第2話 同情フレンズ
「アンタそんな理由で婚約した訳?」
ある休日。
友人の天道風信が呆れた眼差しで私を見つめた。遠くで、カラン、とドアベルの音が響く。私達がいる喫茶店の小さな喧騒が、「ここは家ではない」のだと私に小さな安心を寄越してくれた。
「ばっかじゃないの?」
ため息を吐き、彼は手元の紅茶へ静かにミルクを注ぎティースプーンでかき混ぜる。
「……全く。アタシが婚約してあげようかって言おうと思ってたのに」
「えっと、何か言いました?」
「別に。『アンタ本当大変よねぇ』って言ったの」
「それ、彼にも言われました……」
「は? 変人にも言われた? ……それはそれでムカつくわね」
そう呟き、風信は紅茶を一口飲む。
風信は初等部からの友人だ。いじめられて泣いていたところを、助けてもらった。それ以来、何かと私のことを「放っておけないから」と助けてくれる友人だ。私にとっては兄のような、姉のようなそんな存在だった。
「それで。婚約はしたのよね? ……別に疑ってるワケじゃないのよ。確認よ、確認」
「はい。愛のある結婚を、約束してもらいました」
「『愛のある結婚』……? 何それ」
その声は、なぜか不機嫌そうに低かった。
「何それ!」
「え、どうしました?」
よく分からないままに声をかけると、こほん、と小さく咳払いをして「ごめんなさい、取り乱したわ」と謝る。
「……いえ、なんでもないわ。……愛なら、アタシの方が持ってると思うのよね。証明できると思うんだけど」
「証明?」
「え? いいえ、なんでもないわ! で、なんでそんなものを条件に……」
「愛のない結婚を申し込まれたから、考えたんです」
「はぁ?」
両親のおかげで学校にも入れたし、宮廷に就職もできた。だから『愛されたことがない』なんて言わないけれど、体験してみたかったのだ。物語の中のような、優しい『愛』を。
……両親は、淡々と私に施しをする人達だったから。萩には、優しい顔をしていたけれど。
「で、『約束してもらった』って言ったけど。アンタの希望はどんな愛なのよ」
「……『優しい愛』……それくらいしか、考えてないです」
「『考えていない』って、もう。アンタらしいわね」
風信はくすくすと静かに笑う。
「で、お出かけとかするの?」
「一回だけ……ま、まずは手紙交換を、してます」
「……古いわねぇ。まあ、堅実でいいんじゃない」
「それで。もらった手紙に花が添えられていて、おまけに良い匂いがするんです」
「……良かったじゃない、ちゃんとしてる人で。変人だって聞いたからどんな異常行動するかと思っていたけれど」
「でも、どう返したら良いかわからないんですが……」
「同じように手紙に花添えて香水付けたら良いじゃないの」
「ちゃんとした香水って何ですか?」
「……ああもう! アタシが手伝ってあげるから! ……ホント、アタシってばお人好しよねぇ」
そうして、私と風信は『ちゃんとした手紙』を出すために二人で買い物に出かけるようになった。
購入した手紙や便箋、香水は萩に見つからないようにしなきゃいけない。見つかって文句を言われるのは面倒だからだ。
×
数回の手紙のやり取りの後、先輩から「この日に、以前の店の個室で待っている。用事がなければ、是非ともこの時間に来てくれ」と連絡があった。
この世界の手紙は時間はかかるが安い人手のものと、高いが早く届く陰陽術を利用したものがある。いつもは「待つ瞬間も楽しむもの」として人手のものを使っていたが、今回の手紙は陰陽術を利用したものだった。何か、急用があったのだろうか。
待ち合わせの場所に着くと、先輩が待っていた。
喫茶店の奥の個室で、いつものように堂々とした佇まいだ。
「……君、最近よその男との、深めの交友がないかい?」
開口一番に彼から問われたのは、それだった。
「え、交友、……ですか?」
「いや。別に移り気を起こして居ないか心配している訳ではなくてね。噂で聞いただけなのだよ、その真偽を確かめに——「そ、それは多分。友達のこと、じゃないでしょうか?!」……『友人』?」
「はい。天道風信さん……彼は、私の初等部来の友人です」
「そうかそうか。ただの友人なんだね? それならいいとも。……ほら、一般的に婚約を結びたての間柄だというのに別の男——仮にそれが友人だといえ。女性が婚約者でない男と仲睦まじい様子を見せていれば誤解されてしまう、というものだよ。気を付けたまえ」
「あ、はい。迂闊、でしたか? ……手紙の返し方の作法について聞いていた、のですが……」
「そうかい。それは誰からの手紙か、聞いても良いかな?」
「あ、貴方からです……っ!」
「……僕? 僕からの手紙かい?」
「手紙を一番良い方法で返したかったんです……」
「うーむ、それでは怒るに怒れないじゃないか……」
私の告白に、彼は少し困った表情をした。私が彼を困らせてしまった、と少し申し訳ない気持ちになる。
「ともかく。ただの友人なのだね、とりあえずの確認だが」
「はい、ただの友達です。ええと、一緒に買い物をしてました。手紙や化粧水などの購入を」
「……それは、僕はどういう感情で聞いていれば良いのかね」
「で、でも彼は女友達のようなもので。彼、美容や流行りに詳しくて。とても、参考になるんです」
「……そう、だろうね。君がそう思っているのなら、それでいいさ。友人はいる方が豊かな生活になるだろう。……それはそれとして、このネックレスを身に付けてくれないかい? いやなに。ただのお護りさ」
そうして、彼は紅い石についたペンダントネックレスを取り出した。紅い石は、彼の目と同じ色だ。
「綺麗……ネックレス……ですか?」
「これでも結構頑張って作ったのだよ。君のことをイメージしながら作ったんだ。デザインもきちんと意味があってね——まあ、それは良いだろう。着けてあげるとも。さ、こちらにおいで」
「は、はい……」
首にひんやりとしたものが少し触れて、彼が離れた。
「……これでよし。君を不運から護ってくれるだろう。あと、虫除けにもなるはずさ。とりあえず、うるさい羽虫くらいは追い払えるはず。大丈夫だよ、君に邪な感情を抱いて居なければ、なにも問題は、ない」
「ありがとう、ございます……?」
「それで、今回僕が君に会いに来たのはネックレスを渡すのも含まれるのだが……ほら。あれだ」
「え、」
真っ直ぐに見つめる眼差しが、私の胸を高鳴らせる。
「君に、会いたかったのだよ」
——『会いたい』と、思ってくれたんだ。その気持ちを自覚すると共に、きゅう、と胸が苦しくなる。
「……なんだねその顔は」
「らしくない、ですよ」
頬が熱を持つのを感じた。
「そうかな。らしくないかな。……これでも、僕なりに『愛』とやらを考えてみて、それを実行したつもりだったのだが。……お気に召さなかったかい?」
「そうでもないです」
「よかった」
それから、喫茶店で少し食事と談笑をし、別れる時間になる。あろうことか、彼は私を自宅まで送ってくれた。
そして、玄関口で
「失礼。大変名残惜しいが……僕はこれから用事があるので、また会おう」
そう微笑み、彼は陰陽術を使ったのか、ふわりと消えてしまった。