第11話:ミーナの風邪と、賢者の特製ポーション
【舞台:古本屋『VOID』~ミーナの部屋】
その日の朝、古本屋『VOID』のドアベルは鳴らなかった。 いつもなら営業開始と同時に「お姉ちゃーん!」と飛び込んでくるはずの、元気なノイズが欠けている。アスカはカウンターで、開いたままの魔導書を前に、わずかに眉を寄せた。
「……シュシュ。この空間、デシベル値が低すぎるわ。バックグラウンドノイズが不足していて、逆に集中力が削がれる」
「アスカ様、正直に『ミーナ様が来なくて寂しい』と言えばいいのですニャ。彼女、昨夜から高熱で寝込んでいるそうですニャ」
カウンターの端で毛繕いをしていたシュシュが、耳をぴくりと動かして答える。
「……風邪? 生体バランスの乱れね。自己免疫システムに任せれば、48時間以内に自然治癒するはずだわ。……見舞いなんて非効率なことはしないわよ」
アスカはそう言い捨てて本に視線を戻したが、10分経ってもページは一枚もめくられなかった。
「……ふぅ。文字が滑るわ。……シュシュ、解析を開始。ミーナの病状に最適な術式と、副作用ゼロの成分構成を導き出して。……ついでに、最も口当たりが良いとされる甘味の配合比率も」
「アスカ様、口元が少し緩んでいますニャ。……準備はできていますニャ!」
アスカは立ち上がり、店の奥にある「禁断の調合室」へ向かった。かつては王国の命運を分ける秘薬を作ったその場所で、彼女は今、一人の少女のために最高級の魔力を練り上げた。
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【場所:ミーナの家・寝室】
「うぅ……お姉ちゃん、ごめんね……今日はお手伝い……行けない……」
ベッドで顔を真っ赤にしてうなされているミーナの元へ、アスカが音もなく現れた。その手には、淡い桃色に輝く、不思議な温かさを持つ液体が入った瓶がある。
「……喋らなくていいわ。呼気からウィルスが飛散して、私の店の衛生管理(クリーン度)に影響が出るでしょう? ……ほら、これを飲みなさい」
「これ……なに……? すごく……いい匂い……」
「……ただの生体活動補完液よ。成分の99%は私の魔力で構成されているから、市販のポーションより1万倍は吸収効率が良いわ。……残り1%は、隠し味のハチミツ。……さあ、口を開けて」
アスカは、しなやかな指先でミーナの頭を優しく支えた。ポーションを一口流し込むと、ミーナの肌の赤みがみるみるうちに引き、呼吸が穏やかになっていく。
「ふぁ……。なんだか、お姉ちゃんの匂いがする……。あったかくて……安心する……」
ミーナが夢心地に呟き、そのまま安らかな眠りに落ちた。アスカは、彼女の額にかかった髪をそっと分ける。
「アスカ様、熱は完全に下がりましたニャ。……ですが、このポーション一瓶で、王都なら城が一つ建つほどの魔力を使いましたニャ。非常に非効率ですニャ」
「……黙って、シュシュ。……この子が明日も元気に店の扉を壊しに来るという未来への、必要経費よ。……それに、この子の笑顔が消えると、街全体の活気という名の『供給源』が絶たれる。……長期的なタイパを考えれば、妥当な投資だわ」
アスカは、眠るミーナの枕元に、魔法で「絶対に冷めないホットミルク」をそっと置いた。
「おやすみ、ミーナ。……明日は、今日休んだ分の0.5秒を取り戻す勢いで、店に来なさい。……待っててあげるから」
アスカは窓を開け、夜風を部屋に通した。 星空の下、古本屋へと戻る彼女の背中は、いつになく軽やかだった。
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【場所:古本屋『VOID』】
翌朝。 『VOID』のドアが、いつもの勢いで、いや、昨日よりさらに力強い音を立てて開け放たれた。
「アスカお姉ちゃーん!! 完全復活だよーっ! 見て見て、すっごく元気!」
「……うるさい。声が大きすぎて、本棚の埃が舞ったわ。……三歩下がって、その有り余るエネルギーを少し鎮めなさい」
アスカはカウンターで、昨日と同じ魔導書を開きながら、冷淡な口調で答える。だが、その瞳は、昨日一度もめくられなかったページを、今は軽快に追いかけていた。
「えへへ、お姉ちゃん、大好き!」
「……論理的じゃないわね、その言葉。……でも、不快な周波数じゃないわ」
アスカは、黒髪をさらりとかき上げ、ほんの一瞬だけ、誰にも気づかれないほどの微笑を浮かべた。 最強の賢者が守りたかったのは、世界というシステムではなく、この騒がしくて愛おしい、非効率な朝の風景だった。
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