第122話:音を喰らう者 ―― サウンドイーターの襲撃
【舞台:虚無の壁の内部 ―― 窒息する静寂】
境界を越えた瞬間、世界は色彩と輪郭を失った。 そこは砂漠ですらなかった。足元には砂の感触があるはずなのに、視界に入るのは濃密な、煤のような「無」の霧。上も下も判別のつかない閉鎖空間の中で、アスカとレイを繋ぎ止めているのは、互いの手のひらの熱だけだった。
「……っ」
レイが、音にならない息を呑む。
この空間では、アスカが展開する青白い魔導陣の光さえも、周囲の「無」に侵食され、輪郭が滲んでいる。精神同期を通じて伝わってくるアスカの思考も、強烈なノイズに晒されていた。
『――レイ、集中しなさい。ここは定義が崩壊しているわ。私たちが「音」を発した瞬間、そのエネルギーは全方位から掠め取られる。……絶対に口を開いてはだめよ』
アスカの警告が脳内に響くと同時に、霧の向こうから「何か」が動く気配がした。 それは音ではなく、空間が歪む際の「視覚的な揺らぎ」として感知された。
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【舞台:サウンドイーター出現 ―― 飢えた虚無】
霧の深淵から姿を現したのは、生物というにはあまりに冒涜的な造形物だった。 半透明の、粘液質な体を持つ巨大な軟体生物のような影。その全身には、無数の「耳」と「口」がデタラメに配置され、常に何かを求めるように蠢いている。
音食い(サウンドイーター)。 この世界から音を奪い、己の糧とする事象の怪物。
アスカが指先を振り、牽制の魔弾を放った。本来なら鋭い破裂音と共に空気を切り裂くはずの光弾。しかし、それが怪物に触れた瞬間、パシュッという力ない光の飛沫を上げて消失した。
『……嘘でしょう。私の魔力行使に伴う「魔音」までもが、あいつの体組織に吸収された?』
アスカの動揺が、レイの心に冷たく刺さる。 怪物はアスカの魔弾を喰らったことで、その透明な体の中に、青白い火花のような文様を浮かび上がらせた。エネルギーを得た怪物の「口」が、悦びに歪む。
「(アスカ、あの怪物、私たちの魔法を食べて成長している……!)」
レイが心の中で叫ぶ。怪物は次の瞬間、驚異的な速度で距離を詰めてきた。 巨大な触手が、レイのロイヤルブルーのドレスを掠める。
『レイ、防御陣を最大に! 音を出すなと言ったけれど……このままでは押し潰されるわ。出力を絞って、衝撃波を「熱」に変換して相殺なさい!』
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【舞台:過酷な戦闘 ―― 奪われる旋律】
戦闘は、悪夢のような様相を呈した。 アスカが広域殲滅魔法を展開しようとするたびに、その術式から漏れ出るわずかな振動を、サウンドイーターは「ご馳走」を見つけたかのように吸い尽くす。 爆破魔法を撃てば、爆音を喰らって怪物は巨大化し、凍結魔法を放てば、氷が割れる音を喰らって再生する。
「(これじゃ、戦えば戦うほど相手を強くしてしまう……!)」
レイは懸命に、共鳴魔法で怪物の体組織を「調律」し、崩壊させようと試みる。だが、彼女の放つ精神的な波動さえも、この「無」の空間では伝導効率が極端に低く、怪物の分厚い虚無の膜に阻まれてしまう。
アスカの額から、汗が滴り落ちた。純白のドレスの裾が、怪物の放つ負のエネルギーによって黒ずんでいく。
『……計算が、追いつかない。……事象の吸収率が、私の魔力補給速度を上回っている。レイ、少しだけ後ろに下がりなさい。禁忌術式で、空間ごと「音の定義」を固定する!』
アスカが無理心中にも似た強引な術式を組み上げようとした、その時だった。 サウンドイーターの巨大な「口」が、アスカの魔導陣そのものを直接、噛み砕いた。
パリン――という、本来なら響くはずの音が、沈黙の中に吸い込まれる。 反動で吹き飛ばされるアスカ。レイは咄嗟に彼女の体を抱きとめた。
『……あ……が……レイ……』
リンクが、激しいノイズと共に途切れかける。 アスカの瞳から、一瞬、知性の光が消え、深い疲弊が覗いた。賢者として、初めて「正解」が見えない絶望に直面したのだ。
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【ラストシーン】
怪物は、アスカという極上の「音の源泉」を仕留めるべく、その醜悪な巨体を鎌首のように持ち上げた。 もはや、逃げ場はない。アスカはレイの腕の中で、激しく息を切らしている。
レイは、自分たちの置かれた絶望的な状況を、冷徹なまでに理解した。
(アスカ……。あなたはいつも、頭で考えて答えを出してきた。……でも、ここはもう、理屈が通用する場所じゃない)
レイはアスカを庇うように前に出ると、かつてないほど強く、自分の胸元――「心の臓」が位置する場所に手を当てた。
(音がないなら……。音ではない「振動」で、あなたを繋ぎ止める。……私の鼓動を、あなたの計算式に叩き込んで!)
レイが、リンクを通じて自分の命の鼓動を、濁流のような熱量でアスカの脳内へ送り込んだ。 トクン、トクン、トクン……。 激しく、けれど一定のリズムを刻む「生」の証。
その圧倒的な生命の律動に触れた瞬間、アスカの瞳に、再び鋭い光が宿った。
『……レイ。……そうね。物理的な音を捨てて……純粋な「存在証明」の共鳴に、私の論理を乗せるというのね』
アスカが立ち上がる。 二人の周囲で、ロイヤルブルーと純白のドレスが、静寂の中で激しく光り輝いた。 サウンドイーターがその光に飢えて飛びかかる。 だが、次の瞬間。アスカの指先から放たれたのは、これまでの魔法とは全く異なる、**「色を持たない透明な衝撃」**だった。
怪物の叫びさえも聞こえない闇の中で、二人の絆が放つ「無音の咆哮」が、虚無の壁を内側から震わせ始めた。




