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気が付かないということ

 私は、子供の頃を田舎で育ち、祖母の影響が大きかったので、少し古い常識を教わって来たのだろうと思う。

家というものが今よりも重要視されていた時代で、それだから嫁に行くとか、もらい手がどうのというような言い方をされていたのだろう。


今の10代の人たちに「そんなことをしたら、お嫁のもらい手がなくなりますよ」等と言っても通用しないだろう。

日本だって、もう専業主婦という状況は、なくなって来ている。

つまり、嫁という肩書きだけでは食べて行けないのだ。

ここを掘り下げて行くと女性学の方へ行ってしまうので、それはまた別の機会に書こうと思う。


「気が付かない」という言い方は、時折、「気が利かない」と同じ意味で使われる。

つまり女の子に「気が付かないわねぇ」と言うのは、非難していることになるのだ。

ここにも暗に「嫁のもらい手がなくなること」が含められていた。

だから昔だと、男性に対しては使われなかった言葉だと思う。

細かいことに気が付くのは、女々しいことであり、男の範疇にはなかった。

しかし今は、どちらにも使われる。

この辺りは、男女の性差が薄くなった点だと思う。

この非難を避けるには、気がついた時点で「すみません。気が付かなくて(利かなくて)」と言えばいいのだ。

そう言うことによって、自分が気が付くタイミングが一瞬遅れただけだという言い訳になる。

私と同じような環境で育った人は、性差別的な感覚への反抗心から、わざと言わなかったことを自覚している人もあるのではないかと思うけれど……。


そういう昔の名残か、やはり気が付かない人は男性に多いように思う。

(これは逆の性差別かな? そう感じた人があったらごめんなさい)

特に「男」を誇示するする人は、細かいことに気が付かない点を強調するように見えることもある。

女性の私から見れば、子供っぽい態度だと思うのだけれど、ご本人は威張っていらっしゃる場合が多いので、苦笑しながら見逃すことにしている。


米国や少し前までのアパルトヘイトほどではないにしろ、ベルギーも人種差別の激しい国だ。

それは、私の住む南側ではなく、北側で特にそういうことが起こっているのだけれど、ネオナチズムの集会が行われていると耳にしたり、昔の貴族の人の名前がずらりと並んだ右翼系の政治家パーティーがあったりする。

肌が白くて目の青いのがエライなら、そういう種類のニャンコだっているよと横に並べて差し上げたくなるのだけれど。

まだネオナチのような人がいない訳ではないけれど、一般的に、ドイツではヒットラーやナチス、アウシュビッツなどという言葉は禁句になっている。

ある程度の年齢以上の知識人の方々を相手に話すと、傷つけてしまうので避けるべきだろう。

かなりデリケートな問題なので、イスラエルの問題に関しては、今でも弱腰なのだ。


しかし人種差別をする人たちとは、折り合いをつけたくても、あちらが考えを変えない限り、無駄な気がする。

だから無視をする。

べルギーの南側ではそういう差別が皆無かと言えば、そうではない。

「彼女はエトランジェなのに、よくやる」と褒められることもあれば「エトランジェだからしかたがない」と言われることもある。

言語や習慣、文化などに関しては、違う環境で生きて来たのだからそう言われても仕方がないけれど、散々外国人を批判した後で「外国人でもね、あなたは違うのよ。お金を持って来た人はいいの」とあからさまに言う人があるのは驚きだ。

そんな言葉でエトランジェが安んじられると思うのだろうか?

根本的に違っているので、これを変えて行くのには時間がかかるだろうと思う。

無知であるということを責めても仕方がないので、これもある程度、聞き流しておかなければ神経がもたない。


でも、これが日本で暮らしていて、そういうことを肌で感じていない人にこれを説明してもなかなか感覚としては伝わらない。

一部、想像力の優れた人や、知識として既に理解している人なら別だけれど、そうでない場合には、たとえ親友であっても分かってもらえないことが多い。


では、日本にそういう種類の差別がないかと言えば、あるのだ。

日本人が差別して来た人たちのことを考えれば、外国で日本人がそのような目に遭うことがあっても普通だろうと思う。


欧州は日本から遠いから、日本を中国の一部だと思っている人もあれば、トヨタやソニーは知っていても、それが日本という国と結びついていないことも多い。

未だに着物を着て頭を結っていると信じている人もあるのだ。

この国の義務教育は18歳までなので、国民すべてが高等学校までの教育を受けているにもかかわらずそれなのだから、ここより教育水準の低い国だと、もっと伝わってないと考えるべきなのだと思う。

いや、これはおかしいかも知れない。

きっと学校教育には関係がないのだろう。

立派な教育を受けた人でも、極右翼の考え方に走って外国人を差別する人もあるのだから。

この点は、人種の入り混じった大陸の特徴なのかもしれない。

日本の有名な右翼の男性がTVで話しているのを聞いた時、実は差別とは遠い感じがした。

日本という国を愛するということは、その立派な国民を愛するわけで、立派な国民とは、外国からも尊敬されるような国民であることだから、当然、外国人を差別して蔑むようなことにはならない筈なのだ。

ところが現実には、必ずしもそうはならないのが不思議でもあるけれど。


おそらく日本という島国で、沖縄を除いて戦争に負けても占領をされて来なかったところに住んで来た人達は、外国に住むまでこういう感覚は理解できないのだと思う。

いや、これも違うなぁ。

外国へ出てもわからない人も少なくない。

例えば、3年なり5年なりを仕事や勉強の為に海外で過ごしたところで、それほど風当たりは強くないだろう。

職場とか学校という囲いの中で過ごし、人間関係もその周囲の人を中心に範囲を広げないで過ごして帰る人が多いからだ。

それは、ここに限ったことではない。

日本人のたくさん住む地域に暮らして、日本人同士で交流し、子供は日本人学校に入れて教育をすれば、スーパーマーケットを含む大型店舗では、会話の必要もなく買い物ができるし、中心部では英語があれば、医師などでも話せる人を探して十分に生きて行ける。

それでも日本に帰れば、あちらでは...と話が出来るので、気が付かなかったことにすら気が付いていない人もある。


さて、私にとっては身近なので、海外生活を例に挙げて、気が付かないという事を書いてみたけれど、それが本題な訳ではないので、もう少し書いてみようと思う。


最初に気が付かないことは、非難の対象であった話を書いてみたけれど、本来、それは人の性質で、非難される種類のものではないのだろうと思う。

或いは、経験のないことは知らないのだから、気が付かなくて当然なのだ。

但し、他人を傷つけることに対しては敏感であるべきだと思うけれど。


では、人を傷つけることもない「気が付かないこと」について考えてみると、もしかすると、これは人生を楽にするコツなのではないかと思うことがある。

いちいち人の思惑に動じなければ、どんなにか楽だろうかと思うのだ。

どうせ全てが読み取れるわけでもないのに気を遣い、人の気持ちの裏や奥までも覗きこんでみようとして疲れるよりは、ずっと楽だと思う。


シンプルに見える人ほどお付き合いがしやすいということもある。

こう話しかければ、こういう風に返事が返って来るだろうと予測の出来る相手。

それを逆に言えば、自分をシンプルに見せるほど、相手には付き合いやすく親切だということになる。

ビジネスや一般的なお付き合いをする相手とは、関係がこうであれば楽だろうなと思う。

もしかしたら、夫婦もこうある方がいいかな?


でも、どうだろう。

友人として深くお付き合いしたい相手や恋人を見つけたいなら?


う~ん、やっぱり、気が付く人を選んでしまいそうな気がするなぁ。


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