8 最期の約束
大和の東征軍は、さらに東に進み走水海を渡ることになった。
オトタチバナはヤマトタケルとともに舟に乗りこんだ。そして海にでてしばらくすると、潮の流れがおかしくなり、ヤマトタケルの舟がその場でぐるぐると回転しはじめて進むことも退くこともできなくなってしまった。
「これはどうしたことだ!」
舟上の人びとが慌てだす。
オトタチバナは波が不自然に動くのを見て、そこに神の力が作用していると判断した。
「海の荒ぶる神がよからぬことをしているのかも?」
そう思って、眼を閉じた。意識を深く静め、祈るように海のどこかにいるであろう、この現象を起こしている神に呼びかけた。
(この波を操り舟をおそう神よ、私の呼びかけに応えなさい! なにゆえ我らをおそうのですか?)
そうすると・・・
ーー契約
と小さいながらも力強い声が頭の中に響いてきた。
「契約ですって?」
オトタチバナはつぶやいた。どのような契約があるのか分からなかったが、この現象を起こした神となんらかの取引をした者がいるのだ! そしてその何者かはヤマトタケルに害意を持っている。
彼女は出雲で出あった美しい女を思い出した。
さらに問う。
「海神よ! どうすれば、この波を鎮めてくれますか?」
ーー生けにえ
「生けにえ・・・分かりました」
どのような契約かは分からないが、それは生けにえを捧げれば断ち切れるようだ。
実際、エヒメは若さと死後の身体を捧げることを約束している。オトタチバナが命と生きている肉体を持ってすれば、エヒメを上まわることになる。
オトタチバナは覚悟を決めた。そして、動揺する人びとを落ち着かせようと必死に声をあげるヤマトタケルに向かって言った。
「あなた、大丈夫です。波は間もなくおさまります」
「本当か?」
「波は私が鎮めます」
ヤマトタケルはほっと安堵した表情になった。これまでオトタチバナが間違えたことはないからだ。そんな夫に、最期の約束を願った。
「一つ約束してください」
「なんだ?」
「霊剣を決して手離してはいけません。いいですね?」
オトタチバナに心のこりがあるとするならば、それはヤマトタケルを最後まで護れないということだけだ。だが、霊剣があればヤマトタケルは護られる。そして、この東征の後のことは彼を可愛がるヤマトヒメがなんとかしてくれるだろう。おそらくは伊勢でかくまってもらえるはずだ。
「いいですね! 決して霊剣を手離さないでください」
そう言うと、だんと舟から海へと飛びこんだ。
そのとき彼女が思い出したのは、焼遺の地で炎に囲まれながらも必死に気づかってくれたヤマトタケルのことだった。
(苦しくも、うれしかった)
その想いを最後に、オトタチバナは海の中に消えていった。
慌てたヤマトタケルも海へ飛びこもうとしたが、お供の者たちにしがみつかれてかなわなかった。
「オトタチバナが落ちたのだ! 離せ、離せ〜」
「お止めになってください。御子様まで落ちてしまいます」
そうおしとどめられた。
やがて荒波は鎮り、舟を進めることができるようになった。こうしてヤマトタケルらは陸地に到着した。
その7日後、オトタチバナの櫛が海辺で見つかった。ヤマトタケルは彼女の御陵をつくり、その櫛をそこに納めた。
ヤマトタケルは悲しみに暮れながらも東征を果たして帰路につくのだった。