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女性の美しさということ

 私は、父親に男の子を期待されて生まれて来た。

母親は、特にどちらを期待するというよりも不安でいっぱいだったようだ。

自分の母親を子供の頃に亡くしていたので、親になるということが、どういうことなのかよくわからなかったと言う。

若さにも関係があったのかもしれないと思うけれど。


母方の家族は、みんな南方系の顔をしていて彫りが深く、よく外国人と間違われていた。

母は、街を歩くと人が振り返るくらいきれいな人で、若い頃、芸術写真のモデルをしていた。

私もモデルをしていたけれど、それは大したことではない。

それを自慢に思うよりは、たまに気がつく人があって、街で声をかけられた時のドッキリを考えると、有名になることはリスクの方が大きいのではないかと思う。


たとえば、アンジェリーナ・ジョリーのように、いろいろ経験して女優になった女性は、過去の積み重ねの結果として今の演技があるのだろうと思う。

経験しなければ、わからないことも多いからだ。

暴露本なんて、私は大嫌いだ。

たとえば政治家に関しては、多少は、私生活にも注目していないと公金を扱っておられる身なので、お互いに怖いというところはあると思う。

でも、芸能人や皇族の人には、公共性はあるかもしれないけれど、芸能人は芸を売るのが仕事だし、皇族は象徴であり、外交を円滑にしていただくのがお仕事だと思う。

それ以外の私生活の部分をほじくりだし、それを書くことも読むことも下品ではないのかしら。

人を病気にするほど苦しめているということも、ちゃんと自覚して書いていただきたいと思う。

第一、そういうことがなければ、もっといい演技やお仕事ができるのではないかと思うのだ。


昔、脚本を書いて、自分もお芝居をしたことがある。

ビデオが残っているのだけれど、ああいうものは残すのではなかったと反省している。

私のようにひどい大根役者は見たことがない。

なので周囲の勧めに従って、木に登らなくて本当によかったと心から思っている。


これも昔、クラシックバレエを習っていた先生は、宝塚で男役をされていた。

シャキッとした女性で、大変、厳しいレッスンをされる方だった。

その時は、250ccのバイクに乗って、2週間目だったろうか。

「あなた。何か余計な事をしているでしょ? 変な所に筋肉をつけちゃって」とお叱りを受けて吃驚した。

(せ、先生、何でわかったの???)という感じ。


バレエのレッスン場にはどこにでも大きな鏡があり、自分を映せるようにできている。

私は常に、臆病で恥ずかしがり屋の部分を隠し持っているので、自分の顔は見ないけれどポーズをきれいにしようと、鏡の前で頑張っていた。

しかし先生は、ポーズはもちろん、体型が変わるのにも、ちゃんと目を配っておられたというわけで、それは私の想定外のことだった。

私は、どうやら筋肉の付きやすい体質をしているらしい。

なので、力仕事をすると、たちまち腕に筋肉がついてしまう。

自分では自覚をしなかったのだけれど、そういえばボディビルにスカウトされたこともあった。

好みではないのでお断りしたけれど。


若い時代にはいろいろチャンスがある。

でも、どれを選ぶかで人生は変わって来るので慎重にしなければならない。

私も振り返ると、こちらの方が良かったかと思うような点はいくつかあるのだけれど、もしも過去に戻れたとしても、その時にはそれだけの人生経験と知恵だけしかなかったので、選びなおしても同じ方向を選んでしまうような気がする。

だから、こういうことに関しては、後悔をしても仕方がないと思っている。

問題は、今とこの先をどう生きていくかだろう。


私の母は、最初にも書いたとおり、本当に美しい人だった。

でも、年齢を重ねて、今では普通のおばあちゃんになっている。

老いというものは、この母をずいぶん、傷つけて来たことだと思う。

たとえばしわが増えた、白髪が増えた、体の線が崩れた...母の口から漏れるそういう悲しみを私は逐一聞いてきた。

母にとって、女性として最も大切なことは、美しい存在ということだったのだと思う。

しかし、その後を追う私は老いということに鈍感になっている。

なぜなら、次に何が起こるのか、母の話を聞いて来て予測が立っているせいでもあるだろうし、それほど自分の容姿が大切だとも思っていないからだ。


他人を不快にさせないように、身だしなみは大切だと思う。

しかし、それ以上の外見の美しさは永遠には保てない。

いくら整形手術をしたところで、老化を止めることはできない。

肌も変わるし、声も変わってしまう。

沙羅双樹の花の色と同じことだ。


私は母親に対して母を求めた時期もあったけれど、それがかなわないものだとわかってからは、自分のことは自分で決定して来た。

一日に5回は化粧を直す母親に何か話しかけても、ほとんど真剣に向き合ってはもらえなかったからだ。

しかも母は弱い。


人は、やさしさと弱さを混同し、勘違いしてしまいがちだと思うけれど、他人のことで感情が揺れ動いて、すぐに涙をこぼすようなことは、やさしさではない。

そこから解決策を見つけ出そうとすることがやさしさなのだと思う。

これは、弱い人にはできない。

考える前に自分の気持ちが悲しみに沈んでしまって、動けなくなるからだ。

私の母は、そういうタイプの人だったので、反面教師としてきたのかもしれない。

できることなら、強さを持ちたいと思って生きてきた。

それが母性にも通じる、私にとっての美しい生き方だと思ったから。


ところが望むようには、なかなか行かない。

「過去を振り返ると恥ずかしいことでいっぱいだ」という、古い歌を聞いたことがある。

本当に、そんな感じ。

失敗ばかりしてきたような気がするけれど、それだから今の自分があるのかもしれないと思うので、考えすぎるのはやめようと思う。

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