4 飛び交う策謀
「オトヒメ。お願いがあるの」
「なんですか?」
エヒメはオトヒメに大和国よりも東方の地で、美女を探してほしいと頼んだ。
「美女…ですか?」
「ええ」
不思議そうにする妹に笑いかけながら、エヒメは次なる策をたてるのだった。
オトヒメを東方へ旅立たせる手はずを整えながら、エヒメはすばやく大和国にもどり、オオウスノミコトに近かった権力者たちをたずねた。彼らはオオウスノミコトこそ次の天皇と期待していた者たちで、ヤマトタケルのことをこころよく思わぬ者たちでもあった。
エヒメの話のもっていきかたによっては、彼らはヤマトタケルにとって不利益な働きをするだろう。もちろん、それがエヒメの狙いである。
「ヤマトタケル様は熊曾ばかりか、出雲征伐まで成しとげました」
「ーー! なんと、出雲を」
エヒメが接触した者たちはひどく驚いた。それには理由がある。
大和王朝の勢力下にあるとはいえ、出雲は特別な国である。国作りの英雄神・大国主神がまつられている地であるからだ。また出雲には古くから重要な地として、歴史的には大和以上に大きないみをもっている。
「帝の命もなしに出雲を討ってしまうとは・・・大神様の祟りが大和に降りかからぬか心配です」
「ーー!」「たしかに・・・」
そうエヒメがつぶやくと、彼らはおおいに慌てふためいた。
慌ててしまうのも仕方のない事情がある。エヒメの言う大神様とは、出雲大神すなわち大国主神のことである。この大神は先の帝・垂仁天皇の時代、自らがまつられている宮殿を不服に思い、天皇がかわいがっていた御子に言葉を話せなくなる呪いをかけたことがあるのだ。そのことは、まだ記憶に新しい。
今回のヤマトタケルの進軍を、大国主神が気に入らないということになれば、一悶着どころではすまぬ可能性は確かにある。
「ヤマトタケル様をこのままにしておいては、皇族の方々にふたたび祟りがあるやもしれません」
「・・・そうであるな!」
「となれば、早く帝に上奏せねば!」
エヒメの言葉に恐れをなした者たちは、すぐさま天皇にヤマトタケルを処罰するように求めた。しかし、処罰しようとすれば、ヤマトタケルは反乱を起こすかもしれない。そこで今度は、東方諸国の平定を名目に、ふたたび大和から追放されることとなった。
国のため父のためを思って彼のなした出雲征伐は、エヒメの謀略と呪いを恐れる人びとによって踏みにじられる結果となってしまった。
ヤマトタケルは大和にもどると、すぐさま追いだされるように東征へ向かわされた。
熊曾討伐に出かけるときは、意気揚々だった彼も帰るなりこれでは気落ちし、父の思惑を疑っていた。
「西伐を終え帰ってきたら、またすぐに東征へ行けとは・・・帝は、本当は私が死んだらよいと思っておいでなのだろうか?」
そう言って悲しんだ。
それをオトタチバナは必死にはげますのだった。
「伊勢の神宮におられるヤマトヒメ様のところへ行きましょう」
「叔母上のところへか・・・」
「はい。熊曾ではヤマトヒメ様からいただいた着物のおかげで勝つことができました。そのお礼も言わねば!」
ヤマトタケルは自ら女装して、熊曾建兄弟を討ちとったことを思いだした。あれは確かに痛快な策と行動力だった。話せば叔母はどんな反応をするだろうか? そう考えると少し笑えてくる。
「そうだな。叔母上のところへ行けば、また良いことがあるかもしれぬ」
こうしてヤマトタケルの軍勢は伊勢へと向かった。
大和軍は伊勢に入り、大御神宮を目指す。樹齢何年になるか判らない大木がそびえ立つ中を進んでいく。空気は澄んでおり、なにか言いしれぬ厳かさの土地である。
大和の兵士たちも、なにか感じとっているのか皆口をつぐんでいる。だが嫌な感じではなく、一歩一歩すすむごとに心が洗われるようなのだ。まさに聖地と呼ぶにふさわしい場所である。
ようやく到着し、甥をかわいがるヤマトヒメに会うと、ヤマトタケルは元気を取りもどした。東方征伐をなして、今度こそ父たる天皇に認めてもらいたいと張りきりだしたのだ。
そんなようすにホッとすると、オトタチバナはヤマトヒメと二人で話す機会をもった。彼女にとっては、これからが本番。伊勢にきた真の目的をはたさねばならなかった。
「ヤマトヒメ様。おりいってお話しがあります」
オトタチバナの真剣な表情に、ヤマトヒメは姿勢をただした。
「なんでしょう?」
「この大御神宮に安置されている霊剣を夫にさずけてください」
「霊剣・・・まさか、三種の神器を持ちだすつもりですか!」
三種の神器とは、天皇家に伝わる 鏡・勾玉・剣の三点。天皇の祖先が天照大御神から下賜された、この国を治めるあかしである。
思わず声を張りあげたヤマトヒメに、オトタチバナはふかぶかと頭を下げました。
「帝が夫に命じた東征は、大和に従わぬ人を討伐するだけではありません。山河の荒ぶる神々をも平定することもふくまれます」
確かにヤマトタケルの武勇は人の身にあっては、この上ないであろう。だが、神々を相手すれば うまくいくとは限らない。命を落とすかもしれないのだ。
だが神器があれば、荒ぶる神々のわざわいから逃れることができるかもしれない。
これがオトタチバナが考えた夫を守る策である。
「わかりました。霊剣をあずけましょう」
本当はこの神宮で保管すべき剣である。貸せといわれて貸せるものではない。しかし、しぶしぶであったがヤマトヒメは甥のために霊剣をわたすことを決めた。
ヤマトタケル一行は伊勢で数日過ごした。その間にヤマトヒメより正式に霊剣を譲り受け、出発することとなった。
「任務も大切ですが、自分の身も大切にせねばなりません」
「わかっております」
別れぎわ、ヤマトヒメはたいへん心配そうにしたので、ヤマトタケルはなだめるのに苦労した。必ずまた戻ってくると約束してようやく出発させてもらうのであったが、東方平定する前に疲れてしまうと罰あたりにも内心で思ったほどであった。
「ヤマトヒメ様から、なにかをいただいていたようですが?」
「ああ、これか」
オトタチバナに尋ねられると、ヤマトタケルは 先ほどヤマトヒメからもらった小さな袋を取りだした。軽く振ってみると、カツカツ音がする。
袋のひもを解いて中を覗くと
「なんだこれは?」
拍子抜けしたような声をだして、ヤマトタケルが中身を取りだすと、石が出てきた。
「石・・・だよな?」
要領を得ない彼にオトタチバナが言った。
「それは、火打石ですね」
「火打石?」
「火は古くから悪霊を焼き払うといわれ、石は長く同じ姿を保つことから長寿や健康を現します。東方の荒くれ者どもを討ちたおし、あなたの身体も無事であるように、というヤマトヒメ様のはからいでしょう」
「なるほど」
納得するとヤマトタケルはそれを大切そうに袋の中にもどし、もう一度ふところの中におさめた。
「お守りとして大切にせねばなりませんね」
「そうだな」
ヤマトタケルの東征が、いよいよ始まる。