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薄ら氷の下で揺蕩う椿に

 国王の駒である限り、普通の人が見る夢は見られない。

 いずれたどり着くのは一つの未来。

 もし夢を見たとしても、叶えようとする前に閉ざされる。叶える前にこの世界から消えていくだろう。

 普通の女の子として生きていけないこと。

 この家系に生まれて、運命として受け止めた。

 だから、大丈夫だと思っていた。

 もう一つ諦めるものが出来ても、受け止められると思っていた。

 どうしても上手くいかないことがあるってこと、彼に出会うまでずっと知らなかった。


 *


 翌日、早朝から行われている会議にセシルはもちろん呼ばれなかった。

 代わりに国王が直々に参加していると、一端部屋に戻ってきたメルヴィスに教えられた。


「しきりにメアリ姫を薦めていたようだが」


 国王は知っていたのだろうか。訪れるリィエストの使者が弟殿下であることを。

 セシルはメルヴィスの話を聞きながら考える。

 わざわざ自分をレーヴィンにつけた理由。

 ただの気まぐれだと思っていたが、違ったようだ。忠告、か。


「それで、レーヴィン殿は?」

「是非妹姫ではなく姉姫が欲しいと」


 セシルは俯けていた顔を勢いよく上げた。

 視線の先のメルヴィスは呆れたようにため息をついている。この発言にはメルヴィスも困り果てているらしい。

 世間では姫はメアリしかいないことになっている。レーヴィンも理解しているはずだ。

 それを正式ではないとはいえ、アナタシアの官僚が集まる会議で発言するなんて。無礼にも程がある。


「……陛下は」

「さぁ。聞いたのは扉越しだったからな。ただ周りは騒然としていたな」


 それはそうだろう。官僚に例外はいない。彼らの中の後継はメアリのみ。

 彼女の婿にどうやって自分の息子を推そうか考えているような人ばかりだ。そこにメアリの姉がいたとする。

 後継は当然その姉に移り、今まで立ててきた計画が台無しになってしまう。

 騒然となるのもわかる。

 ……国王は認めたのだろうか。いや、きっと笑い飛ばしただろう。

 国王にとって姉姫は卑しい者。認知したことを後悔するほど忌み嫌う存在だ。認めるはずがない。

 認められても困る。今までそうやって生かされてきたのだから。


「わかるのは、殿下は本気だということだけだ」


 メルヴィスは哀れみをセシルに向ける。

 それが何を表すのかわからないセシルはその視線を逸らせない。

 メルヴィスは一度目を細めると、ためらいがちに口を開いた。


「……この国を追放させてでも、あなたを手に入れるだろうな」

「ふん、それは杞憂だろうね。私にそれほど固執する意味がない」

「本当の殿下を見てないから言えること」


 本当のレーヴィン。知るはずがない。

 今まで表に出てこなかった弟王子の噂は当然こちらに届かない。本当の姿どころか、仮の姿さえわからない。

 それはセシルも同じ。姫として扱われていた頃も部屋から出ることは禁じられていた。世話人以外誰も存在を知らない。

 そう、知らないはずなのだ。零に等しいことを彼は知っていた。

 決して外に漏らされなかった事実を、簡単に口にした。


「レーヴィン殿はどうやって私を知ったんだろうな……」


 目の前の従者は何も答えない。そこまでは彼も知らないようだ。

 ただいつの間にか知っていて、少し前から手に入れようとしていたらしいことを聞かされた。

 怖い。

 そう純粋に思った。

 もちろん漏れ口が全くないということはない。何処かしらで綻びがあって、そこから漏れたのだろう。

 だがそれも確信のないまま広がったはずだ。

 なのに彼は架空の姫を手に入れようとした。今手に入れようとしている。


「私は……どうなるんだろうな」


 答えは返ってこない。

 ただその沈黙が唯一の優しさだとでもいうように、二人は口を閉ざし続けた。


 *


 そのまま時が過ぎて、メルヴィスは何も言わず部屋を後にした。

 そろそろ会議も終わる時間だ。どれほど黙ったままでいたのだろう。

 一通り部屋を見渡した後、セシルもその部屋を出た。

 隣の扉を開き、本来女官がいるべき部屋に入る。

 何をしていたのだろう。

 主のいない部屋でいることは許されない。一刻も早くここに戻ってくるべきだった。

 それなのに、あの場所に留まった。


「どうかしてるな」


 今まででは考えられない行動に自分でも戸惑う。

 ソファに深く身を沈め、きつく目を閉じた。

 逃げたいと今も何処かで思っているのだろうか。

 男装と勉学を始めた頃、一度だけ逃げ出したことを思い出す。この境遇を受け止められなかった幼い自分は、逃げ出したい気持ちを押さえられなかった。

 ほんの少し前まで閉じ込められていたとは言え、王族としての生活はそれなりに保障されていたのだ。

 なのに、メアリと会うことさえも禁じられて。世話人も全て外され、突然男として生活するように命を受けた。

 戸惑うのも以前の生活に戻りたいと願うのも当然のこと。用意された家庭教師の目を盗んで、部屋を飛び出した。

 城の勝手を知らないまま飛び出したセシルはすぐに捕らえられた。その後のことははっきり覚えていない。

 ただ、もう逃げられないんだと諦めた。

 これを受け止めるしかないのだと理解した。


「誰が勝手に帰っていいと言った?」


 誰もいないはずの部屋に声が響いて、セシルはそっと目を開けた。

 目の前にはレーヴィンが腕を組んでセシルを見下ろしていた。


「……申し訳ありません。何も用事がなさそうだったので」

「当たり前だ。セシル姫にさせる用などない」


 姫じゃない。

 その反論はもう出てこなかった。言っても無駄だ。

 レーヴィンの中ではもう姫としての地位が確立している。どんなにもがいても、それが消えることはないだろう。

 諦める。

 それが昔の自分だけでなく、今現在の自分にも未来の自分にも一番賢明なことだ。


「部屋に行こう。ここは寒すぎる」

「し、失礼しました。早くお戻りに……」

「セシル姫も来るんだよ」


 レーヴィンは笑った。

 何かを企んでいるようなそれにいささか不安を感じながらも、セシルは立ち上がり彼に続く。

 パタンと背後で閉ざされた扉に、もう何処にも戻れないような気がした。


 *


「こ……これを着ろと仰るのですか?」

「あぁ、拒否は受け付けないからね」


 レーヴィンに手渡されたものに思わず見入ってしまう。

 凛と咲く冬の花の色。裾に縫いつけられたレースは少し控えめ。

 久しく感じていなかった手触りに、セシルは戸惑いを隠せない。

 差し出されたのは、一着のドレスだった。軽く広がりの少ないそれはセシルに配慮したものらしい。

 落ち着いたシルエットにそんなものを感じさせられ、セシルは助けを求めるようにレーヴィンを見た。


「何故、こんなものを」

「今日舞踏会を開いてくださるそうだ。一緒に参加してもらうからね」


 早く着替えてきて、と部屋の隅に追い立てられる。

 目の前には小さな扉。その先に湯浴みに使われる部屋がある。

 振り返るとレーヴィンも着替えを始めていて、セシルはそこに逃げ込むしかなかった。

 心を落ち着かせて、もう一度ドレスを見つめる。

 偶然か必然かサイズも着られないサイズではなさそうだ。

 それを理由に断ることは出来ない。

 ……着るか、着まいか。懐かしい気持ちはある。

 男になりきろうとしても、いつも何処かで羨んでいた。必死に押さえて無表情でいるようにしていたけれど。


「着て、みるか?」


 着られるのだろうか。

 色々な意味合いで自分に尋ねてみる。

 もし国王に見つかれば……その次に起こりうることは目に見えている。

 その危険を冒してでも、着ようと思うのだろうか。


「……もう、潮時か」


 このドレスが汚れなければいい。

 この花の色よりも黒い色で染まらなければいい。

 そんな無謀な願いを祈りながら、セシルはボタンに手をかけた。


 *


 久々に着た感想はあまりいいものではなかった。

 足下まで裾があると言えども風が通るので何処か心細い。ストールをかけてくれた肩もやはりそうだった。


「似合ってるけど……寒そうだね」

「寒くはありません。風が気持ち悪いだけです」

「そう」


 満足そうに微笑んだ彼はセシルに腕を差し出す。

 セシルは戸惑いながらもそっと手を伸ばした。恐る恐る腕に触れると、ぐっと引っ張られて無理矢理絡めさせられる。

 顔を上げれば一層笑みを深くしたレーヴィン。


「行こう。……大丈夫だから」


 ……何が大丈夫なのか。

 セシルはレーヴィンに頷きながら思う。

 彼は知っているのだろうか。これから起こることに気付いているのだろうか。


"リィエストとの繋がりが欲しくないか"


 昨日のレーヴィンの言葉が蘇る。

 具体的なことは聞いても教えてもらえなかったが、レーヴィンも彼なりに何か行動を起こそうとしているのだろうか。この小さな大舞台で。


「……怖いか?」

「少し。でも、大丈夫です」


 後悔しているのか、心配そうに覗き込むレーヴィンに小さく笑みを漏らす。

 少し驚いたようだったが、すぐに彼も微笑みを返した。

 いつか諦めた怖さが身体中を走っていく。

 少しなんて全くの嘘。怖い。とても怖い。

 それでも、最後は笑っていようと思った。他でもない、彼の隣で。


 *


 予想通りのざわめきに怖じけないよう、しっかりと前を見据えて歩を進める。

 服装は違えど、顔は同じ。髪は結わずにおろしているが、すぐにあのセシルだとわかるだろう。

 いつ国王の耳にこの騒ぎが伝わるのか。それはあとどれだけセシルがここにいられるのかにも繋がってくる。


「一応は女なんだな。手が震えてる」

「少し肌寒いだけです」


 緊張を解そうとしてくれているのか、レーヴィンは度々セシルに声をかけてきた。

 その半分がからかいなので、素直にありがたく思えない。捻くれているのはどちらか。いや、どちらもか。

 近くにいたボーイからグラスを受け取り、ゆっくりと中身を口の中に流し込む。

 異常なほど喉が渇く。レーヴィンの指摘通り手が震えていて、なんだか可笑しくなる。

 ……弱い。しっかりしなくてはここを乗り越えることは出来ない。

 もっと、強くなりたい。


「そろそろ宴の始まりだ」


 レーヴィンの言葉にセシルは顔を上げる。

 彼の視線を追えば、大広間の扉がゆっくりと開かれるのが見えた。


 *


 ざわめきが一瞬にして消える。……終わりが近づく。

 国王と交わした契りを破ること。それは一つの答えしか導かない。


「覚悟は出来てる」

「……そう」


 独り言に答えが返ってきて、そして離れた。

 目の前に作られた道の先にあの姿が見える。その顔が歪んだのを見て、思わず笑みが零れた。


「どういうことだ、セシル」


 明らかに怒りを含んだ声。それに返事はしなかった。

 ますます顔を歪める国王の次の言葉が予想できる。発せられるのはただ一言。


「──やれ」


 国王の傍に控えていた兵士が剣を抜く。その先がセシルに向けられたとき、その視界が遮られた。

 色あせた白。表に出ていないと言っていたが、正装をまとって外に出ることはあったらしい。新品ではないそれがそう語っている。

 セシルをかばう背中は思っていたよりも広かった。


「レーヴィン殿下、そこをお退き下さい」

「断る、と言えば?」

「これはアナタシアの問題です。リィエストの王子殿下には関係のないこと。……従者殿、早く主を安全な場所へ移動させなさい。今ならその無礼を許そう」


 国王は後ろに控えたままのメルヴィスに顎で指図した。

 当然背後の気配は動かない。目の前の背中も動かない。


「レーヴィン殿下!」


 耳にざわめきが響く。

 守られている。たとえレーヴィンが弟王子でなかったとしても、リィエストはアナタシアよりも遙かに大きな国だ。下手に傷つければ、アナタシアの存命にも関わる。

 それを知っていて、自分の盾となっている。


「早く退けっ。おい、退かせろ」


 その一声に壁際に控えていた兵士が動き出す。

 さっと見た限りでは二十人程度。全員ではないあたり、最初からそういう命令が行き渡っていたらしい。

 ということは、この茶番も見抜かれていたということ。


「……レーヴィン殿」

「何だ、セシル」

「一つだけ、お願いを聞いていただけませんか」


 見抜かれていたなら、こちらも出方を変えればいい。

 少なくともレーヴィンの計画を崩し、主導を自分に移せば。


「そこを、お退き下さい」


 振り返るレーヴィンと視線が交わる。

 彼の目に揺れるのは、鮮やかな椿色。その下に揺れるものをまだ知らない。

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