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第9話 後朝モーニング

 そんなこんなで結婚して初めての夜が終わりました。

 夫となった(もみじ)が私を大事にしてくれるのはなんとなくわかったし、ちゃんと「愛のある結婚」について考えてくれることもわかった。それは、とても良いことなのだろう。


「おはよう、(つづみ)くん。体調の方はどうかな」


 翌朝の邸宅の広縁に差し込む柔らかな朝陽が、畳に淡い金色を投げかけていた。庭の桜は昨夜の風で花びらを散らし、池の水面に薄紅の模様を描いている。遠くで、朝の鳥がさえずり、どこか懐かしい朝餉の味噌汁の香りが、開け放たれた障子越しに漂ってくる。


 私は淡い水色の小袖に着替えた姿で、広縁の縁側に座っていた。まだ少し眠気が残る目をこすりながら、栴の声に顔を上げる。彼は紺の着流しに黒の羽織の装いで立っていた。眼鏡の奥の瞳はいつもの鋭さを帯びつつも、どこか私を気遣う柔らかさがある。手に持つ折りたたまれた扇子が、朝の光にきらりと光った。


「……お、おはようございます、栴さん。体調は、えっと、問題ないです。ちょっと、寝不足ですけど」


 私はつい、昨夜の親密な時間を思い出して頬が熱くなり慌てて庭の池に目を逸らした。乙女ゲームなら、こんな朝のシーンは「好感度アップの日常イベント」くらいでサクッと終わるのに、現実は妙に気恥ずかしい。栴は私の様子を見て、くすりと笑う。


「寝不足、か。ふむ、僕の魅力が強すぎたかな?」


「な、なんですか、その自信満々な言い方! 栴さん、ほんとずるいんですから!」


 思わず声を上げると、彼は扇子を軽く開いて口元を隠し茶目っ気たっぷりに目を細めた。その仕草は、まるで宮廷で貴族を翻弄する陰陽師そのもの。なのに、私にはどこか愛らしい。私の抗議を聞き流すように栴は私の隣に腰を下ろし、庭を眺めた。


「冗談はさておき、君が元気そうで安心したよ。昨日は、君にとっても僕にとっても、特別な夜だったからね」


 その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。昨夜の彼の温もり、額に触れた柔らかな口づけ、ゲームの「ラスボス」とは思えない優しい声が、頭をよぎる。転生者としてこの世界に来て、こんな朝を迎えるなんて以前までの私には想像もできなかった。


「栴さん……あの、昨日、ちゃんと話してくれて、ありがとうございます。ゲームの話とか、私の過去とか、ちゃんと聞いてくれて」


 私は少し照れながら、膝の上の手を握りしめた。栴は扇子を閉じ、私の手をそっと覆うように握った。その手の感触は昨夜と同じく温かく、どこか頼もしい。彼の指の節が私の手に触れ、心臓が小さく跳ねる。ふとした小さな接触で、彼が立派な男性なのだと意識してしまう。

 昨日の夜は、本当に色々な話をしたのだ。彼が私の話を聞き出すのが上手かったのか、いつの間にか私は自身の過去の話もすっかりと吐き出してしまっていた。……私は彼の過去を何も知らないのに。


「君の話は、いつだって面白いよ。転生者としての君の視点は、僕のような陰陽師にとっても新鮮だ。ましてや、僕を『ラスボス』と呼ぶ君のセンスは、なかなか気に入っている」


「うっ、だからその話はもういいじゃないですか! 栴さんがラスボスだったなんて、ただのゲームの設定ですってば!」


 私が頬を膨らませると、栴は心から笑った。その笑顔は、学生時代の「推し」だった頃にも見たことがないものだ。無論、前世のゲームだった時代にも見たこともない。だけれど婚約を結んでから、そして私の夫として目の前にいる時には見せてくれる優しい顔。ゲームのシナリオライターやイラストレーターがこんな展開やスチルを用意していたら、きっと全エンディングをコンプリートしたくなるだろう。

 ふと、栴の笑顔が少し真剣なものに変わった。彼は私の手を握ったまま、静かに言葉を紡ぐ。


「鼓くん。昨日、君が望む『愛のある結婚』を築こうと言ったね。だが、僕の妻として、これから君には少しばかり面倒な役割も待っているかもしれない」


「面倒な役割……って、なんですか? まさか、陰陽師の助手とか、式神の世話とかですか?」


 私が半分冗談で返すと、栴は目を細めて笑った。むぅ、やっぱり顔が良い。


「ふむ、式神の世話は悪くないアイデアだが、そういうことじゃない。秋津家は、帝都の陰陽師の中でも古い家系だ。宮廷の陰謀や、霊的な厄介事が、ときどき僕のところに舞い込んでくる。君には、僕の傍で、そういったことに巻き込まれる覚悟が必要かもしれない」


 その言葉に、私は少しだけ息を呑んだ。陰陽師としての栴の日常はゲームのシナリオでもほのめかされていたけれど、こうして現実の彼から聞くとまるで別の重みがある。ゲームなら「イベントCG」で済むかもしれないけど、この世界では本物の危険が伴うかもしれない。……そういえば、この世界って魔獣と呼ばれる黒い穢れた獣が現れるのだった。

 まあ、ラスボスの栴が魔獣を操る術とか使って主人公を苦しめるとかは良くやってましたけれどね。このことは彼には言わないでおこう。栴が「魔獣は操れるのかね」と興味を持ってもらっても困るというか。……もしかしたら既に知ってるかもしれないけれど。


「……栴さん、正直、ちょっと怖いです。でも、栴さんがそばにいてくれるなら……なんとかなるかなって思えます。だって、天才陰陽師ですもんね?」


 私が少し笑って言うと栴は一瞬驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。


「君のその素直さが、僕には眩しいよ。約束しよう。どんな厄介事が来ても、君を守ると。妻である君を守るのは、夫であるこの天才陰陽師の務めだ」


 彼の声は、どこか誇らしげで、なのに、私に向ける眼差しは温かい。その瞬間に庭の池で鯉が水面を跳ね、朝陽にキラリと光る水しぶきが上がった。まるで、私たちの新たな始まりを祝福するように。

 その時、奥の部屋から、お菊の声が響いた。


「栴様、鼓様、朝餉の支度が整いました」


 「では、行こうか。立てるかね?」と栴は手を差し出す。「ありがとうございます」と手を重ねると私の手を軽く引いて立たせてくれ、広縁から部屋へと導いた。


 食卓には湯気の立つ味噌汁や焼き魚、梅干しの小皿が並ぶ。日本(ヒノモト)の朝らしい、素朴な温かさに満ちていた。


「鼓くん、腹が減っては戦はできぬと言うよ。まずはこの天才陰陽師の妻として、しっかり食べて力を蓄えたまえ」


 栴が軽くウインクして言うと、私は思わず吹き出した。


「戦って、なんですか! 栴さん、ほんと、いつも大げさなんですから!」


 笑いながら、私は箸を手に取った。窓の外では朝の光がきらめき、新しい一日の始まりを感じさせる。この世界に転生して、初めて心から「ここが私の居場所だ」と感じる朝だった。

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