第169話:神、学生になる
【舞台:古本屋『VOID』 ―― 賢者の憂鬱な朝】
エルムの街に、爽やかな春の風が吹き抜ける。エルム祭を間近に控え、街路樹の葉が緑色に染まり始めた頃。古本屋『VOID』の朝は、一人の「神」による突拍子もない宣言から始まった。
「――第108号。私は、エルム魔導学院への体験入学を申請するわ」
カウンターで紅茶を啜っていたアスカは、危うくその中身を吹き出しそうになった。
「……はあ? ステラ、寝ぼけてるの? あんたの頭脳があれば、あんな学校で教わることなんて一行もないでしょ」
「知識の習得が目的ではないわ」
ステラは無機質な瞳をアスカに向け、淡々と続けた。
「先の帝都遠征において、レオンやミーナに観測された『集団生活による感情の同期』――いわゆる青春と呼ばれるフェーズのデータが、私のライブラリに著しく不足しているの。このままでは、私の人間理解プログラムが停滞してしまうわ」
「アオハルって……あんた、どこでそんな言葉覚えてきたのよ」
アスカは頭を抱えた。
「あら、いいじゃないアスカ。ステラが自分から『学びたい』なんて言うの、初めてじゃない?」
奥から現れたリサが、面白そうに首を突っ込んでくる。
「いい機会よ。ちょうど学院からは、あんたに『特別講師』の依頼が来てたでしょ? 腐れ縁の院長が泣きついてきてたじゃない」
「……あれは断るつもりだったのに」
アスカはレイに助けを求めるような視線を送ったが、レイはエプロンで手を拭きながら、聖母のような微笑みを浮かべていた。
「いいと思いますよ、アスカ。ステラがお友達を作る姿、私も見てみたいです。……私も、お祭りの準備でお手伝いに行く予定ですし、みんなで行けば怖くありませんよ」
「……レイまで。はぁ、分かったわよ。ただし、ステラ。条件があるわ」
アスカはステラの鼻先を指差した。
「絶対に、騒ぎを起こさないこと。魔法で校舎をハックしたり、生徒の知能指数を勝手にスキャンして格付けしたりするのも禁止。いいわね?」
「了解。私はただの『背景のモブ(群衆)』として、完璧に周囲と同期してみせるわ」
その自信満々な宣言が、アスカには最大の不安材料にしか聞こえなかった。
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【舞台:エルム魔導学院・校門 ―― 違和感の塊】
数日後。アスカは、エルム魔導学院の門をくぐっていた。 隣には、見慣れない制服に身を包んだステラがいる。
「……ステラ。あんた、その制服の着方、何なの?」
「……解析結果に基づき、エルムの平均的な『真面目な学生』の最適解を算出したわ」
ステラは、ボタンを喉元までこれ以上ないほどキッチリと留め、スカートの丈は定規で測ったように膝中央、メガネ(伊達である)を中指でクイと押し上げた。その姿は、真面目を通り越して、精巧に作られた「学生型アンドロイド」そのもので、余計に目立っている。
校庭を歩けば、当然のように学生たちの視線が集中する。
「ねえ、あの子、誰? 転校生?」
「横にいるのは……嘘だろ、あの『VOID』のアスカか!?」
「……ステラ。あんた、全然背景に溶け込んでないわよ」
「おかしいわね。光学迷彩は使用していないのに、なぜ注目度が上昇しているのかしら」
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【舞台:教室 ―― 異端の自己紹介】
アスカは「特別講師」としての挨拶を済ませるため職員室へ、ステラは体験入学のクラスへと向かった。 ステラが教室の扉を開けると、騒がしかった室内が、水を打ったように静まり返った。教壇に立つ担任の教師が、冷や汗を拭いながら紹介する。
「え、えー……今日から三日間、体験入学として共に学ぶことになった、ステラさんだ。みんな、仲良くするように」
ステラは教壇に立つと、クラス全体を一瞥した。彼女の視界には、生徒全員の魔力量、心拍数、そして昨夜の睡眠不足の有無までがグリッド表示されている。
「……ステラよ。私の目的は、貴方たちとの『感情の同期』および、非論理的集団生活のサンプル採取。……質問。このクラスで、最も『青春』の濃度が高い個体は誰かしら? データの標準化のために、まずその個体と友人契約を結びたいのだけれど」
教室中が凍りついた。
「……ゆ、ゆうじん……けいやく?」
一人の生徒が呆然と呟く。
「ステラさーん! だめですよ、そんな言い方!」
廊下から、慌ててレイが顔を出した。彼女は今日、祭りの炊き出しボランティアの打ち合わせで学院に来ていたのだ。
「皆さん、ごめんなさいね。この子、ちょっと……個性的ですけど、本当はとっても良い子なんです。仲良くしてあげてくださいね!」
レイの柔らかいオーラと聖女のような微笑みに、固まっていた生徒たちの表情がふっと和らぐ。
「な、なんだ、可愛い子じゃん」
「レイさんの親戚かな? 変わってるけど、悪い奴じゃなさそう」
ステラは、レイの影響でクラスの緊張が緩和されたことを即座に感知した。
(……理解不能。聖女レイの魔導波形による精神干渉……? いいえ、これは単純な『好意』の伝播だわ。……非常に興味深い。これが同期の初期段階なのね)
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【ラストシーン:賢者の予感】
一方その頃、アスカは院長室で、古くからの知り合いである院長と対峙していた。
「……アスカくん、頼むよ。君の力で、この凝り固まった学院のカリキュラムに風穴を開けてほしいんだ。最近の学生は、マニュアル通りの魔法しか使えなくてね」
「院長。……風穴を開けるどころか、大穴が開くかもしれないわよ。私の『妹分』が、あっちの教室に爆弾として放り込まれたから」
アスカが窓の外に目を向けると、中庭ではレイが学生たちに囲まれて楽しそうに話し、教室の窓際では、ステラが隣の席の困惑している男子学生のノートを「非効率だわ」と言いながら高速で添削し始めているのが見えた。
「……騒ぎを起こすなって言ったそばから。……まあいいわ。退屈な学校生活よりは、少しはエラー(刺激)があったほうが、あの子のためになるかもしれないしね」
アスカの瞳は、ステラへの皮肉と、それ以上の期待で輝いている。神が学生になり、賢者が教壇に立つ。 かつてない「バグ」に満ちた、騒がしい三日間が今、幕を開けた。




