9 罠
オトタチバナの陵を訪れている二人の女がいた。
エヒメとオトヒメである。
「ヤマトタケル様は生きています。海峡の神とやらは役に立ちませんでした」
そう言ったのはオトヒメである。平坦な声だった。
姉の美貌を、若さを奪っていったにもかかわらず、契約を果たさなかったどうしようもない神とでも思っているのかもしれない。
「でも、オトタチバナ様が亡くなりました。ヤマトタケルを護る慧眼の主が消えたのは大きいです」
エヒメは予定通りだとでもいうように余裕がある。実際、彼女は仇を討つ算段ができているのだ。
「行きますよ。オトヒメ」
「・・・はい」
二人は尾張に舞い戻った。そこで東征の様子を下僕たちを使って調べながら、次なる謀略の打ち合わせをする。
「オトヒメ。またミヤズヒメのもとへ行ってください」
そこでエヒメはオトタチバナでさえ見破れなかった最後の仕掛けを発動する。
最後の仕掛けーーミヤズヒメ、である。
オトタチバナの本来の慧眼ならば、ミヤズヒメを不審に思いヤマトタケルから理由をつけ遠ざけるか、暗殺するぐらいはしておけたはずである。だが彼女はミヤズヒメに対してだけは嫉妬で冷静にいられなかった。作略の基点をミヤズヒメという女に設定したエヒメの勝ちである。
「おひさしぶりです。オトヒメ様」
「今日は良い報せを持ってまいりました」
「まあ、何かしら?」
ヤマトタケルが東国をことごとく平定し帰路についたことをオトヒメが伝えると、ミヤズヒメはとても喜んだ。二人でヤマトタケルの活躍話でたいそう盛りあがった。
だが、オトヒメがふと何かに気づいたように、ミヤズヒメに質問した。
「結婚されたら、どちらにお住まいになるのかしら?」
大和と尾張、どちらに住むのかたずねた。そうするとミヤズヒメの顔が曇った。
「そのことも含めて心配ごとがあるのです」
ミヤズヒメは言う。尾張にヤマトタケルが帰ってきて結婚しても、この東征は天皇の御命令によるものだから、いったん大和にすぐにも戻り復命せねばならない。
だがヤマトタケルは復命後、尾張に戻って来てくれるのだろうか? あるいは、自分を大和へ呼び寄せてくれるのだろうか? はなはだ心配であると打ち明けた。
「それならば、ひとつ良い思案があります」
オトヒメはミヤズヒメに入れ知恵するのだった。エヒメに言われた通りに・・・
ヤマトタケルが帰還すると尾張国あげてのお祝いとなった。そして以前からの約束どおり、ミヤズヒメとの結婚が行われた。
だが、しばらくするとヤマトタケルは大和国の天皇に報告のため、再び旅立つこととなった。その時、ミヤズヒメはヤマトタケルに願い出た。
「霊剣を私にお預け下さい」
「え?」
ミヤズヒメは正直にヤマトタケルに訴えた。結婚したものの男は国もとに戻るとそのまま女を放置してしまうことが頻繁にある。
ヤマトタケルがそのようなことをするとは思えないが、それでも心配である。天皇に復命した後、自分を大和に呼びよせてくれた時にいっしょに霊剣を持っていくので、しばらく霊剣を預けてほしい。自分を捨ててしまうことはないという証がほしいのだと、痛切に訴えた。
「しかし、この霊剣は・・・」
ヤマトタケルとしてもミヤズヒメの心配が理解できないわけではなかった。彼が思ったのは、オトタチバナが霊剣を決して手離すなと言ったことだ。彼女が死の間際に言った願いを無にすることは、さすがのヤマトタケルにもためらわれた。
ヤマトタケルがちゅうちょしている様をみると、ミヤズヒメはみるみるうちに青ざめた。
「そんな・・・私をお捨てになるつもりだったのですか?」
そう言って泣き出してしまった。
そうではないとヤマトタケルはなだめようとするが、ミヤズヒメの嘆きは深まるばかりである。
困ったヤマトタケルは自分に言い訳した。
(一時的にミヤズヒメに預けるだけだ。すぐに返してもらうのだから、決してオトタチバナの言いつけを破るわけではない)
それに加え、オトタチバナを失った彼は、代わりにミヤズヒメを大事にしてやりたいという想いが大きくなっていた。
「ミヤズヒメ、泣き止んでくれ。霊剣はそなたに一時預けることにするから・・・」
「本当ですか?」
「ああ」
ヤマトタケルがうなずくと、ミヤズヒメはホッとした。
大切な三種の神器を預けてくれるのだから、自分が捨てられることはないし、信頼してもらっていることを確信したからだ。
(オトヒメ様の助言のとおりにして良かった)
そう思った。
そして、ヤマトタケル一行は霊剣を尾張に置いたまま大和国へと出発した。
エヒメは見事に、ヤマトタケルから霊剣を奪い取ったのだ。




