宗教に思うこと
宗教というものが信じられない。
ひとつには、奇跡とか占いなんかで明日の変化を信じて、期待を裏切られるのが嫌なのかもしれないと思う。
それよりは、努力しない自分を顧みて、生活態度を改める方がいいと思う。
どっちも嫌いだけれど、後者の方が、まだ信憑性がある気がするのだ。
なかなか変われない自分があったとしても。
でも、宗教や占いを信じる人が嫌いだと思っているのではない。
私とは違う、もっと純粋な考え方を出来る人たちなのだろうと思うからだ。
ここは、カトリックの国。
なので、祝祭日のほとんどは、宗教由来のものである。
キリスト教を殆ど知らない私は、祝祭日がなかなか記憶できない。
でもお店は、殆ど全てがお休みなので、気が付いた時に、キャーと言って出かけることが多いのだ。
それでも、前日、ギリギリに間に合えばいいのだけれど、間に合わない時には、買い置きの食品や冷凍の材料を使って作れるスパゲティーかグラタンと決まっている。
しかし、近頃、教会へミサに出かける人が減っているのだそうである。
私自身は、モーリシャス出身のオーストラリア人の友人に引きずられて、しばらく通ったことがあるけれど、日本の外国人コミュニティの中にあったそのチャペルでは、古い英語とラテン語でミサが行われていた。
私には何が何だか分からないまま、エイメンを聞いて、お隣の人たちと握手して「やっと終わった~!」という瞬間を記憶に留めているだけである。
その後、彼女はオーストラリアに戻ったので、欧州へ引越した私とは、遠く離れてしまった。
一度シンガポールに滞在していた時に訪ねて行って会ったのが、もう何年前かな?
別れ際に二人とも泣いてしまったので、周囲に変な目で見られた。
もしかすると、ホモセクシュアルな関係と見られたのかもしれない。
でも、人生の辛い時期を一緒に過ごした思い出があるので、私たちには特別な感情があるのだ。
人間、何十年か生きていれば、人の死に出会うことも多くなる。
この友人と出会ったのは、インド人の友人のお葬式だった。
インド人の友人が交通事故で亡くなった。
その知らせを聞いて飛んで行ったところ、誰もいない広いお通夜の席にぽつんと棺が置かれていた。
彼女の顔を見ると小麦色の肌が不健康に沈んで、しかも血液が黒くこびりつき、モノと化してしまったように見えた。
私は彼女の死を否定したくて確認に行ったものだから、これが彼女だとは信じたくなかった。
何度も否定しようと思ったけれど、でもその遺体は彼女に似過ぎていた。
時間を掛けて私は観念をし、彼女だと認めるしかなくなった後で、いろいろと話しかけた。
葬儀場の人が何度か見に来られて、「必要なものはないか」と尋ねられた。
誰もいない部屋で一人、棺に話しかける私の図を想像すると、気がふれてしまったように見えたかもしれない。
私は、何時間か経って夜も更けた頃、ようやく彼女の顔をきれいに拭くことを思いつき、葬儀場の人にコットンをもらった。
頭に巻かれた包帯を少しずらすと、大きな穴が見えて、元に戻す事が出来なかったのだと少し納得が出来た。
血液の汚れを落としたら、また少し、顔が彼女のそれに近づいたけれど、やはり違う。
そう言えば、彼女は丁寧にメイクを施していた所為だと気が付いた。
「主人がね、きれいな色のアイシャドウや口紅を使うと喜ぶの」
18歳で結婚して、19歳で出産した彼女は、毎日、家で息子にタミール語の書き方を教えていると言っていた。
まだこんなに若い彼女が幼い子供を残して亡くなるのは、どんなにか無念だったろうと思う。
翌日、化粧道具一式を抱えて、私は彼女を訪ねた。
彼女の肌の色があまりに黒いので、薄くファンデーションを使ってみる。
それから彼女のしていたように、私のあまり使わない鮮やかな色のアイシャドウと赤い口紅を使ってみると、生前の彼女の顔になった。
もう、どうしても否定できない本物の彼女がそこに在った。
そうすると、また悲しくなって、私は、次々に涙の溢れて来るのを止められなくなってしまった。
その頃には、ぽつぽつと、インド人の男性たちが彼女に会いに来ていたけれど、事情を尋ねても要領を得ないので、手負いの小熊のようになっている私を遠巻きにしていた。
居場所が分かって彼女の夫を病院に訪ねたけれど、昏睡していて危篤状態だった。
お医者さんの話では、絶対安静で、脳にも影響があることが疑われると仰っていた。
息子は、ご近所のインド人女性が預かっていると聞いた。
インドのご家族は、ビザの取得に時間がかかった。
5日後に、到着された時には、ほっとした。
やがて、大きな数珠のようなネックレスが彼女の体に乗せられ、生前、彼女もそうしていたように、額に飾りが付けられた。
ヒンドゥー教の僧侶が来られた時には、日本にもおられたんだと初めて知った。
結局、今の私と同じように、外国にいて地元の友人の少ない彼女を手伝えるのは私だけしかなく、お葬式の準備やスピーチ、計算や支払いや後片付けをすることになった。
お棺を見送る時、その時、二度目に会った彼女のお母さんが、「お化粧は誰がしたの?」と尋ねられたので叱られるかと思ったら、喜んでくれていたのだと知ってほっとした。
タミール語を通訳してもらわなければならなかったので、会話には時間がかかったのだ。
その後、1年かかったけれど、彼女の夫は、無事に回復し、普通に働けるようになった。
職場へ復帰してから、彼が米国転勤するまでの1年間、私は彼らの息子を預かった。
今、父親は再婚し、この男の子は、とてもいい子に育っている。
そして、欧州で最初に親しい関係になったフランス人女性が亡くなった時のことだ。
彼女は周囲に癌を隠していた。
「早くフランス語が上手になってね。私には、あなたに話したいことがあるのよ」
亡くなってから、それが何か分かった。
思ったよりも進行が早かったのだろう。
彼女には彼女の考えがあったらしく、抗がん剤などを含む化学治療を受け入れたくなかったらしい。
彼女が亡くなった時、白い肌は土気色に変わり、目は落ちくぼんでいて、老人のようだった。
「メイクをしてはいけないの?」と尋ねると、周囲の答えはNOだった。
あんなにおしゃれな人だったのに、こんな風に見送られるのは不本意ではなかったかと思う。
でも、それが宗教由来なら、仕方がない。
宗教に納得できない点があるとしたら、教義の中のことも人が勝手に解釈したことも、全てを飲み込まなければならない点かもしれない。
決してそれを研究しておられる方々を馬鹿にして言うのではないけれど、世界の始まりが神様でも仏様でも自然科学でも、私の生活に影響はない。
だから、その点については問題がないのだけれど、食べ物を決められるのも嫌だし、お葬式にお化粧が出来ないのも嫌だと思う。
それから、時々困るのは、勧誘する人が「願いが叶う」と仰ることだ。
そうすると、どうしても、「矛盾」という言葉の由来になった盾と矛の話を思い出してしまう。
商人が曰く。
「この盾は、どんな矛で突きさしても貫き通す事が出来ない頑丈な盾だ」
「この矛は、どんな丈夫な盾をも貫き通す強い矛だ」
そこで、客が尋ねる。
「では、そのあなたの矛であなたの盾を突くとどうなるのですか?」
という、あのお話だ。
まぁ、自分の頭の中だけでも、矛盾をなくすことは出来ないのだけれど。