑くんのこと怖かった。尊敬できる素晴らしい人」


 一見真逆のことをいう。

 逆さまに見えることが実は隣り合っているというのはよくあることだ。

 それを呑み込み損ねて扱い兼ねることも。


「優しい人間がいると幸せになるよね。虎斑も最初はそう思ったんだ」


 最初は。

 鳩のように。幸谷のように。

 されど優しさとは一歩間違えれば猛毒と同じ。

 頼ってはいけない優しさでも免罪符を与えられたなら、誘惑されてしまう。


「幸谷さんにしたこと、虎斑、本人から聞いた」


 気まずそうに明かされた事実。幸助は眉間にしわを寄せる。

 今回幸谷の夢を鳩に見せることになったのは、彼女自身が望んだからだ。

 虎斑から彼の役に立つ夢とはなんだろうと相談された時、幸助はこっそり幸谷にたずねてしまった。

 鳩の姉のことで悩んでいる彼女のために使えないかと思った。

 幸谷が望んだのは贖罪(しょくざい)

 そのためにかつて幸谷が犯した罪を、佑の慈悲を伝えようと望んだ。


「……あんたから幸谷にいってやったらよかったのに」

「いったところでどうなったともの思わないよ。彼女、幸谷さんが苦しむとわかっててやったんだから。そんなの知って前向きになれるかな」

「知ってて? 追いつめるためにやったのか? だったら憎めるだろう」

「だからそういうんじゃないんだって」


 どういったものか。

 珍しく歯切り悪く言葉を選ぶ。ぶらぶらとゆらす足が何度か幸助にあたりそうになった。

 黒い瞳に憂いが浮かび、艶をおびた瞳が遠い彼の日を見やる。

 悩む間に昼間の熱が天に届き、一時的な豪雨を運ぶ。

 ざあざあと耳をすまさずとも鼓膜を揺らす音。

 帰路についたはずの幸谷は無事に帰れただろうか。


「佑くんが身代わりになる形で幸谷くんが助かったなら。そう過程して彼女はいった。

――もしも良心の呵責に苦しんだなら、優しさの証明になる。苦しみはするが誇ってよい。

――もしも苦しむことなく幸福に浸れたなら、いうまでもなく善行になる。

 どちらになっても救われる人間が生まれる。生産的だ――それが彼女の考えだ」


 良心の存在が苦しみという形で表れた幸谷は、人間としての己を誇ることができる。だから結果的にプラスが多くなる、比較的幸福といっても過言でない。

 なるほどと幸助は頷こうとした。

 プラスとマイナスをあげていって、数を比べるならばその通り。

 しかし新しい茶を注ぐ坂野が渋面を作っているのに気づき、中途半端なところで首をとめた。


「なんか違うんじゃね、それ」

「違うってどこが」

「どことか数とかー。筋が通るとかー。そういうんじゃねえんだって。なんか違うじゃん。そう考えるのは勝手だけどさ、ああそうなんだって納得したら負けな気がする」

「誰に負けるっていうんだよ」

「それでいいって思った自分?」

「はあ……」

「あのね、人が真面目にいったことにそういう生返事やめろよな」

「うん。虎斑もそう思う。だから伝えたところで余計悩むだけだ」


 いきなり第三者の虎斑がしゃしゃりでるのもね。

 鳩の件も彼が行動しなければ何もする気はなかったという。

 幸谷が虎斑にたどりつけば、彼女にもまた手をのばす。

 虎斑と佑はよく似ているが根本的なところが違う。


「ふうん」

「気にするんだねえ、幸谷くんのこと」


 気分転換したいらしく、真面目な相貌を崩してつっこんでくる。

 女性のこういう顔はあまり得意ではない。

 心のうちに踏み込まれる気配。桃岡をはじめとした女子高生に比べればずっとやさしいが。


「客の中でも特に抱えている負担が大きいからだ。人間的に気にしているわけじゃない」


 ストレスの解消にやってくる客がいる。

 楽しむためにくる客もいる。

 退屈を紛らわしたい、内容はどうでもいいからいちゃもんをつけたい。そういう客だって来る。

 抱えきれるストレスの量は人それぞれ違う。

 幸谷は心の器ぎりぎりに苦しみが満ち、表面張力でなんとかふんばっている状態。

 爆発されて店に余波が来ないか警戒しているだけだ。


「いやいやいや。コイツにいっても無駄だからさあ、聞いてくれよ虎斑ちゃん」


 黙って聞いていればいいものを、またも坂野が口をはさむ。


「最近幸谷さんよく来るんだ。で、来る回数が増えればお金もかかるだろ? なのにそのお金をツケにしてるんだよ!」

「ほぉん」

「だから後で面倒なことにならないようにしてるんだって。出世払いでもいいだろ」

「お金は大事だぞ、後々に回して後悔しても知らない、っておれの立場じゃいえないんだよー困るんだよー!」


 生活に困るでもなし、多少はいいじゃないかと思うが坂野はそうもいかないらしい。

 払う時は払う。対価はきっちり。

 そこに生半可な情を挟むとろくなことにならないのだとその口でいう。


「仲がいいね」

「別に」


 目を細める虎斑からも頬をつねってくる坂野からも目をそらす。

 自分などと仲がいいと評されては彼もいい迷惑だろう。


「よく来るといえば、真木さん定期検診サボってるよね? そろそろ来ないと『いい加減怒るぞ』って五十嵐さんいってたよ」


 いやな話題を出された。

 坂野が更に「この前行くって言ってたよなぁ!?」と騒ぎ出す。


「ちゃんと行かなきゃダメですよ、真木さん」

「うるせえな、アンタは俺の姉貴かよ。ああはいはい、今度行きますよ」


 適当に約束して席をたつ。

 ポイントは具体的な日にちをいわないこと。

 どこに行くわけでもない。適当に本棚の整理でもしよう。

 今はこの話題からだけは逃げねばならないのだ。

 黒い薄手の七分丈のしわをのばす。

 幸谷といい鳩といい、今は忙しい。店を空けるかもしれないことはしたくなかった。


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