ねぇ?・・・・妖怪と暮らしてみる気はない?
「ねぇ? ……妖怪と暮らしてみる気はない? 」
彼女の声は澄んだ鈴の音色のようで、耳に心地良いのだが、いつもと少し違う音色が混じっていた。
こちらを試すような……なにかに期待するような、楽しげで悪戯めいた含み笑い。
暖かい春の日差しの中。
死んだ爺さんから譲られた家の庭。
見事に咲き誇る桜の木の下で。
舞い散る花びらと戯れるように、銀色の髪が踊っている。
運良く年末の高額宝くじが当たり、これ幸いとばかりに生来怠け者の俺は、さっさと退職を願い出た。
そんな俺だから元々勤務態度も良くはなく、障害もなく受理され、1ヶ月後にはめでたく退職となった。
2年ほど前に両親を交通事故で亡くし、親類関係との付き合いも疎かな俺にとって、唯一の仲の良い親類の爺さんの訃報が届いたのはそんな頃だった。
親類縁者一同には、頑固で偏屈な変わり者として認識され距離を置かれていた爺さんは、片田舎のそこそこ大きい家でのんびり独りで暮らしている。……と、親類は皆思っているのだが、実は血縁では無い1人の同居者が居るのは、爺さんの住んでいる村の人達以外では、俺だけが知っていることだった。
その同居者から泣きながら携帯に連絡があったのは、まだ日が昇るかどうかという時刻だった。
親類へ連絡を回した後、最低限の荷物を持って始発の電車に飛び乗り、爺さんの家へ向かった。
途中、乗り換え駅で少し時間が空いたのを利用して、某アイスクリーム屋にて数種類買い求めた。
かなり前に爺さんの家に行ったおり、同居者をかなり怒らせる悪戯をしてしまったことがあったのだが、
許してもらう代わりに爺さんの家に寄る時は、必ずこの店のアイスクリームを買っていくと約束していた。
今回に限り、それどころでは無いだろうと考えていたが、涙ながらの携帯越しの声を思い出し、少しでも慰めになるかと思い直したので、いつも通り……いや、いつもより多めに購入して持っていく事にした。
出迎えてくれた爺さんの同居者は、俺を見るなり泣きながら縋り付いてきた。余程心細かったのだろうと、背中を撫でつつ少し落ち着くまで待った後、親類達が来る前にと、当面の着替えなどの荷物を持たせ、離れに身を隠させてから、母屋の同居者の部屋には鍵を掛けた。
離れとは言えほぼ一軒家のようなもので、風呂もトイレも台所もあるので、当面篭っていたとして不自由は余りないだろう。そもそも気軽に人前に出られない容姿の同居者の為に、親類やら友人やらの事情を知らない人間が訪問する時に、同居者を匿う目的で爺さんが建てたものだから、不自由が少なくされているのも当然と言えば当然だろう。
この離れは母屋からは少しばかり遠いうえに、周りを林が囲んでいる為目立たない。そのうえ外観は納屋か物置といった風情で、実際誰かが爺さんの家を訪れた時、聞かれれば物置と説明している。もともと爺さんの家に来る親類など多くは無いし、離れを外から見るかぎり窓には眼張りがされているうえ、入り口には鍵が掛かっているので疑う者も居なかった。
特に子供達には、中には危険な物もあるから絶対入るなと言いつけていた。にも関わらず12年程前、唯一爺さんに気に入られていた遠縁の子供が遊びに来ていた時、この家の近所の女の子と探検ごっこと称して勝手に離れに潜り込み、隠れていた子供と鉢合わせ泣かせてしまって大騒ぎ。そんな事件があった。
ただまぁ、そのおかげで隠れていた子供には、同年代の友達が2人もできたのだし、ほどなく村の中ならば容姿を気にせず出歩けるようになったのだから、その悪ガキのドッキリイベントは、けっして悪いことをしたのでは無かったのだと……12年も経った今さらに自己弁護をしてみたりした。
連絡は俺にだけで、村の人達には伝えていないと言う同居者の言葉を聞いて、まずは村の方々に、爺さんが亡くなったと伝えに行った。
程なく村の人達は集まり始め、同居者の姿が見えないことを聞かれたが、親類対策の為に一時避難してもらっていると答えると、すぐに納得してくれた。
俺が到着してから、かなりの時間が過ぎたのだが、肝心の親類縁者が1人として姿を見せない。と思っている矢先に俺の携帯に連絡が入った。
「代表が1人行くから、葬儀の手配その他は、そちらでよろしく。」といった内容だった。
頑固で偏屈で嫌われていたとはいえ、これは余りにもやるせない。さすがに腹が立って携帯越しに食って掛かったのだが、全て生前の爺さんが仕組んだことだと言われた。
爺さんの家の周りには、結構広い爺さん名義の土地があることは知っていたが、それらを売り払い、かなりの大金を用意したうえで、知り合いの弁護士と一緒に親戚中を回って、遺産として渡していたらしい。
自分の死後、受け取った金銭以外は一切を求めない。残った家屋敷と離れ、それらの建っている土地等は、俺に遺すという事を、弁護士立会いのもとで法的に有効な書類に署名させたとのことだった。
そして葬儀は俺と村の人達に頼んでおくので、親戚一同誰も来なくていいと伝えていたそうだ。
むしろ代表1人とはいえ来てくれるのは、親戚側も、さすがに誰も出ないのはどうかと、……しかし、ある意味遺言でもあるわけだし……では、せめて1人くらい……ということらしかった。
頑固で偏屈で人嫌いも、ここまでとなると呆れていいのか尊敬に値するのか……そんな益体も無い事を考えているうちに、親戚が来ないのならば同居者の隠れている理由が無くなることに気が付いた。村の人達は例のドッキリがきっかけとなり、同居者の正体は知っているし、知っていて気さくに付き合ってくれている。
とりあえず、すでに来ていた村長さんに事の次第を伝えると、すぐに村の主だった人達を集めて今後の手配を始め、後は任せてくれていいと言ってくれた。
親戚は遠ざけまくっていた爺さんも、村の人達とは円滑な関係を築いていたのか、もしくは屈託無く明るい性格の同居者のおかげかも知れない。
村長さんに感謝を述べて離れへ向かう。隠れていた同居者に、その事を伝えると知っていたと言う。
……では、なぜ大人しく隠れたのかと聞いたところ、
「……あっ」
短い言葉と共に、わざとらしく目を反らされた。……忘れていたのだろうな。同居者は昔から少々うっかりなところがある。だがまぁ、爺さんが死んだばかりで動転していたか、そこまで気が回らなかったんだろうと……そういう事にしておいた。
泣き疲れたような赤い目元が痛々しいが、隠れてる間に土産のアイスをちゃっかり食い尽くしているあたり意外と元気かも知れない。いや、アイス効果で少しは気が紛れたのかも知れない。ならば持って来た甲斐もあるとして、俺の分まで食べてしまったことは追求しないでおいた。
親戚代表がいつ来るかわからないので、念のために髪と耳を隠す帽子と、瞳を隠すためのサングラスを持たせてから離れから連れ出してきた。知らない人間がぞろぞろ来るならともかく、代表者1人だけなのだから、これで村の人達に混じっていれば十分誤魔化せるだろう。
この子を爺さんの葬儀に、どうやって出させてやろうかと悩んでいたので、憂いが1つ減ってくれたことに安堵した。
離れから出てきた同居者に、村の人々が心配そうに寄って行き、それぞれに慰めるなりお悔やみをあげるなりしていた。特に同い年の親友たる少女は、同居者を抱きしめるようにして髪を優しく撫でつつ慰めていた。
ひと通り村の人達との挨拶が済むと、爺さんの傍に正座して陣取り、じっと顔を覗き込むようにしたまま動かなくなった。
悲しみに沈みながらも、愛しい家族を見守るような、この上なく優しい眼差しを、身動ぎひとつしないまま物言わぬ爺さんに注いでいた。村の人達は邪魔をしないよう、少しだけ離れた位置に座り見守っていた。
日も西にだいぶ傾いた頃に、代表者1名が到着した。
俺には見覚えの無いお婆さんだったが、聞けば死んだ爺さんとは親しくしていたらしい。しかも同居者の事を知っていた。親族の中では、俺しか知らないと思っていたので、これには本当に驚いた。同居者本人すら、お婆さんが時々遊びに来ることは知っていたが、自分の事を知っているとは思っていなかったそうだ。
亡くなった爺さんから同居者の話は聞いていたが、怖がらせてしまうことのないように会える機会を探していたのだと言う。初めて目の当たりにした同居者を、孫でも見るような優しい瞳で見つめながら、
「こんな時だけれど、やっと会うことができてうれしいわ」と、その手を取りながら微笑んでいた。
そう言ってくれたお婆さんを前に、同居者は唐突に啜り泣き始めた。
村の人達や俺、死んだ爺さん以外の人間と接点が無く、むしろ人目を避ける生活を余儀なくされてきた為、初めて会った人に受け入れて貰ったのが嬉しかったようだ。泣きだしてしまった同居者を、お婆さんは優しく抱きしめ背中をゆっくり撫でながら、耳元でなにか語りかけ、同居者もそれに逐一うなずいていたが、なにを言っていたかは俺には聞き取れなかった。
お婆さんは、同居者が落ち着いてから村の人達への挨拶も済ませ、横たわる爺さんの傍に座り、何事か語り掛けているようだった。隣に同居者も先と同じように座り、お婆さんと爺さんの語らいに耳を傾けている中、俺のところへ村長さんがやってきて、今後の予定が決まったことを教えてくれた。
村長さんと今後の事を話していると、葬儀屋の人達がやってきた。村長さん達が手配してくれたのだろう。同居者は慌てて隠れて、隅の方で帽子とサングラスを身に着けていた。
軽い挨拶とお悔やみ等聞いた後、喪主は誰かと聞かれた。
俺は直接の血縁では無い。爺さんと呼んではいても孫ではないのだ。親類代表のお婆さんも血筋からすれば遠縁だそうだ。だが親族はこの2人しか居ないため、自然の成行きで年長者の方でとなり、お婆さんに決まりそうだったが、そこで横から口を挟ませてもらった。
「爺さんの孫娘に、やらせてやりたい」
俺の言葉を聞いて、一同揃って不思議そうな顔をしていたが、すぐにそれが誰を指すのか気付いたようだ。そうなれば誰も反対するはずもなく、速やかに喪主が決まった。隅できょとんとしていた同居者を、葬儀屋の前へ引っ張ってくる。帽子とサングラスは、「ちょっと変わった病気」の為に外せないと断っておいた。
ようやく孫娘というのが自分の事だと気づき、自分は血縁ではないからとか言い出したので、
「血の繋がりなんか気にするな。
爺さんにとって、おまえ以上の孫娘なんて、どこを探したって居ないんだから」
ずっと以前から思っていたことを、そのまま言葉にした。……いきなりすがり付かれて泣かれた。
なぜ泣く!?俺、おかしなこと言ったか?!
度々爺さんの家に遊びに来ていた俺は、同居者とは幼なじみと言ってもいいくらいの、お互い気安い仲ではあるが、泣かれるとどうしていいか分からないのは、子供の頃から変わらない。宥めるのに苦労した。
その間、周りの皆さんは俺達を見守っていただけだった。正直、助けて欲しかった。
葬儀屋の方々は、さすがにプロであり速やかに準備を整えた。
村長さん含む村の重鎮と、親族の俺とお婆さん。喪主たる「同居者」改め「孫娘」が揃ったところで、通夜やら葬儀やらの、ひと通りの説明と相談が終わったところで、その日は解散となった。
お婆さんは、そのままこの家へ泊まってもらうことにした。俺もそうだし、孫娘のことを知っているなら、なんの問題もなかった。
翌日に通夜が、翌々日に葬儀が執り行われた。
この間は特に語ることも無い。むしろ記憶が無い。
葬儀屋やら村長さんやら達の言う通りに、慌しく動き回っていたら終わっていた。
ただ1つ。泣き崩れることもなく、立派に喪主を務めていた孫娘の姿だけが、やけに印象に残っている。
その後は、遺された土地家屋を、爺さんの知り合いだという弁護士さんの手を借りつつ、相続の為の面倒な諸々の手続きしたり、相続税やら葬儀代やらと諸々の出費があったり、いろいろ手伝ってくれた村長さん初め村の人達に、孫娘とお婆さんと一緒に御礼をして回ったり……
生前の爺さんが、土地を売った金の一部を自分の葬儀代等に当てる為に、孫娘に預けてくれていたが、年末に大当たりした宝くじの額にしてみれば、どうということのない物だったので、それはそのまま孫娘に持たせておいた。
爺さんがお前に遺したものだから、自由に使ってもいいとは言っておいたが、きっと大事に取っておくんだろうなと思った。
お婆さんはしばらく滞在して、塞ぎこみがちだった孫娘の相手をしてくれていた。俺のもう1人の幼なじみであり、孫娘の親友の少女も頻繁に様子を見に来てくれて、女3人でとても和気藹々と過ごしていた。爺さんを亡くしたばかりの、まだ17歳の少女には良い気晴らし相手であり、良い相談相手でもあったようだった。
孫娘が、俺が思っていたより早く元気になってくれたのは、お婆さんと親友のおかげなのは間違いなく。
俺も深く感謝している。
笑顔の増えた孫娘を、もう大丈夫と見計らったのか、先日盛大に惜しまれつつ、また遊びに来ると約束して帰っていった。
慌しい日々が過ぎて……
爺さんの家……俺の物となった家には、俺と爺さんの孫娘が残っている。
すでに春、桜の花も咲く季節となっており、縁側から庭の桜を見上げながら、ここしばらくの忙しい日々を思い返しているうちに、暮らしていたアパートの部屋が、飛び出して来た日のままに、放置してしまっていたことに今更ながらに気付く。頃合かと考えつつ、サンダルを突っかけて縁側から庭に降りる。
そこからほんの数歩先、桜の木の真下、その花を眩しそうに見上げている爺さんの孫娘に、縁側から降りた場所から声を掛けた。
「明日、帰ろうと思う」
そう簡潔に用件だけ伝えた。
その言葉は聞こえたはずなのに、彼女は桜を見上げたままで振り向くことすらせずに居た。
俺は言葉を続けず、答えを催促するでもなく、そのまま彼女の方を見ながら待った。
「ねぇ? ……妖怪と暮らしてみる気はない? 」
くるりと体ごと振り返りながら、名前の通りの澄んだ鈴の音色を思わせる声で、彼女はそう返してくる。
満開の桜の下、春のそよ風に乗った桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちていく。
彼女の腰の下まで届く長い髪は風に乗り、ふわふわと桜の花びらと戯れるように踊っている。
桜の色に解けて消えてしまいそうな薄い銀色の髪。
しかし解けて消えずに、春の日差しを弾いて銀糸のごとく煌いている。
それを軽く左手で押さえ、少し首を傾げるような仕草のまま、見る角度によって色を変える虹彩の瞳は、
面白がるような微笑みを湛えたままに、まっすぐに俺の視線を捕らえて離さない。
陶器を思わせる真っ白な肌の中にあって、そこだけは不思議に艶やかな唇は、隠すことなく悪戯っ子の笑みを形作っていた。
しばしの間、その光景を目に焼き付けた後、
「嫌だね」
さらっと言い放つ。
「絶対めんどくさいことになるだろ……それ」
簡潔な否定の言葉を聞きつつも、彼女の微笑みは崩れることなく。
「嫌なの? 」
なおさらにその瞳は、面白がるような色を濃くしていく。
「嫌だね」
さらに、はっきりと言った俺に対して、彼女は落胆の色など微塵も見せず。
「嘘つき」
くすくすと笑いながら言い切った。
「嘘じゃな「嘘だよ」……ぃ」
俺の言葉に、被せるように言い放った彼女に、苦い顔をして閉口する。
「お爺ちゃんと同じこと言うのね」
彼女の笑みは深くなるばかりで……とても楽しそうだった。
「お爺ちゃんも、『嫌だ嫌だ』と愚痴りながら、ずっとずっと私と一緒に暮らしていてくれたんだよ?
追い出そうと思えば、いつだって出来たはずなのに、出てけなんて一言も言わなかった。
『嫌だ』なんて言いながら、でも『しょうがねぇなぁ』って、いつも優しく頭を撫でてくれていたの」
懐かしい面影を追うように、視線を遠くに投げた彼女は、楽しそうに幸せそうに言葉を紡ぐ。
「居なくなってしまって、とても悲しいし寂しいけど、ちょっと前にね。こう言ってくれたの。
『おまえを……可愛い孫娘を独りにはせんよ』……てね」
「結局、独りにしちまってるじゃねぇか……」
「なってないよ? 」
遠くに投げた視線を追いかけるように伸ばした手を、胸元に引き寄せながら不思議そうな顔で俺を見る。
「……俺はずっと居るわけじゃ無い」
ため息と一緒に吐き出した俺の言葉を無視して、彼女はなにかを思い出すように瞼を閉じた。
「私は孫じゃないけれど。ただの居候だけど、孫娘って言ってもらえたのは、ほんとうにうれしかった。
ずっと大切にしてくれていたのは、わかっていたけれど、そう言ってもらえてすごくうれしかったの。
血も繋がってない半分妖怪の私を、孫娘なんて言ってくれて……幸せだったよ」
「……変人だったからな……爺さんは」
思わず、ぼそりと呟いた言葉は、耳の良い彼女には届いているだろう。
再び不思議な虹彩の瞳が現れ、俺の姿をその中に閉じ込めながらゆっくり近づいてくる。
同年代よりやや背が低めな彼女が、平均より若干背の高い俺を、悪戯っ子の表情のまま見上げてきた。
「その変人さんとそっくりだよね。
『血の繋がりなんか気にするな。
爺さんにとって、おまえ以上の孫娘なんて、どこを探したって居ないんだから』」
俺の口調を真似て話す彼女に、心底疲れたような表情だけを返す。
「うれしかったなぁ……ほんとうに嬉しかったなぁ」
頭の上の、猫そっくりな耳を楽しげにぱたぱたと動かしている。
「いつも私の欲しい言葉を、欲しい時に言ってくれるもの。……優しいよね。昔っからずっと」
「優しくなんてねぇよ……」
拗ねたように返した俺の言葉に、長い髪を掻き分けるように伸びた尻尾を、愉快そうに揺して答えてくる。
「優しいよ。だ・か・ら、『嫌だ』なんて嘘だよ。私には分かるもの」
全部お見通しですよー。っと言わんばかりの、にんまりとした笑みで言い切る幼馴染。
幼馴染なんてものは、お互い言いたい事が伝わりやすい反面。
見透かさなくていいものまで見透かされてしまうのでタチが悪い。
もっとも……見透かされるのを承知で、いじわるを言っているのだし、それすら心得てノッてきてくれている。子供の頃からの、お互いを分かりきった「じゃれあい」だけれど、そろそろ切り上げないと機嫌が悪くなる頃合だろう。
実に楽しげな雰囲気を全身から発しつつ、早く私の欲しい言葉をちょうだいと、その瞳が催促している。
その姿を見ながら、わざとらしく最後の締めとばかりに盛大なため息を吐き出した。
「ま、家も受け取っちまったしな……しょうがねぇから、ここに住むか」
途端に待ってましたとばかりに、満面な笑顔になる『化け猫』と『人間』の『ハーフ』の少女。
両親に先立たれ、妖怪の場所にも人間の場所にも、行き場を無くした女の子が、
奇跡的に辿り着いた『変人の家』
爺さんが、なぜ孫娘ではなく俺に家を継がせたのか。半分妖怪な彼女に戸籍が無い事は問題だろうが、家を譲るだけなら方法もあるだろう。村に家を寄付して彼女ごと頼むことだってできた。村の人達に人気者な彼女のことだから、喜んで面倒を見てくれただろう。
それをせず俺に家を譲ったからには、この家そのものが爺さんからの俺への遺言だ。
『可愛い孫娘を独りにはせんよ』
爺さんは、孫娘との約束を守りたかったのだろう。
居なくなる自分の代わりに、この家に一緒に住む者に後を託した。
そしてその遺言たる家を、俺はもう受け取ってしまっている。
この先どうするかなど、最初から決めていた。
欲しい言葉が貰えて上機嫌な彼女から視線を外し、その家を見上げながら、
「とりあえずアパート引き払って、荷物も持ってこねぇとなぁ」
と、今更なことを言ってみる俺の目の前で、彼女は背筋を伸ばし綺麗なお辞儀をしながら、
「不束者ですが、末永くお願いいたします」
とても真摯な声で、とても聞き捨てなら無いことを言いやがった。
「待て! そのセリフはまだ早いだろ?! 」
「まだ……なんだ? 」
……してやったりなニヤニヤ顔で、さらっと返された。
さっきまでの意地悪の意趣返しだろう。
「このっ! 」
掴み掛かった俺を、猫のような身のこなしで軽くかわし、手の届かないところまで逃げてしまう。
鬼ごっこで勝てたことは一度も無い。追いかけることなど、早々に諦める。
「あははっ。これからよろしくね♪ 神久地・光一さん♪ 」
楽しげに笑いながら、わざわざフルネームで呼びかけてくる彼女に、
「はいはい……こちらこそよろしくな。柊・鈴音さん」
こちらも疲れた声で、フルネームで返してみる。
「んー……。なんか固いよねぇ。いつも通りに呼んで欲しいなぁ」
「おまえが先にやったんだろが……」
「あはー、そだったね……よろしくね!『光にぃちゃん♪ 』」
屈託のない笑顔で、子供の頃からの慣れ親しんだ愛称で仕切りなおし。
「よろしくな、『鈴』」
同じく慣れ親しんだ愛称で、軽く返す。
とててててっと寄って来て、俺の胸に頭を軽く当てて、すりすりとしてから顔を見上げてくる。
甘えたい時に良くする仕草だ。
鈴の頭に手を置いて、ぽんぽんっと軽く叩いた後、髪を乱さない程度に撫でてやる。
陽だまりで日向ぼっこする猫のような緩みきった表情をして、大人しく撫でられている。
その幸せそうな顔を見ながら、俺は『変人』そっくりと言った鈴の言葉を思い返し……
…………さして悪い気もしなかった。