10 伊吹山の白猪
ついにこの時が来た。エヒメは確信した。
「今こそヤマトタケルを打倒する時です」
護り人であるオトタチバナも、加護を与えてきた霊剣も彼にはない。今のヤマトタケルは裸同然である。
「よいですか。ヤマトタケルを伊吹山に誘導するのです!」
エヒメはここぞとばかり配下に命令を下した。彼らは大和軍の進むであろう村々で、伊吹山の荒ぶる神について大いに噂をたてた。ヤマトタケルは道中そのことを聞くと、
「よし。私が討ち倒して、その地を平定してみせよう」
そう言って、伊吹山に向かった。
だが、兵士の中には、その行動を不安に思うものもあり、
「いま御子さまには霊剣がありません。ここの荒ぶる神と会うのは後日にしてはいかがでしょう」
「なにを言う。剣がなければ私は戦えないというのか!」
「いえ、そうではありませ。いちど大和国へ戻り、帝へこの度の遠征の報告するのが先ではないでしょうか?」
やんわり今回の戦いを見送るように言ってみる。
だがヤマトタケルは自らの武勇に自信があった。これまで熊曾建兄弟・出雲建・東方のならず者や荒ぶる神とやりあてきた実績からくる自信である。
「帝に報告しなければならぬからこそだ。たとえ東征を成功させても、大和からこれほど近くにいる荒ぶる神を放置したのでは、汚点となりかねない」
そう言って、周囲の者たちを説得した。
「なに、いざとなれば山の神など私が素手でも倒してみせるさ」
こうして大和軍は伊吹山へと向かう。兵士たちも自分たちの主がここまで自信満々ではっきりと言うのならば大丈夫だろうと思った。彼らもこれまでヤマトタケルの活躍を見続けてきたのだ、今回もいけるだろうと自然に思った。
伊吹山の麓に到着すると、ヤマトタケルは自ら先頭に立って山を登りはじめた。
しばらくすると、ガサっと森の奥から大きな音が響いた。一行は何ごとかと身構える。
すると大きな足音が近づいてきた。
「何ごとでしょうか?」
「何かやって来るぞ!」
「山の神でしょうか?」
「いや、山頂にはまだ遠い。ここは麓だぞ」
そうして現れたのは真っ白で巨大な猪だった。通常の猪よりはるかに大きい、大きな牛ぐらいの巨体だった。
「ヤマトタケル様! これは・・・」
「神の使いであろう。さしずめ、さっさと帰れといったところかな?」
実際そのとおりであろう。その猪は彼らの進行方向に立ちふさがったのだから。
「猪よ、どくがよい。我らは山の神を討伐に来たのだ! そなたに用はない。どうしてもというのなら、今殺さなくても帰るときに殺してやろう!」
ヤマトタケルは言い放った。
ーー痴れ者め! 我が姿を見て引き返すなら見逃してやったものを
そう聞こえるやいなや、白猪の瞳がカッと光った。
空がざわめく。そして、そばの木になにかがぶつかる大きな音がすると同時にその木はへし折れていた。見るとそばに人の頭ほどのものがころがっている。
「これは、氷か!」
誰かが叫んだ。
ーー我が聖域を侵すだけでも許しがたいのに、暴言まで吐くとは・・・神罰を受けるがよい!
空から無数の巨大な氷が降ってきた。木々を倒し、兵士たちもふき飛ばす。
「お前が山の神であったか!」
ヤマトタケルは叫んで、立ち向かおうとした。だが多くの氷が彼に集中して降りかかり行く手を阻む。いかに武勇にすぐれた者にもどうしようもない事がある。
頭を体を腕を脚を打ちのめされ、ヤマトタケルは気を失ってしまった。
「ああ、御子さまが・・・」「ヤマトタケル様がやられてしまったぞ!」
なんとか無事な兵士たちはヤマトタケルを担いで、その場から逃げ出した。
その状況を遠方からうかがっていた女がいた。
「ついに、ついにやったわ!」
エヒメは歓喜していた。長い時間をかけ、手間をかけ、知恵をしぼり、ついに彼女がヤマトタケルを倒した瞬間だった。




